20180204
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2018十八番日記学而時習之(1)スーパーブルーブラッドムーン*ルイジ・エクササイズ
1月31日夜、娘とスーパーで買い物をしたあと、満月が輝くのを見ました。晩ご飯のあと、9時頃、娘息子とベランダで欠け始めた月を見ました。私のコンパクトカメラや娘のケータイではきれいに写りませんけど、ワイワイと皆既月食観察。欠けてます欠けてます。
2018年1月31日皆既月食
私のコンパクトカメラだと、これでせいいっぱい。でも、スーパーブルーブラッドムーンを見ることができて、きっといいことあるわ。9時51分、皆既月食。
全部欠けたら夜空が暗くなるのかと思っていたのですが、そんなことはなく、赤くくぐもる月が見えました。これがブラッドムーンなのね。今月の月は、1ヶ月に2度満月になり(ブルームーン)、地球に接近して大きく見える月スーパームーン。最接近ではなかったようですが、これぞ、スーパーブルームーンのブラッドムーン。
さて、月食の夜でなくても欠けっぱなしなのが、老化の頭の中。
40年も練習を続けているダンスは、練習を続けていても体力気力の衰えでどんどんダンス技量が落ちていくのがわかるので、これはこれで寂しい限り。欠ける一方です。
黒鳥のグランフェッテ32回転なんぞは神業ですが、ピルエット回転でさえ、もともと連続3回がせいぜいだったのが、いつのまにか2回転でぐらつくようにになり、今は1回転でもよろよろ。
アラベスク、もともとたいして足が上がらなかったのが、年々足の位置が低くなる。
それでも、これ以上身体を衰えさせないため少しでも体調を維持していけるようにと練習を続けています。
こういう形↓になるはずが、足位置ぼてっと(画像借り物)
現在、最初の基礎練習として先生が指導してくれているのは、ルイジ・エクササイズと呼ばれている基礎のストレッチとダンスメソッドです。
クラシックバレエの練習メソッドは早くに確立し、今でもバレエダンサーは毎日欠かさず練習しています。
アメリカでは、モダンダンスの練習方法として、イサドラダンカン・メソッドをはじめ、 R.ラバン,M.ウィグマンらが確立した基礎練習が知られています。
私が1975年に習い始めたモダンダンススタジオでは、マーサ・グレアムの筋肉の収縮と解放メソッドが中心で、毎回「コンストラクション、リリース」と言って練習していました。
ジャズダンスは、アメリカでジーン・ケリー(Gene Kelly1912-1996)らによって「ショウ・ダンス」として踊られていました。ジャズダンスとして確立された練習方法はまだ模索中であり、日本からアメリカに渡ったダンサー伊藤道郎らが、クラシックバレエの基礎訓練を中心に練習していました。
ジーン・ケリーは、あるとき卓越した技量を持つダンサーを見いだし、声をかけました。「ハリウッドに来てみないか、いっしょにミュージカルをやろう」
誘われたユージン・ルイス・ファチュート(1925-2015オハイオ州生まれ)は、ジーン・ケリーに「ルイジ・ファチュートLuigi Facchuito」という芸名をもらい、勇躍ロサンゼルスにやってきました。しかし、ロサンゼルスに到着してダンサーとしてのキャリアを始めようとした矢先、大きな交通事故にあってしまいます。ロス到着後たった2ヶ月後のことでした。頭蓋骨挫傷、10日間意識不明。右目失明。半身不随。
意識は戻ったもののベッドに横たわったまま起き上がる気力もないルイジに、医者は言いました。「こうしてベッドに寝たままだと、もう半分の筋肉も衰えて一生寝たきりになるだろう」
ダンサーとして復帰できるとはだれも思っていませんでしたが、せめて、日常生活は取り戻して欲しい、と医者は考えました。
