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ぽかぽか春庭「ひまわりの歴史」

2017-06-22 00:00:01 | エッセイ、コラム

「モネの庭(ひまわりの庭)」クロード・モネ

20170622
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>花の絵、花の名(6)ひまわりの原産地とひまわりの歴史

 「花の絵、花の名」シリーズ、後半は、2012年にUPしたひまわりに就いて書いたものを採録します。2012年、gooブログに移行したあとのUPなので、画像付きですが、今回付け加えた画像もあります。
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2012/08/18
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ひまわり蘊蓄(2)ヒマワリの歴史

 夏らしい花のうち、どういうわけかカンナは赤いのも黄色いのもあまり好きになれません。葵も好きでない。夏咲く花で好きなのは、なんといってもヒマワリです。

 ヒマワリはキク科の植物。一般に花と呼ばれる部分、キク科の他の花、菊やタンポポと同じく、小さな花がたくさん集まって、ひとつの花に見えるのです。
 花が集まったものを花序といいます。外輪に黄色い花びらが開いた部分が舌状花、内側の花びらがない花を筒状花(管状花)と区別して呼ぶのだそうです。

 「ひまわり」を辞書で調べてみると、広辞苑には「メキシコ原産」とあり、他のところには「アメリカ原産」とでていました。原産地はどっち?

 植物学の研究からいうと、ヒマワリの原産地は北アメリカ大陸西部であると考えられています。野生のひまわりを栽培用にしたのは、紀元前のアメリカネイティブの人々。(アメリカインディアン)
 長楕円形の種子は、そのまま殻をとって食べたり、植物油を生成したりでき、食用作物として重要な位置を占めていました。

 スペイン人がアメリカ大陸へ上陸したのち、1532年、インカ帝国に攻め込んだピサロFrancisco Pizarroが本国に「ひまわり」について報告。
 1569年、スペイン人の医師ニコラス・モナルデスがヒマワリの種をマドリードのスペイン王立植物園に持ち帰り、植物園内で栽培が開始されました。
 スペインやイギリスの植物園は、植民地の有用植物を栽培し、農業利用するための実験室でしたから、世界中のさまざまな植物が集められ、研究されました。

 ヒマワリは、スペインが「国益のために門外不出」として、100年もの間、国外に出されることがありませんでした。ヒマワリが他国にも知られるようになったのは、世界最強とうたわれたスペインの無敵艦隊が、イギリスのエリザベス一世のもとに屈し、その勢威にかげりが出てきてからのこと。国の守りが弱くなると、門外不出の秘密の花も、外へ漏れていきます。
 17世紀になると、フランス、次にロシアに伝わっていきました。当初は鑑賞植物として広まり、ロシアで食用として改良され大々的に栽培されるようになりました。

 昨年来、ひまわりが注目を集めたことがあります。ひまわりはこれまで、食用や油採取に利用されてきました。しかし、3.11以後、これまでと異なる点で利用出来るかも知れない、と話題になりました。ヒマワリを植えると、セシウムほかの汚染放射能を吸収し、除染に役立つのではないかと期待されたのです。チェルノブイリなどに植えられた実績がある、という話でした。

 しかし、農水省の実験結果では、ヒマワリ植栽ではほとんど効果がなく、表土を削り取る方法が一番効果がある、という発表がありました。削り取った表土はまた処理をしなければならず、放射能汚染を完全に処理するには、人間の手におえるものではない、ということがよくよく身に染みました。
 ひまわりは除染には役立たない、との実験結果は残念なことでしたが、ひまわりのあの向日性が、心を明るくしてくれたのは確かです。

 8月後半のシリーズは、「ひまわり蘊蓄」です。ひまわりにまつわる伝説やことば、絵画などを紹介します。

<つづく>

2012/08/19
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ひまわり蘊蓄(2)ヒマワリ絵画

 ヒマワリがスペインの「門外不出」の植物園から漏れ出ると、たちまちヨーロッパ社会に伝播しました。17世紀の西洋の画家達もキャンバスにヒマワリの姿を残しました。

 アンソニー・ヴァン・ダイク(Anthony van Dyck1599-1641)は、フランドル出身。ルーベンスの元で修行したバロック期の画家です。イギリスのチャールズ1世のもとで宮廷画家となり活躍しました。「ヒマワリのある自画像」は、チャールズ1世から送られたという金の飾りを身につけ、王室の勢威を表すヒマワリに向かっている姿で描かれています。


