山口蓬春「梅雨晴」山種美術館(絵はがき)
20170613
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>花の絵・花の名前(5)紫陽花・安治佐為その1
紫陽花あじさいについては、何度かその漢字表記について書き記してきました。2004年7月に書いたのが最初ですが、2010年にも再録しています。OCNカフェ時代にUPしたものなので、gooブログとして再度の再録をしたいと思います。2004年2010年のOCNカフェブログでは画像UPをしていませんでしたので、画像はすべて今回の付け足しです。
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2004年07月14日
アジサイの花言葉。「強い愛情」「元気な女性」などのほか「移り気」もあるのは、ひとつの株の花でも、ときには青い花だったり、ときにはピンクになったり、土壌の組成によって、色が変わるため。土壌が酸性かアルカリ性かによってさまざまな色をみせる。
アジサイ(ホンアジサイ)のラテン学名は、Hydrangea macrophylla。ハイドランジアは水、マクロフィアは容器の意味。たっぷりと水を含んだ、雨の季節にふさわしい名前に思う。
私が使っている『原色牧野日本植物図鑑』の記述では、Hydrangea macrophyllaはガクアジサイの学名。花が手まり状になるアジサイの学名はHydrangea macrophylla Seringe var.otakusa ハイドランジア・マクロフィア・ヴァル・オタクサ)となっている。
現在の植物学では、オタクサの名は除かれているそうだが、在野の植物学者として独自の研究を続けた牧野は、「オタクサ」を削ってしまいたくなかったのだろう。
「 ハイドランジア・マクロフィア・ヴァル・オタクサ」この学名の最後の「オタクサ」は、ヨーロッパにこの花を紹介したシーボルトの日本人妻の名前「お滝さん(楠本滝)」にちなんでつけられたもの。
シーボルトは医師として江戸末期の長崎のオランダ商館で働いていた。
シーボルトは、長崎から「日本植物図」を植物学者・ツッカリーニに送った。あじさいの発見者は「ツッカリーニとシーボルト」となっている。
当時ヨーロッパでは博物学が盛んであり、各国は競って世界各地の植物を蒐集研究していた。世界各地にいた探検家、学者、商人まで、新種の発見に夢中になり、本国へ標本や精密な植物図譜を送付した。新種の植物は「植民地から金を生み出す木」でもあった。
日本のあじさいが西洋植物学研究者に知られるようになったのは、江戸末期からだが、あじさいは古来から日本の地に咲いていた。日本原産の花。東京や伊豆などで、野生種のあじさいが発見されている。
奈良時代のあじさいが、万葉集にうたわれている。
万葉集の編集者とされる大伴家持の歌。あじさいは「味狭藍」と表記されている。(巻四 773)
「言問はぬ木すら味狭藍 諸弟らが 練りの村戸に詐かヘけり(こととわぬ きすらあじさい もろとらが ねりのむらとに あざむかえりけり)大伴家持」
物を言わない木にさえも、アジサイの色のように移ろいやすいものがあります。ましてや、手管に長けた諸弟の言うことに、私は簡単に騙されてしまいました。
以下、アジサイの漢字表記について検証する。現在、アジサイは熟字訓として「紫陽花」という表記が定着している。万葉集に記された万葉仮名表記「味狭藍」や「安治佐為」という表記から「紫陽花」という表記に変わったのは、平安時代以後のことになる。
「紫陽花と燕」葛飾北斎
2004年07月15日
大伴家持のアジサイ表記は「味狭藍」。もうひとつ、万葉集に知られたアジサイの表記がある。橘諸兄の歌では「安治佐為」という万葉仮名で表記されている。(巻二〇 4448)
