
同志社のシンボルはクラーク記念館
20181211
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記京都ほんのり秋色(8)同志社大学の近代建築
10月28日午後は、同志社大学見学。
関西に縁のない上州モン。「関関同立」も、ようは知らぬのだけれど、同志社大学だけは親しみがあります。上毛かるたに「平和の使い 新島襄」という札があり、群馬県の子どもは、みな新島襄(1843-1890)の名を覚えているからです。
実は、新島襄は江戸の安中藩邸で生まれ、1864年、21歳のときアメリカに密航していきました。アメリカではアーモスト大学で「ボーイズビーアンビシャス」のクラーク博士らの教えを受け、日本人初の学士となりました。神学校も卒業して、1875年32歳で帰国しました。
帰国したときは、群馬安中の両親の家へ。滞在は3週間だったそうです。
群馬県で育ったわけではありませんが、ゆかりの人ですから、めでたく上毛かるた「へ」の項に採用)。
新島襄は、1875(明治8)年に同志社英学校(のちに同志社大学)を開学。帰国後すぐに開学できたのは、山本覚馬(京都市顧問)らの助けがあったからです。翌年1876年に覚馬の妹八重と結婚。
同志社大学は、近代建築の名所。レンガ造りの重要文化財が並んでいます。
西門、正門でキャンパスマップを配布しているのですが、マップを手に入れないでぐるぐる歩いたので、同志社付属女子中学校のほうへ入ってしまったりしました。間違えて歩くのも自由散策の楽しさですが。
アントニオ兄ご案内のおかげで、今出川キャンパス内のほとんどの建物を見ることができました。しかし、今回は新島襄八重夫妻の旧居へには行きませんでしたから、またの機会を楽しみに。
西門から入ってすぐに目に入った「彰栄館」竣工年1884(明治17)年 設計:ダニエル・クロスビー・グリーン

彰栄館のすぐそばに、礼拝堂 竣工年1886(明治19)年 設計:ダニエル・クロスビー・グリーン


礼拝堂の中(挙式のリハーサル中と、思う)

礼拝堂の設計は、アメリカンボード(アメリカ外国伝道委員会)の教会建築を手掛けてきたD・グリーン(Daniel Crosby Greene, 1843-1913)
D・グリーンは、会衆派(日本基督組合教会)宣教師として同志社大学の教壇に立ち、同志社英学校の建物を設計しました。グリーンの設計図に基づき、施行したのは京都の大工たち。
有終館も同じく、D・グリーンの設計。 竣工年1887(明治20)年 有終館は、同志社の初代図書館です。
有終館


ハリス理化学館 竣工年1886(明治19)年 設計:A・N・ハンセン

クラーク記念館 竣工年1894(明治27) 設計:R.ゼールの設計

クラーク記念館の階段

啓明館 竣工年1915 設計:.Mヴォーリーズ
同志社の2代目図書館として建設され、現在は、人文科学研究所、同志社社史資料センター、施設部として利用されています。



アーモスト館

同志社女子大学栄光館 竣工1923 設計:武田五一 改修年1951ヴォーリズ社

同志社女子大学ジェームズ館 竣工年1914 設計:武田五一

ジェームズ館内部

<きょうの工芸>
ジェームズ館の通風孔。たぶん1914年の作と思いますが、なにやら由緒正しき感じ。

同志社大学も同志社女子大学も、オープンキャンパスの日があり、また、学生ガイドによるキャンパスツアーも実施されているということなので、チャンスがあれば、また同志社の近代建築群を見に来たいと思います。オープンキャンパスの日などで、中まで案内してもらえるとまた違う気分で建物を見ることができるでしょうから。
<きょうの京ごはん>
同志社大学の学食。肉野菜炒め、ナス煮びたし、ごはん、トン汁。アントニオ兄分と2人前で1300円。兄にはこう宣言、「ランチをおごっておけば、晩御飯おごってもらえる、という夫の言に従う良き妻です」2日目も同じ手を使い、晩御飯おごってもらいました。

<きょうの出会い>

彰栄館前の広場で、何やら楽しげな一団がいました。気の早いハロウィーンの仮装かと思って近づくと、イギリスからやってきた民俗ダンスの一団。出身の市の名前を伺ったのですが、メモなしでたちまちわすれました。
おそらくは、イギリスの田舎に伝わり、メイデイ(5月祭)に踊られるというフォークダンス「ソードダンス(剣のおどり)」の類だろうと思います。

伝統的な楽器の名前もうかがったけれど、忘れました。


<きょうの京わたし>
ダンスときいて、足が痛いのに、ちょこっとだけ参加させてもらいました。剣に見立てた棒を打ち合わせます。

通りすがりの上州もんも仲間にしていただき、イギリスからいらした一団のみなさま、ありがとう、楽しかったです。
<つづく>