大森城山公園は、福島市役所の南西約4kmのところ
県道148号線を南へ進むと、右手に見えて来ます
山頂部分は公園化されていますが、本丸跡はあまり手を加えられていないようです
公園の駐車場を利用させていただきました
東側から大森城山を見ます
東側の登り口です
駐車場の案内板です、コースを確認しましょう
本丸へ向かいましょう
北側には東北自動車道が見えます、急な崖になっています
東端には妙見尊の碑があります、弁慶の足跡だそうです
伊達正宗子孫手植えの松です
土塁が見えて来ました
空堀です
説明版です
(史跡)大森城の空濠
東南の急崖に面し、西北に低い丘陵に連なるこの大森城は、地形上からは西北方の防備に
力を注いだもので、その防備の一つがこの空濠である「腰廓」という名もある。
城の本丸を囲むように築かれたこの空濠は、深さ4m、幅6mと推定されている。
空濠は水のたまらない濠のことで、兵器が弓、槍、刀、などによった中世の戦争には、有
力な防備施設であって、中世城郭にはよく備えられたものである。
これを西の固めとして、中世武士がこのあたりを巡回したであろうよすがをしのぶ場所で
ある。
ディスカバー・マイ・カントリー
福島信夫ライオンズクラブ
本丸へ上がりましょう
本丸です
本丸跡碑です
大森城の歴史年表です
直ぐ傍に祠が祀られています
大森城址の碑と説明版です
この碑は大正15年(1926)大森出身の国鉄職員有志が発起人となり建立されたもの。
大森城の歴史を詳しく記述してあり、この場所が東北本線から望観できるため、列車に乗務する職員
が懐古の念による旨とも読み取れる。
篆額は旧福島藩主板倉勝憲、碑文は旧制福島中学校教師堀江繁太郎、書は円通寺十世機徹東関和尚であ
る。
福島県治の西南1里許信夫郡大森村に俊陵あり城山と云うその形によりて又臥牛山の稱あり之に登れ
ば展望賞すべく之に對すれば雄姿仰ぐべし所謂勝景と要害とおを兼するもの是を大森城の遺趾となす
・・・
本丸の南側一段下に古墳があります
大森城山古墳東一号墳です
北下の郭です
大森城山物見櫓ですが、時代考証とは何の関係もないようで、怪しい天守閣の様です
福島市内を見下ろしました
では、次へ行きましょう
県道148号線を南へ進むと、右手に見えて来ます
山頂部分は公園化されていますが、本丸跡はあまり手を加えられていないようです
公園の駐車場を利用させていただきました
東側から大森城山を見ます
東側の登り口です
駐車場の案内板です、コースを確認しましょう
本丸へ向かいましょう
北側には東北自動車道が見えます、急な崖になっています
東端には妙見尊の碑があります、弁慶の足跡だそうです
伊達正宗子孫手植えの松です
土塁が見えて来ました
空堀です
説明版です
(史跡)大森城の空濠
東南の急崖に面し、西北に低い丘陵に連なるこの大森城は、地形上からは西北方の防備に
力を注いだもので、その防備の一つがこの空濠である「腰廓」という名もある。
城の本丸を囲むように築かれたこの空濠は、深さ4m、幅6mと推定されている。
空濠は水のたまらない濠のことで、兵器が弓、槍、刀、などによった中世の戦争には、有
力な防備施設であって、中世城郭にはよく備えられたものである。
これを西の固めとして、中世武士がこのあたりを巡回したであろうよすがをしのぶ場所で
ある。
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本丸へ上がりましょう
本丸です
本丸跡碑です
大森城の歴史年表です
直ぐ傍に祠が祀られています
大森城址の碑と説明版です
この碑は大正15年(1926)大森出身の国鉄職員有志が発起人となり建立されたもの。
大森城の歴史を詳しく記述してあり、この場所が東北本線から望観できるため、列車に乗務する職員
が懐古の念による旨とも読み取れる。
篆額は旧福島藩主板倉勝憲、碑文は旧制福島中学校教師堀江繁太郎、書は円通寺十世機徹東関和尚であ
る。
福島県治の西南1里許信夫郡大森村に俊陵あり城山と云うその形によりて又臥牛山の稱あり之に登れ
ば展望賞すべく之に對すれば雄姿仰ぐべし所謂勝景と要害とおを兼するもの是を大森城の遺趾となす
・・・
本丸の南側一段下に古墳があります
大森城山古墳東一号墳です
北下の郭です
大森城山物見櫓ですが、時代考証とは何の関係もないようで、怪しい天守閣の様です
福島市内を見下ろしました
では、次へ行きましょう