20170509
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記 黄金週間(4)熊谷守一美術館と上野フレンチ
5月2日火曜日、娘が池袋東急ハンズで、自分用と弟用のディズニーキャラのストラップ作りをしている間、私は池袋の隣の要町まで足を伸ばし熊谷守一美術館へ行きました。
1985年に開館したときから行きたいと思っていたのですが、2007年には豊島区立美術館になった椎名町まで来たことがありませんでした。他の美術館やギャラリーで熊谷守一の作品展を見てきたので、椎名町の豊島区立美術館はあとまわしになっていました。
思ったとおり、住宅街のわかりにくい場所にあった熊谷守一美術館。でも、要町駅前の交番で道順をきいたとき、若いお巡りさんは「えっと、私、知っていますから。大丈夫」と言いながら、しばしの間じっと地図を見つめて、「そうそう、ここだ」と、コロンブスのアメリカ発見くらいに喜んで勢い込んで地図上の美術館を教えてくれました。小学校を左側に見つけたらその先の路地を左に曲がる。道が二股に分かれたら左。しばらく歩くと右側、とおまわりさんが言った通りに歩いて、到着。
入館料500円。高齢者割引きはなし。まずは、せっせと歩いたので一休みと思って、エントランスロビーのカフェでコーヒーをもらいました。400円。
カフェカヤには熊谷榧作品の展示してあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/99/4a499c4a8524e4e85f547c614327c4b8.jpg)
コーヒーのカップも榧作品
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/fc/b9135fa81e0de6c943b65fefbb98a621.jpg)
晩年の守一は、70歳過ぎから97歳でなくなるまで家からでることはなく、朝、庭に出て、植物や動物を一日中飽くことなく眺めて過ごしました。そして、飽くことなく絵を描き続けました。その97年の生涯の作品を、1階、2階、3階と展示室と見ていきました。通常展示なので、作品数は少なかったですが、3階展示の守一の肖像写真の数々、とてもよかったです。
熊谷守一作品については、またのちほど紹介を。
展示されていなかった絵の葉書を1枚買う。100円。合計千円で本日の観覧を終えました。
バスで池袋西口へ。東口へ通り抜け、ブックオフでしばし時間をつぶす。
娘から「作り終わった」というメールが来て合流し、いっしょに上野へ。
上野エキナカのレストランで晩ご飯を食べて帰ります。
我が家、普段はスーパー特売のお肉や魚を買っていて、節約節約に相務めているのです。エンゲル係数の高騰はこのデパ地下お総菜やら外食がいけないのだとわかっちゃいるのですが、娘の生きがい第一が手作りの楽しみで第2がおいしいものを食べること。お子様孝行のためには、エンゲル係数に目をつぶるしかありません。
今回は、本当は4月だったけれど、5月に延期していた娘の「お誕生日ディナー」をする約束です。
子ども達が小さかったころは、親が選んでプレゼントを渡していました。リクエストなど聞いていたら、たいていは高くて買えないですから、親の買える範囲のものを贈っていました。子供が成人してからは、誕生日にはリクエストに応えるようにしています。もう、子供も母の懐具合を知っていますから、そうそう無理な注文はしません。
昨年息子へのプレゼントは、「CD-ROM版くずし字解読用例辞典 」でした。紙のくずし字事典は持っているけれど、アルバイト仕事で古文書解読をするようになってから、パソコンに入れられるCDロムが必要になりました。仕事先のパソコンにはインストールされているけれど、自宅のパソコンにもインストールしたいのだ、と要望。高いものだけれど、誕生日とクリスマス合同として、欲しいというので、ネットオークションで落札したという値段の金額をプレゼントしました。
今年の娘へのプレゼントは、「欲しいけれど高いから一度はあきらめた」桜染めのスカーフでしたが、「誕生日には好きなレストランで好きな食べ物を注文できる」という恒例行事がまだでした。
娘のリクエストは、上野の ブラッスリーレカンというフレンチの店。フレンチといってもカジュアルレストランなので、本格フレンチのような格式張ったところはありません。上野エキナカの店ですから、旅行中の人が気軽に立ち寄れる。
