20181220
ぽかぽか春庭日常茶飯事典2018十八番日記京都ほんのり秋色(13)レストランノアノアと懶雲洞継ぎ紙展
10月29日月曜日。橋本関雪記念館白沙村荘へ行きました。月曜日に開いている美術館などは少なく、京都国立博物館も京都近代美術館も休みだったから選択肢は限られました。白沙村荘は年中無休です。
<きょうの建物>
橋本関雪記念館併設レストランノアノア
橋本関雪がヨーロッパで収集したコレクションの所蔵館として1929(昭和4)年に、洋館を建てました。その館を1970年に改装し新館部分をレストランとしたのが「ノアノア」
昭和初期の洋館の様式のうち、スパニッシュ様式、和風の玄関(庇は垂木形)を折衷したRC造2階建、外装モルタル塗。

予約をすればこのスパニッシュ洋館でも食事ができたらしいのですが、私は、食事は1970年に建てたという新館のみが店舗だと思って、外観だけで素通りしました。再訪の機会があれば、旧館の館内をゆっくり見たいです。
<きょうの工芸>於:橋本関雪記念館付属懶雲洞にて 川口益美「人形と王朝継ぎ紙」展
懶雲洞入り口

橋本関雪記念館の建物のひとつ懶雲洞の中で、川口益美個展「人形と王朝継ぎ紙」展をやっていました。10月25-29日展示の最終日だったので、これもご縁と思って見学しました。
継ぎ紙展お知らせのはがき

懶雲洞玄関

王朝継ぎ紙は、紙が貴重だった平安時代に、宮中の女房の手仕事として、紙の切れ端などを集め、継ぎ足して作られた紙工芸です。継ぎ紙はほとんどが散逸し、現存するのは「西本願寺本三十六人家集」のみ。展示の中に、この現存継ぎ紙の複製品が展示されていました。複製は、長年の研究の成果です。古代の継ぎ紙の製法は途絶えていたからです。
近藤富枝(1922-2016)は、着物や王朝文学についてのエッセイを書く中で王朝継ぎ紙を知り、途絶えていた技法の復興を志しました。研究を重ねて、研究会の弟子も育ちました。川口益美は、京都教室で長年習ってきたそうです。(川口個人の履歴はわかりません)
継ぎ紙については『王朝継ぎ紙の世界』近藤富枝・陽子著をどうぞ。
近藤富枝の本も何冊か読んできたけれど、私は姪の森まゆみのほうが好き。
富枝逝去後、王朝継ぎ紙研究会の主宰者は、娘の近藤陽子が引き継ぎました。
継ぎ紙の技法については、こちらのサイト。
http://jpclassic.art.coocan.jp/menu022.html
「西本願寺三十六人集」の複製品

受付をしていた「川口益美のお友達」の人が、お茶を出してくれました。さらに、テーブルの上に飾られていた「こんへいたう」をつまむようにすすめくれました。「ポルトガルから伝えられた通りの製法で作っているので、現代の金平糖よりも素朴だと思います」と。たしかに角がいくらか丸くて小さい。

