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ぽかぽか春庭「母の日手作りプレゼント」

2017-05-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170516
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記 黄金週間(6)母の日・手作りプレゼント

 手作り大好きな娘、家では刺繍や「百円ショップで買った紙紐でバスケットを編む」などをしこしことやっています。毎年ゴールデンウィークは東急ハンズ無料手芸講習会に出かけるようになって20年になります。先日の講習では講師の顔を見て、娘が「私、中学生の時、先生に教えていただいたことがあるんですよ」と言ったら、ハンズ社員の講師も喜んでいたのだとか。

 一般の手芸教室などで講習を受けると、教室主宰者から、教室に加入して継続して作品を作るように薦められるけれど、東急ハンズ主催の講習会だと、ハンズの社員が講師を担当するだけで、教室加入などはすすめないので、気楽に参加できるのだって。東急ハンズの講習会は、材料費実費だけで、講習費はかからないのもいいところ。

 娘は、ひとつの手芸の奥義まで達してその技を究める、ということには興味がなく、できるだけいろいろな手芸を体験してみたい、へたでもいいからいろんなことをあれこれやってみたい。要はこつこつ地道な根気のないお手軽手作り派です。

 たまにできの良いのを知り合いなどにプレゼントすると、「こんなに上手に作れるのだから、ネットなどで売ってみたらいいのに」と言われたりするのですが、娘は「売り物にするなら、もっと気をつかって売れるようなものにしなければ、という義務感がでちゃうから、それはいや。気楽に好きに作れるからやっていられる」と言います。
 売りたくない気持ちもわからないではありません。あるIターン就農者の気持ちをテレビ番組で聞いたことがあります。

 ある夫婦が、早期退職をして就農講習も受け、農村で第2の人生を始めました。近所の人たちとも仲良くなり、とれた作物は、それぞれの家で作っていないものと物々交換もしていました。ナスと枝豆を交換したり、インゲンとトウモロコシを交換したり。

 ある日、ネギを取り入れていると、車で通りがかった人が「ねぇ、そのネギ、売ってくれない?」と声をかけてきました。二人で食べて余った分は、近所にお裾分けするつもりだったのですが、買いたいという人があらわれた。

 近所の「道の駅」などでは、3本百円とか5本百円で売っているのを知っているので、「これは無農薬有機栽培なので、一本百円ですよ」と言ってみた。高すぎるからいらない、と言われると思っての「一本百円」でしたが、車の人は「じゃ、千円分ちょうだい」と、千円札を差し出しました。

 二人は11本を袋に入れて渡し、車は走り去りました。売ってみて、ふたりは、気落ちしてしまいました。心をこめて、丹精して育てたネギ。道の駅で売っているより高く売ったネギ。でも、ふたりが手にした千円には、千円の価値しかありません。近所の人にわけて「いやあ、あんたんとこのネギはこの辺じゃいちばんおいしいよ」と声をかけてくれることもなければ、「うちのジャガイモもおいしいから食べてみてよ」と、物々交換の作物を持ってきてくれることもない。

 会社勤めをしているときには、月給のうちの千円分を稼ぐのに30分もかからない、妻のパートでさえ1時間あれば稼げる金額でした。それを、11本のネギの代金と値踏みしてしまうと、自分たちのネギの価値はお金に換算したくないものだった、と気づいた、と、夫婦は口々にインタビューの中で語っていました。

 聞きようによっては、「それはあなた方が農業で食べていく必要がないからそう言えるのであって、農家にとっては、作物をお金に換算しないでは食っていけないことを考慮していない」と思う人もいるかもしれません。専業農家では言えないことばに聞こえてしまうことは、コメントした夫婦も承知でしょう。
 それでも、汗を流し、虫がつかないよう気遣って育てた時間の代償として千円の値踏みを悲しく思える気持ち、わかります。ふたりのネギには、ふたりですごした時間がつまっているのです。

 娘にとっても、作り上げた手作り品を値段に換算するのはいやなのだろうと思います。娘の作品は、ほとんどが家族とごく親しい知り合いにプレゼントするだけ。もらった品の中に、娘がすごした時間を感じる人にあげるだけです。上手に作れていないときもあるけれど、家族は、モノを受け取っているのと同時に、娘のすごした時間を受け取っているのです。

 私にとっては、「娘が生きてすごす時間」を、今年もプレゼントしてもらえて、うれしいです。

 柿渋染めトートバッグと、藍染めランチバッグ、ふたつとも私がもらいました。「前ならふたつ作っておばあちゃんと母にあげていたけれど、おばあちゃんの分、今はあげる人がいないから、母がもらっておいて。あとでだれかにあげてもいいから」と娘がいうのです。
 紫陽花の花びらをレジンで固めたペンダントももらったので、今年は「母の日プレゼント豊作」です。 



息子からのもらい物、去年の誕生日にもらったタブレットキーボード付きと、母の日のプレゼントのスマホ。スマホは、私には使いこなせないからいらない、と「一生ガラケー使用宣言」をしてきたのですが、「ガラケーは、そのうち製造中止になるかもしれないよ。僕、新しいスマホを買ったので、古い方を母用に設定してあげたから」と、いわば「押しつけスマホ」です。古く見えないように、スマホケースもつけた、というので、これから使い方を練習しなければ。


 毎年、姑に贈っていた母の日プレゼントも、昨年からは無しになって、もう私から母の日に贈ることはなくなりました。ちょっと寂しいですが、手作り大好き娘と、パソコン周辺機器やスマホなどをネットオークションで買うことに嵌まっている息子からのプレゼント、ありがたくもらいました。
 母の日の新聞投書欄。幼いころに父と母を相次いでなくし、10年前には息子さんが病死なさり、母の日におくることもなく、母の日にもらうこともない日々が続くことを書いていらした。いろんな母の日の過ごし方があることを心にとどめつつ、母の日の一日をすごしました。

<つづく>
コメント (8)
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