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ぽかぽか春庭「天文学と水文学」

2020-01-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200126
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録日本語教師日誌(9)

 春庭の日本語教師日誌を再録しています。
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2005/11/06 日
ニッポニアニッポン語教師日誌>水文学(1)天文学と水文学

 「天文学(てんもんがく)」
 夜空の星に興味がある人だと、ああ、宇宙や星のことを調べる天文学ね、って、すぐにわかってもらえる。私も天文学なら子どものときから知っていた。

 ことばに関心を持ち続けているけれど、専門外のこと、ことに理数系の言葉に弱い。
 「水文学」という言葉を知ったのも、つい数年前のこと。

 ちょっと前まで、「水文学」という漢字を見たら、「水」のことをあれこれ書き綴った「文学」なのかと思っただろう。「みずぶんがく」なのかな「すいぶんがく」なのかなと、読み方に頭をひねっただろう。
 水文学=すいもんがく、って、知ったのは、留学生のおかげだった。

 日本語の最初の授業。あいさつのことばを教えたあと、留学生に「わたしは○○です」と、自己紹介の言い方を教える。

 「名詞(Noun) は 名詞(Noun) です」という文型練習のひとつとして、自己紹介の言い方を教え、応用として「わたしは学生です」「私は先生じゃありません」肯定否定の言い方を練習する。

 次は、所有の格助詞「の」を加えた応用練習。「私の専門は、○○です」を練習する。
 この○○に入る言葉、テキストに語彙一覧表があるから、学生は英語の欄を見て、自分の専門を日本語で言う。

 前期の学生は、工学医学系大学院への進学者が多い。学生は、都市環境学、電子制御工学、画像診断学など、理科系の専門を○○の中にいれて言う。後期は特殊教育学、音楽教育学など、教育学の専攻者が多い。

 数年前、「私の専門は、すいもんがくです」というアジアから来た学生がいた。
 えっ?「すいもんがく」って、何でしょうか。運河の水門を設計する、「水門学」研究かなと思って、質問した。

 「どんな研究をしますか?」
 彼が英語で答えたことから推測すると、どうやら水脈の発見や水質検査を研究するらしい。
 英語では「Hydrology ハイドロロジー」なのだという。

 手持ちの英和辞書を調べたが、「Hydrography=水路学、水路測量」は載っているが、「Hydrology」は出てこない。彼が、自分の研究内容を説明したことを総合すると、水資源の開発システム、ということになる。
 じゃ、あなたの専門は、「水資源開発システム研究」ということにしましょう。「すいもんがく」では、一般の人にわかりにくいから。

 日本語ゼロスタートの彼には、「すいしげんかいはつしすてむけんきゅう」という長ったらしい専門を言うことができない。「かいはつ」が「かいはちゅ」になってしまうし、第一、長すぎる。
 「すいもんがく」は、ちゃんと発音できるのだが。

 昼休みに、英和、和英、国語辞書、広辞苑をしらべたが、「すいもんがく」は出ていなかった。
 でも、気になったので、家に帰ってから、ランダムハウス英和を調べた。
 ありました!「Hydrology=水文学、陸水学」

 次週の授業で、学生にあやまった。「ごめんね。Hydrology、すいもんがくでよかったの。私が日本語を知らなかっただけ。はい、言ってください。わたしの専門は、すいもんがくです」
 しかし、学生は「いいえ、H教授が言いました。『すいもんがく』は、日本語じゃありません。わたしの専門は、『すいもんがく』じゃ、ありません」
 
 「そうね、私も知らなかったし、H教授も『すいもんがく』を知らなかったのでしょう。でも、ちゃんとした日本語です。辞書にもあります。だから、あなたの専門は『すいもんがく』で、いいんですよ」