「こんへいたう」をひとつふたつ摘まんでお茶をいただいて、ゆっくり継ぎ紙と人形を見せていただきました。
本当は、このような「王朝継ぎ紙って、高級な趣味ですのよ、おほほ」というような個展は好きじゃない。いつもの貧乏人ひがみ根性です。でも、こんへいたう2粒もらって、ひがみをひっこめ、「美しい紙ですね」と、感想を述べて出ました。
継ぎ紙で作ったペンダントヘッドとブローチ、「あら、きれいね」とお買い求めの方がいたので、後ろで値段を聞くと、ひとつ3000円。うん、私には買えません。
山奥の村で、老夫婦がかろうじて昔ながらの製法を守っている、という紙漉きなら、私も素直に見ることができるのです。紙を作ることがタツキになっているのが好き。
お金持ちマダムが高級そうな和服を着て観覧者を「おほほ、、、」と、笑顔で迎えるのも悪くはないけれど、、、、紙つくりはあくまで趣味で、ヒマがあってこその製作、、、、と思うと、美に対して斜に構えてしまう、私の悪い癖。
美にもいろいろあるけれど、命削って制作するのが好きっていう、、、、、。命削らなくても、美しいものが生み出せるのは知っています。遊び心も美を生む。
それに、川口さんが高級そうな和服を着ていたというだけで「有閑マダム」と決めつけるのも私の悪い癖。もしかしたら、パートの仕事をつづけながら継ぎ紙京都教室のお稽古代を捻出し、今日のために借り着を用意したのかもしれません、、、、、って、そういう雰囲気じゃありませんでしたけれど。ゆったりした落ち着いた雰囲気でした、、、、、有閑の雰囲気。
川口様、お友達さま、こんへいとうをごちそうさまでした。美しい継ぎ紙、近藤富枝さんも2016年に94歳で逝かれた今、ぜひ、その技法を後継者さんたちがきわめてくださいまし。
<きょうのひとり散歩>
白沙村荘は、銀閣寺道入り口から徒歩、とガイドに出ていたのですが、地図を見て近いような気がして、今出川通りのひとつ手前のバス停で降りてしまいました。朝、9時前。
京都大学の学生もよく利用しているという私設図書館(開館9-0時)があるのに気づいたり、町のパン屋さんで朝ご飯用のパンを買ったりしながら、ぶらぶらと歩きました。
哲学の道。
川沿いの桜、初代の桜は、橋本関雪と妻のよねが「地域のために」と植えさせました。初代の樹齢もつき、現在のは植え替えられたものですが、今も「関雪桜」と呼ばれて親しまれています。

通り道のパン屋マンシエールで買ったパンは、朝ごはんに哲学の道で食べました。
私設図書館は、入館料2時間250円で、中でコーヒーも売っているというので休みたかったですが、まだ開館9時より前でした。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典2018十八番日記京都ほんのり秋色(13)レストランノアノアと懶雲洞継ぎ紙展
10月29日月曜日。橋本関雪記念館白沙村荘へ行きました。月曜日に開いている美術館などは少なく、京都国立博物館も京都近代美術館も休みだったから選択肢は限られました。白沙村荘は年中無休です。
<きょうの建物>
橋本関雪記念館併設レストランノアノア
橋本関雪がヨーロッパで収集したコレクションの所蔵館として1929(昭和4)年に、洋館を建てました。その館を1970年に改装し新館部分をレストランとしたのが「ノアノア」
昭和初期の洋館の様式のうち、スパニッシュ様式、和風の玄関(庇は垂木形)を折衷したRC造2階建、外装モルタル塗。




予約をすればこのスパニッシュ洋館でも食事ができたらしいのですが、私は、食事は1970年に建てたという新館のみが店舗だと思って、外観だけで素通りしました。再訪の機会があれば、旧館の館内をゆっくり見たいです。
<きょうの工芸>於:橋本関雪記念館付属懶雲洞にて 川口益美「人形と王朝継ぎ紙」展
懶雲洞入り口

橋本関雪記念館の建物のひとつ懶雲洞の中で、川口益美個展「人形と王朝継ぎ紙」展をやっていました。10月25-29日展示の最終日だったので、これもご縁と思って見学しました。
継ぎ紙展お知らせのはがき