(たちばなのもろえ{684~757}、父は敏達天皇の玄孫美努王,母は県犬養三千代。光明皇后(藤原不比等と再婚した三千代の娘・)の兄として、奈良時代に権勢をふるった)。
「安治佐為の八重咲く如く弥つ代にをいませわが背子見つつ偲ばむ)(あぢさいのやえさくごとくやつよにを いませわがせこみつつしのばむ)」
この場合の「八重咲く」は、「八重咲きのアジサイ」ではなく
「たくさんの花びらが重なりあって咲いているアジサイ」であろう。
アジサイの表記について。
平安時代のお坊さん、昌住が著した「新撰字鏡」では「安知左井」と表記。
同じ平安時代の「倭名類聚抄(和名抄)」では「安豆佐為」。
アジサイ。安豆(あつ)は「集まる」という意味。「佐(さ)」は、真を意味する。「為(い)」は、藍(あい)の意。すなわち、「真の藍色(あいいろ)の集まり」という花の様子から、安豆佐為(あつさい)と名がつき、安豆佐為(あづさい)が転訛(てんか)して、アジサイになったのだという。
明治時代に編纂された「大言海」で、大槻文彦は「あじさい、語源は集真藍(あつさあい)」としている。
アジサイに「紫陽花」の漢字をあてることについて。
平安文学は、中国唐詩の影響を強く受けている。ことに中唐の時代の詩人白居易(白楽天772-846)の漢詩文集「白氏文集」は、人気が高かった。白居易の詩がアジサイに関わっている。
10世紀に成立した「和名抄」に『白氏文集律詩に云(い)う、紫陽花、和名、安豆佐為(あつさい)』と書かれている。倭名類聚抄(和名抄)の編纂者は源順。
源順は、白居易の「白氏文集第20巻」の中にでてくる紫陽花をアジサイのことを指していると思いこみ、「紫陽花=アジサイ」とした。
源順の記述により、「白氏文集」に出てくる紫陽花がアジサイのことだと、皆も疑わなくなった。現在ではアジサイの漢字表記は紫陽花が一般的。
しかし、ちょっと待って。違うのだ。
実は、この「白氏文集」の中にでてくる紫陽花(ツィヤンファ)がどのような花をさしていたのかは、わかっていない。
源順が「紫陽花とは、わが国の安豆佐為のこと」と書き残したのは、彼の思いこみによってであり、根拠があってのことではない。源順は中国へ行ったこともなく、白居易が詩に残した紫陽花を見たこともない。
2004/07/16
白居易が詩にした紫陽花が、紫色の花だったことだけは確かなのだが、その花が、はたして紫色のアジサイだったのか、ライラックのような紫色の花だったのか、はたまた別の紫色の花だったのか、記述は何もない。
「白氏文集章巻二十」には、白居易が紫色の花を見て、だれもその名を知らなかったので、「紫陽花」という名をつけた、と書かれているだけだ。
「紫陽花」の漢詩の前に、前書きがある。
招賢寺有山花一樹、無人知名(招賢寺に山花一樹あり、名を知る人無し)
色紫気香、芳麗可愛、頗類仙物((色紫にして気香しく、芳麗にして(愛すべく、頗る仙物に類す)
因以紫陽花名之((よって紫陽花を以てこれを名づく。)
「招賢寺に、名前が不明の紫色の花木があった。その名を知る人がいない。色は紫で芳香がある。芳しく麗しい愛すべき花。まるで、人間界とは異なる仙界の花のようだ。よって、この花を紫陽花と名付けた。」
「白氏文集」より「紫陽花」。
何年植向仙壇上(いづれの年か植えて仙壇の上に向かう)
早晩移栽到楚家(いつしか、移栽して梵家(てら)にいたる)
雖在人間人不識」(じんかんに在りといえども人識らず)
与君名作紫陽花」(君に名づけて紫陽花となさむ)
いつのころからか仙壇に植えられていた
いつしか移しかえて、寺に植えられた
人の世界に来たけれども、人はその名を知らない
この花に名を与えて紫陽花と呼ぼう(春庭拙訳)
私は、この白居易の前書きを読んで、「?」と思った。「色は紫にして気は香る」と書かれているからだ。
白氏文集「紫陽花」前書きにある「芳麗愛すべし。すこぶる仙物に類す」を読むと、あれ?アジサイって、そんなに香りの強い花だったっけ、と疑問が生じる。