そこから、ルイジの奇跡が始まります。ルイジはひとつひとつの筋肉を鍛え、少しずつ動けるようになっていきました。失われた半身の筋肉も、訓練を続けてだんだん復活してきたのです。まだ医学界にリハビリテーションという用語も確立していないころの話でした。
(世界保健機関(WHO)による定義 ができたのは1981年 のこと。リハビリテーションは、能力低下やその状態を改善し、障害者の社会的統合をはたすための手段)
ルイジの右目視力と顔面の一部マヒは取り戻せませんでしたが、ルイジは教師としてダンス界に復帰しました。
ルイジが自分の身体を使って、ひとつひとつの筋肉の動きを考えた基礎練習は、ルイジエクササイズとして、ジャズダンスの基礎練習に幅広く用いられ、ルイジはジャズダンス教育者として高く評価されるようになりました。
2000年9月 アメリカの振付家大賞において、ベスト教育者賞を受賞するに至り、ルイジは「キングオブジャズダンス」として多くのダンサーやハリウッドスターたちに慕われる存在となったのです。
ヨーロッパのバレエテクニックと黒人たちのジャズリズム(イノセントリズム)を取り入れたジャズダンステクニック(ユーロアメリカン・テクニック)は、ダンスメソッドとして確立したものになりました。
ルイジのモットー「決して立ち止まらずに、内側から感じるままに動くNever stop moving,Feeling from the inside」は、ジャズダンスの精神であると共に、彼からの人生へのメッセージです。
ルイジは、半身不随になった「欠けた身体」を、自分自身のたゆまぬ努力で、再び輝く身体へと努力し続けました。
現在も改良が続くリハビリの「欠けても元にもどる」という考え方は、ルイジの実践のあと、世界の常識になりました。
私の身体、衰える一方としても、衰え方を減らす努力はすべきです。ルイジが、半身不随の身体を立て直すことができたように、老化の身体も少しはたてなおすことが出来るはず。
がんばれ、私のからだ。
学びて時にこれを習う、また楽しからずや。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2018十八番日記学而時習之(1)スーパーブルーブラッドムーン*ルイジ・エクササイズ
1月31日夜、娘とスーパーで買い物をしたあと、満月が輝くのを見ました。晩ご飯のあと、9時頃、娘息子とベランダで欠け始めた月を見ました。私のコンパクトカメラや娘のケータイではきれいに写りませんけど、ワイワイと皆既月食観察。欠けてます欠けてます。
2018年1月31日皆既月食
私のコンパクトカメラだと、これでせいいっぱい。でも、スーパーブルーブラッドムーンを見ることができて、きっといいことあるわ。9時51分、皆既月食。
全部欠けたら夜空が暗くなるのかと思っていたのですが、そんなことはなく、赤くくぐもる月が見えました。これがブラッドムーンなのね。今月の月は、1ヶ月に2度満月になり(ブルームーン)、地球に接近して大きく見える月スーパームーン。最接近ではなかったようですが、これぞ、スーパーブルームーンのブラッドムーン。
さて、月食の夜でなくても欠けっぱなしなのが、老化の頭の中。
40年も練習を続けているダンスは、練習を続けていても体力気力の衰えでどんどんダンス技量が落ちていくのがわかるので、これはこれで寂しい限り。欠ける一方です。
黒鳥のグランフェッテ32回転なんぞは神業ですが、ピルエット回転でさえ、もともと連続3回がせいぜいだったのが、いつのまにか2回転でぐらつくようにになり、今は1回転でもよろよろ。
アラベスク、もともとたいして足が上がらなかったのが、年々足の位置が低くなる。
それでも、これ以上身体を衰えさせないため少しでも体調を維持していけるようにと練習を続けています。
こういう形↓になるはずが、足位置ぼてっと(画像借り物)
現在、最初の基礎練習として先生が指導してくれているのは、ルイジ・エクササイズと呼ばれている基礎のストレッチとダンスメソッドです。