<つづく>

2005/11/07 月
ニッポニア教師日誌>水文学(2)すいもんがく

H教授はがんこに「すいもんがく、という言葉は、日本語にはない」と、学生にいい続けた。

彼には、自分の頭の中に入っていないHydrologyという単語、すいもんがくという日本語は、「そんな言葉はない」と、言いきるだけの自信があったのだろう。
 
 英語で学術論文を書き、専門の内容について英語で質疑応答をこなし、ジョークまじりでスピーチをこなす、というような「ネイティブと同等の英語力」を持っていないことは、私にとって、職業上の弱みである。

 しかし、「英語に弱い」という弱点があることを知っているから、知らない単語はすぐに辞書をひくことにしている。
「自分が知らないこと」に興味を持ち続け、「毎日新しいことばを知る楽しみ」を持ち続けることは、私にとって、決して弱点だけではないと思っている。

 日本語文法学動詞論を専門とする者にとって、遂行動詞とか再帰構文とか、態と相(ヴォイスとアスペクト)などのタームがなじみの用語であるのと同じく、水文学も、この分野を専門にしている人にとっては、見慣れたなじみの言葉なのだろう。

 水文学は、グーグル検索すれば、170000件も出てくる。以下、水文学の説明。

 『 自然界における水の循環を水文学的循環(hydrologic cycle)、 縮めて水文的循環または水循環といいます。この水循環を中心概念とする学問分野が水文学(hydrology) です。

 水文学が扱う研究分野は降水研究、雪氷、蒸発散、地表水、侵食と堆積、水質、 水資源システムとその相互作用などです。

 降水や蒸発散は、かつては気象学の中心的なテーマでしたが、今ではいずれも 水循環の重要な過程として、水文学の中に含められています。
 雨・雪などの降水から流出までの、主に流域を扱う分野を流域水文学、地球規模での降水、 蒸発散、水蒸気輸送なども含めた領域を扱う分野を地球水文学とわけることができます。』

 へぇ、へぇ、へぇ!!

 自分の専門分野外のこと、知らないことだらけ。いや専門分野の日本語文法、日本語教育学、日本文学についてだって、知らないことは山のようにある。

 しかし、いつでも謙虚に調べ、追求する姿勢さえ保っていれば、知らないことは恥じゃない。
 知らないことを追求する態度を忘れること、知ろうとする探求心を失うことが恥なのだ。

 コースが終了するときに学生たちは日本語でスピーチを発表する。「あいうえお」も知らないで学習を始めた留学生たち、6ヶ月の猛勉強で、それぞれの思いを日本語によって発表できるようになる。

 学生のスピーチを聞いたあと、最後にひとことずつ感想を述べる教師のスピーチで、私は『水文学』について話した。黒板に大きく「水文学、すいもんがく」と書いた。

 「このコースを教えたおかげで、新しい日本語をひとつ覚えました。『すいもんがく』です。ランダムハウス英和辞典にも、Hydrologyの訳語として、水文学が出ています。私は、最初、知りませんでした。でも、辞書を調べたらありました。

 先生はいつも学生に、『辞書を調べなさい、自分で調べなさい』と言います。でも、先生も自分で辞書を調べたほうがいいですね。
 辞書を調べて、新しい言葉を知りました。日本語のボキャブラリがひとつ増えました。ありがとう」
 と、スピーチした。

 「『すいもんがく』は、日本語じゃない」と繰り返したH教授への、せいいっぱいのメッセージのつもりだった。
 こういうことばかり言っているから、まっさきに授業コマ数減らされて、リストラされるんだけどね。

 ま、担当の授業コマ数を減らされてしまった分、週に一日の仕事なし日ができた。好奇心いっぱいに、今日も一日、辞書辞典をながめ、本を読み散らしてすごしております。

「この地球(ほし)を 経巡(へめぐ)る水を研究(きわ)めんと 水文学(すいもんがく)とふ学問のある」
「水文学(すいもんがく)はハイドロロジーの訳語だと、留学生から教わる水無月」

<つづく>
コメント
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