20200112
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録日本語教師日誌( )庶民の家でクラス会
春庭の日本語教師日誌を再録しています。
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2008/01/08
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(6)ハカセ2班担任リグン先生
年末の「クラス会その1忘年餃子パーティ」につづき、新年は、1月5日、博士2班の新年クラス会をしました。
2007年12月15日に、国際交流会館での年末餃子パーティクラス会にお招きいただいた返礼、というほどのものじゃありませんが、クラスの新年会がわりに、「日本の庶民の家を見る会」に、博士2班の留学生をお招きしたのです。
「庶民の家」というのは、私の住んでいる団地2DKじゃありません。こちらは「日本のワーキングプアの家」で、とても人様に見せられません。
第一、ヒトサマが来ても、部屋の中に入って立っている場所がない。足の踏み場がないので、床に散らばった本だの靴下だのの間に、片足ずつ交代で立たなければならず、それではあまりにも疲れるでしょうから、我がすみかへのお招きは、ちと無理なこと。
かわりに、姑の住まい、緑が丘の「庶民の家」へのお招きです。
年末、姑に連絡して「ご年始にうかがうとき、中国でお世話になった方といっしょにうかがってもいいでしょうか。みな、中国の大学で先生をしていた方々です」と、たのんでおきました。
姑は「大学のセンセにお世話になった」と聞いて、即OK。
「お世話になった大学の先生たち」のうち、「同僚」は、リグン先生ただひとり。あとは「教え子」ですが、クラス班長のリンさんにも、コンピュータ係をしてもらったマンさんにも、いろいろお世話になりました。
中国での同僚、リグン先生は、私とペアをくんで博士2班を担任していました。若いけれど大変有能なママさん先生です。
勤務先の大学から派遣され、2007年10月から1年間、私の母校で「中日漢字教育比較」というテーマで研究します。
中学1年生の息子さんの世話は、高校副校長のご主人と、隣の市に住むお姉さんに頼み、単身での日本研修。
2007年の中国滞在中に市内高層マンションにあるリグン先生のお宅に招いていただき、息子さんにも会いました。
リグン先生と、子育てや仕事との両立についてなどいろいろ話をしました。
リグン先生と私の共通の悩みは、「うちのムスコ、ゲームに夢中でちっとも勉強しない」です。
リグン先生の息子さんがゲームに夢中なのは、まあ中学生としてそういう年頃かな、と思うけれど、うちの与太郎、大学生になってもゲーム漬けの毎日です。
中学生になって最初の1年間、母親がいない状態になることについて、心配もあったことでしょう。
わたしが最初に中国単身赴任をしたとき、息子は4歳、娘は9歳だったこともたびたび話しました。
「大丈夫、母がいなくも子は育つ。しばらく離れていることで、一人っ子の息子さん、きっとたくましく育ちますよ」と。
2月の春節休暇には、中国へ一時帰国をするそうです。それまで半年間、息子さんに会えない不安も、私の「大丈夫大丈夫」で、気楽になれたかも。
<つづく>
2008/01/09
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(7)日本庶民の家
リグン先生にとっても、博士2班の留学生にとっても、「2班の先生と学生がいっしょに日本へやってきた」という状態。お互いに頼りになります。
日本語でこまったとき、学生たちはすぐに中国語でリグン先生に相談できます。すると適切な日本語表現などを教えてもらえます。
私も「日本で日本語がわからないとき、頼りにしてね」と、学生たちには言ってありましたが、実際にはリグン先生がいらっしゃる間は、私の出番はありません。中国語ができない私より、中国語日本語両方できるリグン先生のほうが、頼りになります。
リグン先生が日本語教育について発表するときは、私がリグン先生のアドバイザーになります。
日本語ではあまりお役にたたない私なので、そのかわりに「日本の庶民の家を見学しようクラス会」にお招きすることにしたのです。
留学生たちには、年末に言っておきました。
「これから指導教官の家を訪問する機会があると思いますが、そういう「上層ピープルの家」ではない、ごく普通の庶民の家というのが、どんな感じか、見ておくことも日本留学のひとつの経験になるでしょう。
私の姑の家、とても狭い家ですけれど、まあ、日本人はこんなウサギ小屋に住んでいるのだと知るのも勉強のうちと思うので、ぜひ、おいでください」
リグン先生も「教科書に、日本間の説明が書いてありましたが、実際の押入を見たことがなかったので、日本人が布団をどのように畳んでしまうものなのか、よくわからないまま学生に説明していました。そういう細かいところをぜひ見せていただきたいです。知りあいの家に招かれても、まさか押入を開けたりできませんから」と言います。
今、姑は、家をヒトサマに見せたくてたまらない時期なので、ちょうどいい。
築37年の古家を、姑ひとりの差配で改築したばかりなのです。
1月5日は、「日本人の生活はどんなものか覗いてみるのが主目的で、食べるのはメインじゃないから、食べ物は各自持ち寄りです。みな、自分の食べたいものは自腹で買って、それをおみやげにしてね」と、言っておきました。
姑には、「すぐ食べられるものをスーパーで買っていくので、お茶と漬け物でも用意しておいて」と、頼んでおきました。
