木幡神社一の鳥居の直ぐ上から、西側を廻って神社参道脇の駐車場へ上がって来ました
20台ほどの駐車スペースに、手水舎とトイレがあります
駐車場へ上がって来ました、案内板を確認しましょう
手水舎があります
石段の参道をすすみます
ふくしま緑の百景 木幡山のスギとマツですが、一の鳥居のマツは切られてしまいましたね~
東屋のところに大杉がありますが、表記の大杉ではありません、木幡山のスギはもう少し上です
神社への道を右に見て、左側に巨木があります
天然記念物碑です
説明版です
国指定天然記念物
木幡の大スギ
昭和6年3月27日指定
根元の周囲16,2m、目通り幹囲9,33m、樹高約20m、推定樹齢700年といわれ、杉の
巨樹として著しいものである。
当社は海抜660mの高峻な山上にる延喜式内の古社で、両部習合して隠津島弁天といわれ、二本
松藩主丹羽光重は東安達の総鎮守とした。境内には、スギ、その他の老木が多く、蒲生氏が栽植した
という目通り幹囲7m以上のスギ・ヒノキ5本、4m以上の巨木が数十本ある。
二本松市教育委員会
大きいです
南側から
スギ傍らに建つ山門神社です
説明版です
二本松市指定有形文化財
木幡山門神社本殿 一棟
昭和55年8月29日指定
延喜域内社といわれる木幡山隠津島神社の旧本殿で、桁行3間、梁間2間、単層、入母屋造りであ
る。
二代二本松藩主・丹羽長次により、貞享3年(1686)本宮再建に際し旧社殿を当地に移したも
のである。
スギの北側にある板碑群です
説明版です
二本松市指定有形文化財
木幡山の板碑 一基
平成15年2月1日指定
この一帯は、古代の弘隆寺(現・治陸寺)の堂塔があった地域であり、自然石を加工した供養碑が
たつ。
碑面上部に阿弥陀如来、その下左に観音菩薩、右下に勢至菩薩の梵字が蓮台の上に彫られ、中央に
元亨元年卯月14日と刻されているが、左右に文字があったかどうかは読みとれない、造立年月は、
元亨元年(1321)4月である。
小幡神社へいきましょう
20台ほどの駐車スペースに、手水舎とトイレがあります
駐車場へ上がって来ました、案内板を確認しましょう
手水舎があります
石段の参道をすすみます
ふくしま緑の百景 木幡山のスギとマツですが、一の鳥居のマツは切られてしまいましたね~
東屋のところに大杉がありますが、表記の大杉ではありません、木幡山のスギはもう少し上です
神社への道を右に見て、左側に巨木があります
天然記念物碑です
説明版です
国指定天然記念物
木幡の大スギ
昭和6年3月27日指定
根元の周囲16,2m、目通り幹囲9,33m、樹高約20m、推定樹齢700年といわれ、杉の
巨樹として著しいものである。
当社は海抜660mの高峻な山上にる延喜式内の古社で、両部習合して隠津島弁天といわれ、二本
松藩主丹羽光重は東安達の総鎮守とした。境内には、スギ、その他の老木が多く、蒲生氏が栽植した
という目通り幹囲7m以上のスギ・ヒノキ5本、4m以上の巨木が数十本ある。
二本松市教育委員会
大きいです
南側から
スギ傍らに建つ山門神社です
説明版です
二本松市指定有形文化財
木幡山門神社本殿 一棟
昭和55年8月29日指定
延喜域内社といわれる木幡山隠津島神社の旧本殿で、桁行3間、梁間2間、単層、入母屋造りであ
る。
二代二本松藩主・丹羽長次により、貞享3年(1686)本宮再建に際し旧社殿を当地に移したも
のである。
スギの北側にある板碑群です
説明版です
二本松市指定有形文化財
木幡山の板碑 一基
平成15年2月1日指定
この一帯は、古代の弘隆寺(現・治陸寺)の堂塔があった地域であり、自然石を加工した供養碑が
たつ。
碑面上部に阿弥陀如来、その下左に観音菩薩、右下に勢至菩薩の梵字が蓮台の上に彫られ、中央に
元亨元年卯月14日と刻されているが、左右に文字があったかどうかは読みとれない、造立年月は、
元亨元年(1321)4月である。
小幡神社へいきましょう