クラシックバレエの練習メソッドは早くに確立し、今でもバレエダンサーは毎日欠かさず練習しています。
アメリカでは、モダンダンスの練習方法として、イサドラダンカン・メソッドをはじめ、 R.ラバン,M.ウィグマンらが確立した基礎練習が知られています。
私が1975年に習い始めたモダンダンススタジオでは、マーサ・グレアムの筋肉の収縮と解放メソッドが中心で、毎回「コンストラクション、リリース」と言って練習していました。
ジャズダンスは、アメリカでジーン・ケリー(Gene Kelly1912-1996)らによって「ショウ・ダンス」として踊られていました。ジャズダンスとして確立された練習方法はまだ模索中であり、日本からアメリカに渡ったダンサー伊藤道郎らが、クラシックバレエの基礎訓練を中心に練習していました。
ジーン・ケリーは、あるとき卓越した技量を持つダンサーを見いだし、声をかけました。「ハリウッドに来てみないか、いっしょにミュージカルをやろう」
誘われたユージン・ルイス・ファチュート(1925-2015オハイオ州生まれ)は、ジーン・ケリーに「ルイジ・ファチュートLuigi Facchuito」という芸名をもらい、勇躍ロサンゼルスにやってきました。しかし、ロサンゼルスに到着してダンサーとしてのキャリアを始めようとした矢先、大きな交通事故にあってしまいます。ロス到着後たった2ヶ月後のことでした。頭蓋骨挫傷、10日間意識不明。右目失明。半身不随。
意識は戻ったもののベッドに横たわったまま起き上がる気力もないルイジに、医者は言いました。「こうしてベッドに寝たままだと、もう半分の筋肉も衰えて一生寝たきりになるだろう」
ダンサーとして復帰できるとはだれも思っていませんでしたが、せめて、日常生活は取り戻して欲しい、と医者は考えました。
そこから、ルイジの奇跡が始まります。ルイジはひとつひとつの筋肉を鍛え、少しずつ動けるようになっていきました。失われた半身の筋肉も、訓練を続けてだんだん復活してきたのです。まだ医学界にリハビリテーションという用語も確立していないころの話でした。
(世界保健機関(WHO)による定義 ができたのは1981年 のこと。リハビリテーションは、能力低下やその状態を改善し、障害者の社会的統合をはたすための手段)
ルイジの右目視力と顔面の一部マヒは取り戻せませんでしたが、ルイジは教師としてダンス界に復帰しました。
ルイジが自分の身体を使って、ひとつひとつの筋肉の動きを考えた基礎練習は、ルイジエクササイズとして、ジャズダンスの基礎練習に幅広く用いられ、ルイジはジャズダンス教育者として高く評価されるようになりました。
2000年9月 アメリカの振付家大賞において、ベスト教育者賞を受賞するに至り、ルイジは「キングオブジャズダンス」として多くのダンサーやハリウッドスターたちに慕われる存在となったのです。
ヨーロッパのバレエテクニックと黒人たちのジャズリズム(イノセントリズム)を取り入れたジャズダンステクニック(ユーロアメリカン・テクニック)は、ダンスメソッドとして確立したものになりました。
ルイジのモットー「決して立ち止まらずに、内側から感じるままに動くNever stop moving,Feeling from the inside」は、ジャズダンスの精神であると共に、彼からの人生へのメッセージです。
ルイジは、半身不随になった「欠けた身体」を、自分自身のたゆまぬ努力で、再び輝く身体へと努力し続けました。
現在も改良が続くリハビリの「欠けても元にもどる」という考え方は、ルイジの実践のあと、世界の常識になりました。
私の身体、衰える一方としても、衰え方を減らす努力はすべきです。ルイジが、半身不随の身体を立て直すことができたように、老化の身体も少しはたてなおすことが出来るはず。
がんばれ、私のからだ。
学びて時にこれを習う、また楽しからずや。
<つづく>