20190414
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>令和(5)記憶に残る元号
元号で使われた漢字の頻度ランキングが出ていました。
漢字はほぼ5万字あり、そのうち、日本で日常的に使われている漢字は2000ちょい。中国でも義務教育では4718字前後。5000字ほど学習すれば、高等教育に対応できる。繁体字を使う台湾の義務教育では、3000字。漢字の画数多いので、覚えるのたいへんですからね。
ゆたか(豊)を表すに、中国簡体字「丰」台湾繁体字「豐」
パソコン用には統一したほうがいいのですが、三者ゆずらず、「我が字が最適」と主張しているので、統一ができない。
ちなみに、私は繁体字を標準とすべきと思っています。元もとの字を尊重するのがスジ。今や、漢字変換は簡単ですから、画数多くても、書く必要はない。読めればよし。体は體、芸は藝、学は學、国は國くらい覚えましょうよ。
私より上の世代は旧字で育っているので、新世代もちょこっと頑張ればなんとかなる。
そんなにたくさんある漢字のうち、日本の元号でつかわれた異なり字数は、1372年間247の元号で、たった72種の漢字。
同じ漢字が何度も使いまわされるベストテンは「永、天、元、治、応、和、長、正、文、安」です。和は、過去19回使われて、今度は20回目。
元号を全部のせている新聞雑誌記事やサイトなどがたくさんあります。
春庭は、「私の記憶に残る元号」を思い出して書いてみます。
近代の明治大正昭和平成は除き、明治のひとつ前の慶応も除外。慶応大学に名を遺したから、みな知っている。
歴史でならったので記憶に残った、というのが多いです。
大化の改新から覚えましたよね。
奈良時代になると和同開珎(今の教科書には和銅かいちん、ではなく和銅開宝わどうかいほうと教えているらしい)養老は滝がつくと全国展開。天平時代、美術の教科書で。
平安になると。延暦は寺の名で。延喜式というのもテストに出たような気がする。
鎌倉時代では承久の変。永仁は偽壺ニュースで知りました。
南北朝。建武の新政。
室町時代。応仁の乱。
安土桃山。文禄の役、朝鮮出兵。
江戸時代。慶長小判。慶安太平記(慶安の変。歌舞伎や講談。南條範夫の小説)明暦大火。元禄文化。享保の改革。天保の改革。化政文化は文化文政。安政の大獄。万延元年のフットボール(大江健三郎の小説)
247もある中で、文献見ないですらっと出てくるのはこれくらい。1300年の歴史といってもね。
元号廃止論もかまびすしき今日このごろ。記憶に残る元号を思い出して遊んでみました。
はたして、令和は千年後の人の記憶に残る元号となるやいなや。つうか、千年後には日本が残っているかどうかは、さだかでない。
文化としては残しておいていいけれど、実際の使用では西暦でも皇紀でも、一貫して使えるものを使ってほしい。安政2年から大正5年まで、何年間か、という計算すぐできる人すごい。計算めんどうなので、私は西暦派。
ま、イスラム暦はなじみがないので使わなくてもよいと思うけど。
今年は皇紀2679年だけど、やっぱり西暦が実用的か。イエスの生年を基準にしなくてもよい、という人もいるけれど、イエスの生年、現在の研究では紀元前2年ですって。
元号を詠み込んだ歌の中で一番好きな短歌
ほととぎす治承寿永の御国母三十にして経読ます寺(与謝野晶子)
天皇上皇の妻として幼い天皇の母として、国母とあがめられた女人が、ほととぎすなく山里の寺にいる。建礼門院右京大夫が「忘るるさまに衰へはてたる墨染めの姿」と記録した粗末な僧衣に身を包み、亡き子亡き夫、治承寿永の戦いで海に沈んだ一族の冥福を静かに祈っている。
国母のきらびやかな生活より静かな祈りの暮らしが不幸だとは、私は思いません。地獄を見た人の祈りの生活は、栄耀栄華の暮らしより幸福だったかもしれません。
昔、京都寂光院を訪れたときは建礼門院の読経の声が聞こえたような思いがしました。
天皇を利用し外戚となることで権力をふるった平清盛も、幼い安徳帝を抱いて海に沈んだ二位の尼も治承寿永という年号のもと歴史の中に残ります。
当初は天皇の生前退位に消極的な姿勢を見せてきた現政権でしたが、これほど「代替わり」を政治ショウとして利用できるとは思っていなかったのかも。思いっきり天皇を政治利用していますね。「令和」発表で内閣支持率が上がるというお国柄。
お祭り騒ぎはいいけれど、沖縄も原発もモリカケも解決していないことを忘れないで、令和をよい時代にしてほしいです。