懶雲洞玄関

王朝継ぎ紙は、紙が貴重だった平安時代に、宮中の女房の手仕事として、紙の切れ端などを集め、継ぎ足して作られた紙工芸です。継ぎ紙はほとんどが散逸し、現存するのは「西本願寺本三十六人家集」のみ。展示の中に、この現存継ぎ紙の複製品が展示されていました。複製は、長年の研究の成果です。古代の継ぎ紙の製法は途絶えていたからです。
近藤富枝(1922-2016)は、着物や王朝文学についてのエッセイを書く中で王朝継ぎ紙を知り、途絶えていた技法の復興を志しました。研究を重ねて、研究会の弟子も育ちました。川口益美は、京都教室で長年習ってきたそうです。(川口個人の履歴はわかりません)
継ぎ紙については『王朝継ぎ紙の世界』近藤富枝・陽子著をどうぞ。
近藤富枝の本も何冊か読んできたけれど、私は姪の森まゆみのほうが好き。
富枝逝去後、王朝継ぎ紙研究会の主宰者は、娘の近藤陽子が引き継ぎました。
継ぎ紙の技法については、こちらのサイト。
http://jpclassic.art.coocan.jp/menu022.html
「西本願寺三十六人集」の複製品

受付をしていた「川口益美のお友達」の人が、お茶を出してくれました。さらに、テーブルの上に飾られていた「こんへいたう」をつまむようにすすめくれました。「ポルトガルから伝えられた通りの製法で作っているので、現代の金平糖よりも素朴だと思います」と。たしかに角がいくらか丸くて小さい。

「こんへいたう」をひとつふたつ摘まんでお茶をいただいて、ゆっくり継ぎ紙と人形を見せていただきました。
本当は、このような「王朝継ぎ紙って、高級な趣味ですのよ、おほほ」というような個展は好きじゃない。いつもの貧乏人ひがみ根性です。でも、こんへいたう2粒もらって、ひがみをひっこめ、「美しい紙ですね」と、感想を述べて出ました。
継ぎ紙で作ったペンダントヘッドとブローチ、「あら、きれいね」とお買い求めの方がいたので、後ろで値段を聞くと、ひとつ3000円。うん、私には買えません。
山奥の村で、老夫婦がかろうじて昔ながらの製法を守っている、という紙漉きなら、私も素直に見ることができるのです。紙を作ることがタツキになっているのが好き。
お金持ちマダムが高級そうな和服を着て観覧者を「おほほ、、、」と、笑顔で迎えるのも悪くはないけれど、、、、紙つくりはあくまで趣味で、ヒマがあってこその製作、、、、と思うと、美に対して斜に構えてしまう、私の悪い癖。
美にもいろいろあるけれど、命削って制作するのが好きっていう、、、、、。命削らなくても、美しいものが生み出せるのは知っています。遊び心も美を生む。
それに、川口さんが高級そうな和服を着ていたというだけで「有閑マダム」と決めつけるのも私の悪い癖。もしかしたら、パートの仕事をつづけながら継ぎ紙京都教室のお稽古代を捻出し、今日のために借り着を用意したのかもしれません、、、、、って、そういう雰囲気じゃありませんでしたけれど。ゆったりした落ち着いた雰囲気でした、、、、、有閑の雰囲気。
川口様、お友達さま、こんへいとうをごちそうさまでした。美しい継ぎ紙、近藤富枝さんも2016年に94歳で逝かれた今、ぜひ、その技法を後継者さんたちがきわめてくださいまし。
<きょうのひとり散歩>
白沙村荘は、銀閣寺道入り口から徒歩、とガイドに出ていたのですが、地図を見て近いような気がして、今出川通りのひとつ手前のバス停で降りてしまいました。朝、9時前。
京都大学の学生もよく利用しているという私設図書館(開館9-0時)があるのに気づいたり、町のパン屋さんで朝ご飯用のパンを買ったりしながら、ぶらぶらと歩きました。
哲学の道。
川沿いの桜、初代の桜は、橋本関雪と妻のよねが「地域のために」と植えさせました。初代の樹齢もつき、現在のは植え替えられたものですが、今も「関雪桜」と呼ばれて親しまれています。


通り道のパン屋マンシエールで買ったパンは、朝ごはんに哲学の道で食べました。
私設図書館は、入館料2時間250円で、中でコーヒーも売っているというので休みたかったですが、まだ開館9時より前でした。
<つづく>