
20190425
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>つつじ歌(1)岩上乍自いわつつじ
梅の宴の序文が話題になった万葉集。万葉仮名に親しむ機会か、と思うので、躑躅の歌もご紹介。
・山超而 遠津之濱之 石管自 迄吾来 含而有待<巻七 読み人知らず
山越えて 遠津(とほつ)の浜の 岩つつじ わが来るまでに 含(ふふ)みてあり待て
山を越えた向こうの遠津の浜に咲く岩つつじよ 私が戻るまでつぼみのまま膨らんで待っていておくれ(春庭拙訳)、、、、でもねぇ、ぷっくりと膨らんだツボミはあっと言う間に咲いちゃうのよね。
梅の宴と同じ巻2から
・ 皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首
水傳 礒乃浦廻乃 石上乍自 木丘開道乎 又将見鴨<日並皇子宮舎人
みな伝ふ、磯の浦みの、岩つつじ、茂(も)く咲く道を、またも見むかも
(お仕えしてきた皇太子が亡くなって、舎人が悲しんで作った歌)岩のそばに水が流れている。その水辺の曲りかどにある岩つつじが盛んに咲くこの道を、再び見ることが出来るであろうか(春庭拙訳)
・和銅四年辛亥河邊宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首<河辺宮人
(和銅四年辛亥、河邊宮人が、姫嶋の松原で美人の屍を見て、哀しんで作った歌四首)
加座幡夜能 美保乃浦廻之 白管仕 見十方不怜 無人念者 [或云 見者悲霜 無人思丹]
風早の 美穂の浦廻の 白つつじ 見れども寂し なき人思へば [或云 見れば悲しもなき人思ふに]
(川辺宮人が姫島の松原で美人の屍を見て悲しんで作った歌)
風が早く通り過ぎるという美保の浦。そこに咲く白つつじは見ればみるほど寂しくなる。ここで亡くなったどこのだれとも知らぬ娘さんの死が思われるから(春庭拙訳)
鮮やかな色のツツジ。躑躅と書くと、髑髏に似ているような気がしてすごい字に感じるけど、上記の「美人が行き倒れの死骸になってころがっているのを見て一首」という歌はまさに、ツツジ=髑髏のようです。
古今以後のつつじ。
『後拾遺集』より
・岩つつじ折りもてぞ見る背子が着し紅染めの色に似たれば<和泉式部
さすが恋多き和泉式部。岩つつじを見てもいとしい人が着た着物を思い出す。
『新続古今集』
・竜田川いはねのつつじ影みえてなほ水くくる春のくれなゐ<藤原定家
菅家が紅葉が浮く龍田川を詠んだのに対抗して、「つつじが水に映るのも負けてないよ」と、定家が張り合う。
万葉集では万葉仮名で「管仕」などの漢字があてられましたが、古今集になると中国語のツツジ「躑躅」が宛てられ、現代表記でもつつじと入力すると「ツツジ」「つつじ」のほか、漢字では「躑躅」が出てきます。
しかし、現代中国語ではツツジの表記は「映山紅Yìngshānhóng」が使われており、「躑躅Zhízhú」とは「ものごとに迷う」という意味に使われるそうです。「映山紅」いかにも全山つつじで燃え立ち映えています。
戦国武将も一首あげています。
『春霞集』
・岩つつじ岩根の水にうつる火の影とみるまで眺めくらしぬ<毛利元就
武将もこれくらい詠めないと名将とは言われなかった時代。戦に勝つには、戦じょうずであるだけでなく、京の文化人たる公家たちとも対等に付き合える外交術が必要でした。
自分のことを「当代きっての教養人」と思っていた細川幽斉あたりは「歌連歌乱舞茶の湯を嫌ふ人 育ちのほどを知られこそすれ」なんぞと詠んでいます。はい、私め連歌も茶の湯も不調法で、お里がしれますわね。「乱舞」はちょっとは心得たかも。アハッ、幸若舞や仕舞じゃなくて、ジャズダンスだけれど。
ご近所に燃え立つツツジ

近代現代短歌から
・我が庭に白き躑躅を薄月の夜に折りゆきしことな忘れそ<石川啄木
・傘ふかうさして君ゆくをちかたはうすむらさきにつつじ花さく<与謝野晶子

・夏早く至れる山谷草叢にはげしく紅き躑躅の静まり<宮柊二
・白つつじあやにくにして燃ゆるかなゆゑありてわれは人を裏切る<馬場あき子
人を裏切るとき、後ろめたさに身を引き裂かれる。それでも選んだ背徳の道。盛りの白ツツジは、を罪の意識の表れのように燃えたっています。いや裏切りを自覚しているからこそ真っ白なつつじにも罪の色を感じる、、、、、。
<つづく>