白居易が「色は紫にして気は香る」と書き留めたのは、その紫色のあざやかさと同等に、周囲の空気を満たす香りが印象的だったことを想像させる。
薔薇やライラック、百合のカサブランカは、その花の下にたてば、芳香に包まれる。しかし、アジサイの花に近づいて香りを確かめても、そんなに強い芳香は感じない。
「気が香っている花」の香りに包まれて「ここは人間の世界じゃない、これはまるで仙人の世界のようだ」なんて気持ちにはならなかった。
アジサイの色はたしかに美しいが、「芳麗愛すべし」とは印象が異なる。
2004/07/17
紫色で香りが強い花といえば、むしろライラックの種類に近いんじゃないかなあ。だが、確実なことはわからない。白居易が書いているのは「色は紫、香りが強い」ということだけで、花の絵を残しているのではないから。
私が出講している大学のひとつ。正門脇バス停に、ライラック(リラ)の群落がある。毎春バス停周囲が満開のライラックに包まれ、なかなか来ないバスを待つ間、馥郁とした香りを楽しむことができる。
白居易が「色は紫にして気は香る。芳麗愛すべし」と言ったのは、この花かも知れないなあ、と思いつつライラックの香りを楽しんできた。
白居易は紫陽花の姿形をどのような花であるとも描いていないのだから、「気は香る」という表現を「芳香がある」と受け取らず、「色の紫から、周囲の気が香るように感じる」と、色彩からくる感覚を「気が香る」と表現したのだ、と考えることも不可能ではない。
源順も、白居易が描き出した花を確実に知っていたのではないが、彼自身の詩への感受性によって、この紫色の花を「安豆佐為(あぢさゐ)」と受け止めた。
源順がアジサイの漢字名を紫陽花と思いこんで以来、日本ではアジサイ=紫陽花となり、「安豆佐為」という万葉仮名を押しのけて浸透した。
定着してしまえば、それが「現在の日本語表記」となる。
日本語の漢字表記が成立するには、様々な要素がある。だから、「現時点では、アジサイの漢字表記が紫陽花である」というのは、それでよい。
ただ、白居易の「紫陽花」は、直接に日本原産の花「アジサイ」をさしていたのではなかった、という事実も知っておきたいと思うのだ。
2004/07/07の付け足し
和語の「匂ふ(にほふ)」の原義は丹色(にいろ=赤土の色)が「秀(ほ)ふ=特別に秀でている」という意味なので、「匂う」は「美しい色が秀でている」という解釈ができますが、中国語の「香シャン」は、「嗅覚による香り」の意味になります。ただし現代中国語では「よい香り、良いにおい」は「香味xiāngwèi」ですが、唐代の「香」に別の意味があったかどうかまでは、春庭の貧弱な漢語知識ではわかりません。
2004/07/20の再録
私は、白居易の「紫陽花」は、香り高いライラックのような花だったのかも知れないなあ、と感じた。感じただけであって、絶対にそうだという証拠もない。
千年前に、源順が「アジサイ=紫陽花である」と書いたら、だれも異議申し立てをしなかった。
日本の文芸において、自分の感受性を発揮する以上に、「おつきあいの言葉やりとり」「同じ言葉をやりとりする仲間同士の交流」が重んじられる面があったから、紫陽花は別の花かも知れないと、だれも言い出さないうちに、いつのまにかアジサイといえば紫陽花になった。
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20170617の付け足し
東京の街路や店の陰、今の時期あじさいがあちこちで咲いています。それぞれの土地でそれぞれの色。
政府の方針に素直に従わない者が数人寄り集まって愚痴でもこぼすと、共謀していると疑われてしまうかも知れない今日このごろ。ひと色になってしまった世の中、どうなるのでしょう。
2011年6月都市農業公園のあじさい
<つづく>