息子と上野駅で待ち合わせ。息子が「何時に行けるかわからない」というので、予約をしなかったのですが、平日ですから待つこともなく、すぐに案内されました。
娘と息子は、肉と魚がメインにあるコース。私は魚だけのコース。コースに含まれているドリンクは、私と息子はワイン。アルコールいっさいダメな娘は、料理にもデザートにもアルコールが含まれていないことを確認して注文していました。ほんとうは一番お高いフルコースにしたかったのですが、その料理にはお酒を使った料理があるというので、メニューのなかでは安い方のコースにした娘。
安いといっても、私にとっては大散財です。でも、娘が「ああ、おいしかった」と言って喜んでいる顔を見ると、うれしいのです。小さい頃、誕生日の料理のリクエストでも母が買える食材にして、小学校の作文に「私は青梗菜のクリーム煮が好き」と書いた娘。
私のふところには厳しいけれど、ちょっとでもあの時分の埋め合わせをしてやれたかと思うのです。
バブル期金満社会の小学校生活を、服も文房具もお下がりで、なにもかも節約で暮らした貧乏な家の、けなげな長女でした。働く母が帰るまで、弟を保育園に迎えにいき、友達の家に遊びに行くときも、弟を連れてはゆけないところには行かず、どこに行くにも弟付きだった姉娘。クラスメートの悪ガキどもに「おまいんち、ビンボー」と囃されていたという娘の、小学生時代の埋め合わせ、カジュアルフレンチくらいでできるとは思わないですけれど、娘のリクエストに応えることが、少しは母の気休めになります。
今も貧乏から抜け出したわけじゃないのですが、明日一家が食べるものに不自由するとしても、今日の娘には、食べたいものを食べさせてやりたい。
ああ、おいしかった、という娘のことばを聞きながら、上野から帰りました。
熊谷守一。晩年には絵のコレクターも増えてきて、生活に昔ほどの不自由もなくなったというけれど、若い頃、無名の画家は、赤貧暮らしを続けました。5人の子のうち、貧乏ゆえ3人の子を失いました。病気になった子を医者にみせることもならず、死なせてしまったのです。
残された次女の熊谷榧は1929年生まれ、今年米寿。父から絵の才能を受け継ぎ、現在は豊島区立熊谷守一美術館の館長さんです。
館内1階には榧さんの絵や陶芸作品が並んでいました。守一さん、榧さんには十分に埋め合わせができたんじゃないかしら。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記 黄金週間(4)熊谷守一美術館と上野フレンチ
5月2日火曜日、娘が池袋東急ハンズで、自分用と弟用のディズニーキャラのストラップ作りをしている間、私は池袋の隣の要町まで足を伸ばし熊谷守一美術館へ行きました。
1985年に開館したときから行きたいと思っていたのですが、2007年には豊島区立美術館になった椎名町まで来たことがありませんでした。他の美術館やギャラリーで熊谷守一の作品展を見てきたので、椎名町の豊島区立美術館はあとまわしになっていました。
思ったとおり、住宅街のわかりにくい場所にあった熊谷守一美術館。でも、要町駅前の交番で道順をきいたとき、若いお巡りさんは「えっと、私、知っていますから。大丈夫」と言いながら、しばしの間じっと地図を見つめて、「そうそう、ここだ」と、コロンブスのアメリカ発見くらいに喜んで勢い込んで地図上の美術館を教えてくれました。小学校を左側に見つけたらその先の路地を左に曲がる。道が二股に分かれたら左。しばらく歩くと右側、とおまわりさんが言った通りに歩いて、到着。
入館料500円。高齢者割引きはなし。まずは、せっせと歩いたので一休みと思って、エントランスロビーのカフェでコーヒーをもらいました。400円。
カフェカヤには熊谷榧作品の展示してあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/99/4a499c4a8524e4e85f547c614327c4b8.jpg)
コーヒーのカップも榧作品
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/fc/b9135fa81e0de6c943b65fefbb98a621.jpg)
晩年の守一は、70歳過ぎから97歳でなくなるまで家からでることはなく、朝、庭に出て、植物や動物を一日中飽くことなく眺めて過ごしました。そして、飽くことなく絵を描き続けました。その97年の生涯の作品を、1階、2階、3階と展示室と見ていきました。通常展示なので、作品数は少なかったですが、3階展示の守一の肖像写真の数々、とてもよかったです。