<つづく>
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録日本語教師日誌( )庶民の家でクラス会
春庭の日本語教師日誌を再録しています。
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2008/01/08
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(6)ハカセ2班担任リグン先生
年末の「クラス会その1忘年餃子パーティ」につづき、新年は、1月5日、博士2班の新年クラス会をしました。
2007年12月15日に、国際交流会館での年末餃子パーティクラス会にお招きいただいた返礼、というほどのものじゃありませんが、クラスの新年会がわりに、「日本の庶民の家を見る会」に、博士2班の留学生をお招きしたのです。
「庶民の家」というのは、私の住んでいる団地2DKじゃありません。こちらは「日本のワーキングプアの家」で、とても人様に見せられません。
第一、ヒトサマが来ても、部屋の中に入って立っている場所がない。足の踏み場がないので、床に散らばった本だの靴下だのの間に、片足ずつ交代で立たなければならず、それではあまりにも疲れるでしょうから、我がすみかへのお招きは、ちと無理なこと。
かわりに、姑の住まい、緑が丘の「庶民の家」へのお招きです。
年末、姑に連絡して「ご年始にうかがうとき、中国でお世話になった方といっしょにうかがってもいいでしょうか。みな、中国の大学で先生をしていた方々です」と、たのんでおきました。
姑は「大学のセンセにお世話になった」と聞いて、即OK。
「お世話になった大学の先生たち」のうち、「同僚」は、リグン先生ただひとり。あとは「教え子」ですが、クラス班長のリンさんにも、コンピュータ係をしてもらったマンさんにも、いろいろお世話になりました。
中国での同僚、リグン先生は、私とペアをくんで博士2班を担任していました。若いけれど大変有能なママさん先生です。
勤務先の大学から派遣され、2007年10月から1年間、私の母校で「中日漢字教育比較」というテーマで研究します。
中学1年生の息子さんの世話は、高校副校長のご主人と、隣の市に住むお姉さんに頼み、単身での日本研修。
2007年の中国滞在中に市内高層マンションにあるリグン先生のお宅に招いていただき、息子さんにも会いました。
リグン先生と、子育てや仕事との両立についてなどいろいろ話をしました。
リグン先生と私の共通の悩みは、「うちのムスコ、ゲームに夢中でちっとも勉強しない」です。
リグン先生の息子さんがゲームに夢中なのは、まあ中学生としてそういう年頃かな、と思うけれど、うちの与太郎、大学生になってもゲーム漬けの毎日です。
中学生になって最初の1年間、母親がいない状態になることについて、心配もあったことでしょう。
わたしが最初に中国単身赴任をしたとき、息子は4歳、娘は9歳だったこともたびたび話しました。
「大丈夫、母がいなくも子は育つ。しばらく離れていることで、一人っ子の息子さん、きっとたくましく育ちますよ」と。
2月の春節休暇には、中国へ一時帰国をするそうです。それまで半年間、息子さんに会えない不安も、私の「大丈夫大丈夫」で、気楽になれたかも。
<つづく>
2008/01/09
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(7)日本庶民の家
リグン先生にとっても、博士2班の留学生にとっても、「2班の先生と学生がいっしょに日本へやってきた」という状態。お互いに頼りになります。
日本語でこまったとき、学生たちはすぐに中国語でリグン先生に相談できます。すると適切な日本語表現などを教えてもらえます。
私も「日本で日本語がわからないとき、頼りにしてね」と、学生たちには言ってありましたが、実際にはリグン先生がいらっしゃる間は、私の出番はありません。中国語ができない私より、中国語日本語両方できるリグン先生のほうが、頼りになります。
リグン先生が日本語教育について発表するときは、私がリグン先生のアドバイザーになります。
日本語ではあまりお役にたたない私なので、そのかわりに「日本の庶民の家を見学しようクラス会」にお招きすることにしたのです。
留学生たちには、年末に言っておきました。
「これから指導教官の家を訪問する機会があると思いますが、そういう「上層ピープルの家」ではない、ごく普通の庶民の家というのが、どんな感じか、見ておくことも日本留学のひとつの経験になるでしょう。
私の姑の家、とても狭い家ですけれど、まあ、日本人はこんなウサギ小屋に住んでいるのだと知るのも勉強のうちと思うので、ぜひ、おいでください」
リグン先生も「教科書に、日本間の説明が書いてありましたが、実際の押入を見たことがなかったので、日本人が布団をどのように畳んでしまうものなのか、よくわからないまま学生に説明していました。そういう細かいところをぜひ見せていただきたいです。知りあいの家に招かれても、まさか押入を開けたりできませんから」と言います。
今、姑は、家をヒトサマに見せたくてたまらない時期なので、ちょうどいい。
築37年の古家を、姑ひとりの差配で改築したばかりなのです。
1月5日は、「日本人の生活はどんなものか覗いてみるのが主目的で、食べるのはメインじゃないから、食べ物は各自持ち寄りです。みな、自分の食べたいものは自腹で買って、それをおみやげにしてね」と、言っておきました。
姑には、「すぐ食べられるものをスーパーで買っていくので、お茶と漬け物でも用意しておいて」と、頼んでおきました。
<つづく>