ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

群馬県桐生市、崇禅寺のイトヒバです!!

2015-08-11 05:42:49 | 巨樹・大木
崇禅寺は、桐生市役所の北西約4kmのところ

川内地区にあります

県道342号線を西へ、山田川の手前の沢を北上した山際にあります

崇禅寺入口に駐車スペースが有ります


百日紅の咲きほこる崇禅寺入口です

階段を上ると山門です

山門の懸額です

山門からもう一段上に鐘楼です

本堂です

庫裏の前にイトヒバが有ります



目通り幹回りは約6mです

西側からの幹です

説明版が有ります
      崇禅寺木彫阿弥陀如来
        名称及び員数   崇禅寺木彫阿弥陀如来  一軆
        指定 年月日   昭和三十三年八月一日
        所    在   桐生市川内町二丁目六百五十一番地
        所 有  者   宗教法人  崇禅寺
        像    高   百三十センチメートル
        台座の 高さ    六十センチメートル
      この阿弥陀如来像は五つの桧財を組み合わせた寄木造で、全体に漆箔がほどこされている。上品下生
     の来迎印を結び、顔は下向きの半眼で、はめ込みの玉眼、髪の生え際などのほか、三道、耳のはり、胸
     のふくらみなど鎌倉期の様式をととのえる優美な姿である。納依の彫りも深く、袖はきわめて薄く表現
     されており写実的手法のかなり進んだ鎌倉末期の作と思われる。台座は古い様式も見られるが、光背と
     ともに後の時代に作られたものである。
       崇禅寺の開山と木彫阿弥陀如来の伝承
      崇禅寺は渡良瀬川の北、鳴神山脈の枝尾根に連なる経塚山の東にいちする。開山は小倉の上人と呼ば
     れた智明上人によると伝えられている。
      弓馬に秀で将軍家に使えていた園田荘司、園田太郎成家は正治二年(1200)京都大番役として出
     仕し京都に滞在した際、法然上人により仏道に導かれ弟子となった。そして元久二年(1205)に帰
     郷し小倉村に草庵をつくり、家子郎従を教導した。

      群馬県指定天然記念物  崇禅寺のイトヒバ
        名称及び員数   崇禅寺のイトヒバ  一本
        指定 年月日   平成二十年三月二十七日
        所    在   桐生市川内町二丁目六百五十一番地
        所 有  者   宗教法人   崇禅寺
        大きさ
          樹 高      22.25m
          樹木幅  東西  17.17m
               南北  16.2m
          目通り  直径   1.94m
      イトヒバは境内の東、庫裏の西側に存在する。
      和名はイトヒバ、ヒヨクヒバでヒノキ科に属する。サワラの一変種で枝分かれした小枝や細い枝は長く
     糸のようにたれる。本種は一般的には樹高5~10メートルほどになるが、これほど大きな物は珍しく県
     内においてもまれにみる巨木であり古樹である。
        平成二十二年三月設置             群馬県教育委員会 桐生市教育委員会
                               宗教法人 崇禅寺 崇禅寺の自然を守る会





境内の真ん中には、大きな松ノ木がありました

では、次へ行きましょう
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