20220825
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記夏旅(3)富士屋ホテル宿泊
2021年夏に蒲郡クラシックホテルに宿泊した際、全国に9館あるクラシックホテル(明治~昭和前期に建設された建物を残しているホテル)の宿泊スタンプ帳を購入してありました。しかし、その後は旅行できず、スタンプは増えませんでした。今回が2個目のスタンプです。
富士屋ホテルは、姑を連れて娘息子と箱根にきたおり、お茶休憩に訪れました。(宿泊は区の保養施設利用でした)。宿泊客ではないので、ロビー以外の部分は見学できなかったので、ぜひいつかは泊まりたいと思っていましたが、今回「娘から母への、誕生日プレゼントとしての箱根旅行」として泊まることができました。「ハイシーズンだと数万円値段が異なる」という「お盆時期の一番高い時期」であるにもかかわらず、旅行社と相談しながら予約した娘に感謝。東京住民は都内宿泊でないと「なんたら割引」も使えないので、普通の旅行の3倍くらいの費用がかかったと思うので、ちょっと申し訳ない。
富士屋ホテルは、1878(明治11)年に開業。創業者の山口仙之助が箱根に保養にくる外国人のために建てた洋館から出発しました。増築を繰り返す中、 焼失や震災戦災などを乗り越えて、1997年に登録有形文化財に指定されています。建物を安全に残すため、2018年から2年間耐震工事のため休業。
耐震復元工事を経て2020年に再オープン。
館内の富士屋ミュージアムで耐震復元工事の記録がビデオで流れていました。壁も天井も、椅子も、新調したほうが簡単でしょうに、ていねいに修復しているようすがうつされていました。(重要文化財指定を受けると、タイル1枚でも元の建材を使うか、またはそっくりに復元したものを使用する必要があるのです)。
本館は1891(明治24)年の建築。
前回外観とロビーを見学したとき、感じたこと。
本館の歌舞伎座のような屋根や、花御殿の赤い欄干を建物のまわりに配したデザイン、たしかに外国人には神社のようなお寺のような感覚で「日本的」と感じさせるものなのでしょうけれど、私自身は「この赤い色、あまり落ち着かないなあ」と感じたものでした。
館内に「富士屋ホテルの歴史」を知らせる写真がたくさん並んでいました。宿泊したチャップリンなどの有名人の写真が並ぶ中、日本の作家で富士屋ホテルをごひいきにした小説家として三島由紀夫が夫人とツーショットでならんでいるのを見て、「ああ、なるほど、さもありなん」と納得。
要するに、「外国人好み」を受け入れられる感覚の持ち主は三島由紀夫だろう、と。三島は、自邸も西洋の貴族館のような、真っ白な洋館として建てています。私が見たのは、篠山紀信の写真集「三島由紀夫の家」だけで実際にやしきを見たわけじゃありませんけれど。
100年前に日本の大工棟梁が見よう見真似で建てた「偽洋館」は心楽しく見ることができるのに、現代作家が建てた真っ白な豪邸を心穏やかに見られないのは、貧乏人のひがみです。庭に噴水があり像から水が流れている写真などを見ると、ケッと言う気分になってしまう。
敷地内にたくさんの建物があります。それぞれの建設年は。
本館: 1878(明治11)年
西洋館:1906(明治39)年
花御殿:1936(昭和11)年
フォレスト・ウイング:1960(昭和35)年
今回は、富士屋の中で、「花御殿」という歴史的建造物に宿泊しました。建物探訪リポートはまたのちほど。
8月11日に宿泊したのは、花御殿の一室、くまがい草の部屋。
富士屋ホテルの口上
花御殿は富士屋ホテル建築の集大成であり、富士屋ホテルの、そして箱根のシンボルとなっています。
華麗な和風の意匠や複雑な屋根、赤い高欄付のバルコニーが特徴の独特なデザインに、設計者・山口正造の意図が強く反映されました。
「花御殿」という名にふさわしく、客室はそれぞれ花の名前で呼ばれ、豪華な内装やルームキーには部屋名にちなんだ花のモチーフが散りばめられています。
(なかでも、ヘリテージルーム「菊」は)。
昭和11年当時を再現した、格式の高い格天井、絢爛な彫刻の数々、木張りの床など、和の意匠を随所に散りばめた花御殿ならではのシンボリックなお部屋。
食堂棟、本館、西洋館を見下ろす、角部屋ならではのスケール感のある眺望も見どころのひとつ。
食堂棟、本館、西洋館を見下ろす、角部屋ならではのスケール感のある眺望も見どころのひとつ。
花御殿の各室についている花の名の札。
ドアの前にそれぞれの花のプレート
各部屋の絨毯にも手文庫にもそれぞれの花の意匠がついています。
私たちが泊まった部屋は「くまがい草」の部屋。
ヒストリック・デラックス・ツイン。最初、ヒステリック・デラックスだと思い込んでしまい、何でヒステリーなんだろうと思ってしまいました。カタカナ語に弱いので。
温泉がひかれている部屋のバス。私は夜も朝も大浴場温泉に入ったので、部屋のバスにはつかりませんでしたが、娘は利用しました。
晩御飯は、本館と道を隔ててたつ「元御用邸」という菊華荘でいただきました。
菊華荘は、1885(明治28)年、皇室の宮ノ下御用邸として造営された由緒ある純日本建築の建物 です。
8月11日夜、あいにくと雨もよいになり、菊華荘の正面写真などが撮れませんでした。
(画像借り物)
菊華亭は、「宮ノ下御用邸」と呼ばれたのは、明治天皇の第8皇女、富美宮允子(のぶこ)内親王の避暑を目的に明治28年に建てられたからです。
宮ノ下御用邸は、允子内親王が幼いころに建設されたということですから、まだアールデコ博も見ていないころ。純和風の建物です。
允子内親王は朝香宮鳩彦 と結婚しアールデコの宮邸を建設。現在の庭園美術館です。
菊華亭の料理。華懐石コース18000円。こんな高い和食、最初で最後かも。おいしくいただいたし、建物も見せていただき、娘のプレゼントとはいえ、私には贅沢のきわみ。
懐石コースお品書き
娘に感謝のばんごはんでした。
<つづく>