宝林寺は、福島市役所の南南西約2kmのところ
県道148線の東側、阿武隈川と荒川に挟まれた御倉町にあります
福島民友社ビルの南東側です、一方通行道路に注意いて北側の信号から入ります
宝林寺境内に駐車スペースがあります
宝林寺入口です
案内板です
行樹山役誠院 宝林寺
鎌倉時代中期に一遍上人により開かれた時宗の寺であり、阿弥陀如来を本尊としている。
境内には、市内で最も古い木造建築の一つとされ、享保11年(1726)に再建された
熊野堂や樹齢およそ700年とされる大銀杏がある。
福島の城下まちづくり協議会
大銀杏です、本堂と墓地の間の境内南側に在ります
本堂です
由緒碑です
一遍上人を宗祖とし、藤沢の遊行寺を総本山とする時宗行樹山宝林寺は、二祖真教上人が武蔵
下野を巡り、更に、阿武隈の流れに沿って北上遊行の際、此処を妙縁の地と卜して開山せられ
た。時に永仁5年、爯来、法灯相継いで687年に及んだ。
その間、当山は数次に亘って炎上し、遂には天保3年に建造した仮本堂のまま今日に至った。
しかし、その荒廃は既に看過するを許さず、総代世話人相寄諮り、檀徒一同これに賛同して資
財を拠出し、更に、寺有地の一部を充て、寺容の一切を改新再建した。
寺門の中興を担われた多田昭道師を迎え、その再建の成就に力を尽くした高野栄三郎・斉藤芳
高両氏の功労は、当山有縁のものの等しく心から多とするところ。
当山中興の来歴を記すに当たり、附記してその功を讃える。
昭和59年12月16日落慶の日
時宗宝林寺檀徒一同
齋藤晃昇職
熊野堂です
本堂前(北東側)から
東側から
南側から、目通り幹回り8,4mの巨木です
では、次へ行きましょう
県道148線の東側、阿武隈川と荒川に挟まれた御倉町にあります
福島民友社ビルの南東側です、一方通行道路に注意いて北側の信号から入ります
宝林寺境内に駐車スペースがあります
宝林寺入口です
案内板です
行樹山役誠院 宝林寺
鎌倉時代中期に一遍上人により開かれた時宗の寺であり、阿弥陀如来を本尊としている。
境内には、市内で最も古い木造建築の一つとされ、享保11年(1726)に再建された
熊野堂や樹齢およそ700年とされる大銀杏がある。
福島の城下まちづくり協議会
大銀杏です、本堂と墓地の間の境内南側に在ります
本堂です
由緒碑です
一遍上人を宗祖とし、藤沢の遊行寺を総本山とする時宗行樹山宝林寺は、二祖真教上人が武蔵
下野を巡り、更に、阿武隈の流れに沿って北上遊行の際、此処を妙縁の地と卜して開山せられ
た。時に永仁5年、爯来、法灯相継いで687年に及んだ。
その間、当山は数次に亘って炎上し、遂には天保3年に建造した仮本堂のまま今日に至った。
しかし、その荒廃は既に看過するを許さず、総代世話人相寄諮り、檀徒一同これに賛同して資
財を拠出し、更に、寺有地の一部を充て、寺容の一切を改新再建した。
寺門の中興を担われた多田昭道師を迎え、その再建の成就に力を尽くした高野栄三郎・斉藤芳
高両氏の功労は、当山有縁のものの等しく心から多とするところ。
当山中興の来歴を記すに当たり、附記してその功を讃える。
昭和59年12月16日落慶の日
時宗宝林寺檀徒一同
齋藤晃昇職
熊野堂です
本堂前(北東側)から
東側から
南側から、目通り幹回り8,4mの巨木です
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