熊谷守一作品については、またのちほど紹介を。
展示されていなかった絵の葉書を1枚買う。100円。合計千円で本日の観覧を終えました。
バスで池袋西口へ。東口へ通り抜け、ブックオフでしばし時間をつぶす。
娘から「作り終わった」というメールが来て合流し、いっしょに上野へ。
上野エキナカのレストランで晩ご飯を食べて帰ります。
我が家、普段はスーパー特売のお肉や魚を買っていて、節約節約に相務めているのです。エンゲル係数の高騰はこのデパ地下お総菜やら外食がいけないのだとわかっちゃいるのですが、娘の生きがい第一が手作りの楽しみで第2がおいしいものを食べること。お子様孝行のためには、エンゲル係数に目をつぶるしかありません。
今回は、本当は4月だったけれど、5月に延期していた娘の「お誕生日ディナー」をする約束です。
子ども達が小さかったころは、親が選んでプレゼントを渡していました。リクエストなど聞いていたら、たいていは高くて買えないですから、親の買える範囲のものを贈っていました。子供が成人してからは、誕生日にはリクエストに応えるようにしています。もう、子供も母の懐具合を知っていますから、そうそう無理な注文はしません。
昨年息子へのプレゼントは、「CD-ROM版くずし字解読用例辞典 」でした。紙のくずし字事典は持っているけれど、アルバイト仕事で古文書解読をするようになってから、パソコンに入れられるCDロムが必要になりました。仕事先のパソコンにはインストールされているけれど、自宅のパソコンにもインストールしたいのだ、と要望。高いものだけれど、誕生日とクリスマス合同として、欲しいというので、ネットオークションで落札したという値段の金額をプレゼントしました。
今年の娘へのプレゼントは、「欲しいけれど高いから一度はあきらめた」桜染めのスカーフでしたが、「誕生日には好きなレストランで好きな食べ物を注文できる」という恒例行事がまだでした。
娘のリクエストは、上野の ブラッスリーレカンというフレンチの店。フレンチといってもカジュアルレストランなので、本格フレンチのような格式張ったところはありません。上野エキナカの店ですから、旅行中の人が気軽に立ち寄れる。
息子と上野駅で待ち合わせ。息子が「何時に行けるかわからない」というので、予約をしなかったのですが、平日ですから待つこともなく、すぐに案内されました。
娘と息子は、肉と魚がメインにあるコース。私は魚だけのコース。コースに含まれているドリンクは、私と息子はワイン。アルコールいっさいダメな娘は、料理にもデザートにもアルコールが含まれていないことを確認して注文していました。ほんとうは一番お高いフルコースにしたかったのですが、その料理にはお酒を使った料理があるというので、メニューのなかでは安い方のコースにした娘。
安いといっても、私にとっては大散財です。でも、娘が「ああ、おいしかった」と言って喜んでいる顔を見ると、うれしいのです。小さい頃、誕生日の料理のリクエストでも母が買える食材にして、小学校の作文に「私は青梗菜のクリーム煮が好き」と書いた娘。
私のふところには厳しいけれど、ちょっとでもあの時分の埋め合わせをしてやれたかと思うのです。
バブル期金満社会の小学校生活を、服も文房具もお下がりで、なにもかも節約で暮らした貧乏な家の、けなげな長女でした。働く母が帰るまで、弟を保育園に迎えにいき、友達の家に遊びに行くときも、弟を連れてはゆけないところには行かず、どこに行くにも弟付きだった姉娘。クラスメートの悪ガキどもに「おまいんち、ビンボー」と囃されていたという娘の、小学生時代の埋め合わせ、カジュアルフレンチくらいでできるとは思わないですけれど、娘のリクエストに応えることが、少しは母の気休めになります。
今も貧乏から抜け出したわけじゃないのですが、明日一家が食べるものに不自由するとしても、今日の娘には、食べたいものを食べさせてやりたい。
ああ、おいしかった、という娘のことばを聞きながら、上野から帰りました。
熊谷守一。晩年には絵のコレクターも増えてきて、生活に昔ほどの不自由もなくなったというけれど、若い頃、無名の画家は、赤貧暮らしを続けました。5人の子のうち、貧乏ゆえ3人の子を失いました。病気になった子を医者にみせることもならず、死なせてしまったのです。
残された次女の熊谷榧は1929年生まれ、今年米寿。父から絵の才能を受け継ぎ、現在は豊島区立熊谷守一美術館の館長さんです。
館内1階には榧さんの絵や陶芸作品が並んでいました。守一さん、榧さんには十分に埋め合わせができたんじゃないかしら。
<つづく>