<おわり>
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>令和(5)記憶に残る元号
元号で使われた漢字の頻度ランキングが出ていました。
漢字はほぼ5万字あり、そのうち、日本で日常的に使われている漢字は2000ちょい。中国でも義務教育では4718字前後。5000字ほど学習すれば、高等教育に対応できる。繁体字を使う台湾の義務教育では、3000字。漢字の画数多いので、覚えるのたいへんですからね。
ゆたか(豊)を表すに、中国簡体字「丰」台湾繁体字「豐」
パソコン用には統一したほうがいいのですが、三者ゆずらず、「我が字が最適」と主張しているので、統一ができない。
ちなみに、私は繁体字を標準とすべきと思っています。元もとの字を尊重するのがスジ。今や、漢字変換は簡単ですから、画数多くても、書く必要はない。読めればよし。体は體、芸は藝、学は學、国は國くらい覚えましょうよ。
私より上の世代は旧字で育っているので、新世代もちょこっと頑張ればなんとかなる。
そんなにたくさんある漢字のうち、日本の元号でつかわれた異なり字数は、1372年間247の元号で、たった72種の漢字。
同じ漢字が何度も使いまわされるベストテンは「永、天、元、治、応、和、長、正、文、安」です。和は、過去19回使われて、今度は20回目。
元号を全部のせている新聞雑誌記事やサイトなどがたくさんあります。
春庭は、「私の記憶に残る元号」を思い出して書いてみます。
近代の明治大正昭和平成は除き、明治のひとつ前の慶応も除外。慶応大学に名を遺したから、みな知っている。
歴史でならったので記憶に残った、というのが多いです。
大化の改新から覚えましたよね。
奈良時代になると和同開珎(今の教科書には和銅かいちん、ではなく和銅開宝わどうかいほうと教えているらしい)養老は滝がつくと全国展開。天平時代、美術の教科書で。
平安になると。延暦は寺の名で。延喜式というのもテストに出たような気がする。
鎌倉時代では承久の変。永仁は偽壺ニュースで知りました。
南北朝。建武の新政。
室町時代。応仁の乱。
安土桃山。文禄の役、朝鮮出兵。
江戸時代。慶長小判。慶安太平記(慶安の変。歌舞伎や講談。南條範夫の小説)明暦大火。元禄文化。享保の改革。天保の改革。化政文化は文化文政。安政の大獄。万延元年のフットボール(大江健三郎の小説)
247もある中で、文献見ないですらっと出てくるのはこれくらい。1300年の歴史といってもね。
元号廃止論もかまびすしき今日このごろ。記憶に残る元号を思い出して遊んでみました。
はたして、令和は千年後の人の記憶に残る元号となるやいなや。つうか、千年後には日本が残っているかどうかは、さだかでない。
文化としては残しておいていいけれど、実際の使用では西暦でも皇紀でも、一貫して使えるものを使ってほしい。安政2年から大正5年まで、何年間か、という計算すぐできる人すごい。計算めんどうなので、私は西暦派。
ま、イスラム暦はなじみがないので使わなくてもよいと思うけど。
今年は皇紀2679年だけど、やっぱり西暦が実用的か。イエスの生年を基準にしなくてもよい、という人もいるけれど、イエスの生年、現在の研究では紀元前2年ですって。
元号を詠み込んだ歌の中で一番好きな短歌
ほととぎす治承寿永の御国母三十にして経読ます寺(与謝野晶子)
天皇上皇の妻として幼い天皇の母として、国母とあがめられた女人が、ほととぎすなく山里の寺にいる。建礼門院右京大夫が「忘るるさまに衰へはてたる墨染めの姿」と記録した粗末な僧衣に身を包み、亡き子亡き夫、治承寿永の戦いで海に沈んだ一族の冥福を静かに祈っている。
国母のきらびやかな生活より静かな祈りの暮らしが不幸だとは、私は思いません。地獄を見た人の祈りの生活は、栄耀栄華の暮らしより幸福だったかもしれません。
昔、京都寂光院を訪れたときは建礼門院の読経の声が聞こえたような思いがしました。
天皇を利用し外戚となることで権力をふるった平清盛も、幼い安徳帝を抱いて海に沈んだ二位の尼も治承寿永という年号のもと歴史の中に残ります。
当初は天皇の生前退位に消極的な姿勢を見せてきた現政権でしたが、これほど「代替わり」を政治ショウとして利用できるとは思っていなかったのかも。思いっきり天皇を政治利用していますね。「令和」発表で内閣支持率が上がるというお国柄。
お祭り騒ぎはいいけれど、沖縄も原発もモリカケも解決していないことを忘れないで、令和をよい時代にしてほしいです。
<おわり>