 ヴァン・ダイクが仕えたチャールズ1世は、日本史でいうと関ヶ原の戦いの年、イギリス史でいうとエリザベス朝最盛期の1600年に生まれました。スコットランド女王メアリースチュアートの孫にあたります。父親のジェームズ6世(イングランド王としてはジェームズ1一世)は、自分の母親メアリー・スチュアートを処刑したエリザベス1世から後継者に指名されました。チャールズ1世は、6歳のとき父親と共にロンドンに移住し、25歳のとき、イングランドスコットランド連合王国の王となりますが、オリバー・クロムウェルとの内戦により、49歳のとき処刑されます。
 治世の間、内戦のほか熱中したことといえば、絵画収集。今に伝わるイギリスのロイヤルコレクションの基礎を固めました。
 
 ヴァン・ダイクが王室の勢威の象徴としてひまわりを選んだのも、古き強国スペインから伝わった大陽の花を己の力のシンボルとしてチャールズ1世が好んだためだったのかもしれません。
 政治能力に欠けたとされるチャールズ一世が、清教徒革命で処刑された王様だということ以外で現代に知られているエピソードがあるとしたら、フランスのデュマの小説「三銃士第2部」で、ダルタニヤンが救出しようとして失敗する王様がチャールズ1世、ということくらいでしょうか。チャールズ1世のお后はフランス王の娘でした。この時代、ヒマワリはフランスのルイ13世の薬草園でも栽培され、ルイ14世は、ひまわりを愛好したと伝えられています。

 17世紀、スペインから各地に伝播したヒマワリは、たちまちのうちにロシア、中国へと広がり栽培されました。
 中国からヒマワリが日本に伝来した17世紀江戸時代。18世紀になると、珍しもの好きの江戸の絵師達、盛んにヒマワリの絵を描きました。
 伊藤若冲と酒井抱一の絵は、三の丸尚蔵館や東京国立博物館などで、見ることができます。

酒井抱一「十二ヶ月花鳥図より」 と 鈴木其一「向日葵図」(畠山美術館) 
             

伊藤若冲 向日葵雄鳥図



 ヒマワリを描いた絵画、として私たちの脳裏に浮かぶ絵は、おそらくヴァン・ゴッホの描いた12枚のひまわりでしょう。

 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent van Gogh1853-1890)
 ゴッホは、生涯のうち、画家として生きたのは10年ほど。37歳で自ら命を絶った短い一生のあいだに、12点のひまわりの絵を残しました。
 ゴーギャンとともに住んでいたころから晩年までに、南フランスのアルルで描かれたひまわりは7点。そのうちの1点が東京新宿の損保ジャパン東郷青児美術館に所蔵されています。ロンドンナショナルギャラリーとほぼ同一のモチーフで、損保ジャパンが購入した直後からフェイクとの評がたえませんでしたが、美術館側は、「当館のひまわりは「15本のひまわり」と説明しています。


14本のひまわり(ロンドンナショナルギャラリー)と 15本のひまわり(損保ジャパン美術館)
      

3本のひまわり(個人蔵)
 

 ゴッホのヒマワリ12点をすべてを見るなら、このサイト
http://www.vggallery.com/misc/sunflowers.htm

 ゴッホとゴーギャン(1848~1904)との共同生活が破綻しようとするころに、ゴーギャンが「ひまわりを描いているゴッホ」の肖像を残しています。ゴッホの行動に不安を感じながらも、その姿を写し取ったのです。

ゴーギャン「ひまわりを描くゴッホ」


 1880年からはじまったゴーギャンとゴッホの同居時代は、ゴーギャンとの軋轢に疲れたゴッホが自分の耳を切り落とすという自傷行為に走り、おわりとなりました。ゴーギャンはゴッホとの共同アトリエ「黄色い家」を去り、1891年には、太平洋のタヒチ島に移住します。
 ゴッホはピストルで頭を撃ち抜き生涯を終えます。

 ゴッホは、弟テオへ宛てて膨大な手紙を残しています。
 ひまわりについては、テオに次のように書き残しています。(Letter 573 Vincent van Gogh to Theo 22 or 23 January 1889)

「シャクヤクの花はジーニーンのだって、君は思ってるんじゃないかい。タチアオイはクォストのものだ。だけど、ヒマワリは幾分かは僕のものだって、君も思うだろう?」
 You may know that the peony is Jeannin's, the hollyhock belongs to Quost, but the sunflower is mine in a way."


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20170622の付け足し
 昨2016年にゴッホとゴーギャン展を見たとき、ゴーギャンが描いたひまわりの絵が心に残りました。たった2ヶ月いっしょに暮らしたゴッホだったけれど、その後ゴッホが自殺してしまうまで、友情が続いていた、ということもわかり、ゴーギャンが描くひまわりには、この花を愛したゴッホの思い出が描かれていると感じたからです。

「肘掛け椅子のひまわり」ポール・ゴーギャン


<つづく>
コメント (4)
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