両之木八幡宮は、笛吹市役所の東約6kmのところ
国道20号線バイパスと大形農免道路の交差点の南西側にあります
直東側のホームセンターの駐車場を利用させていただきました
東側にあるホームセンターの駐車場から神社を見ました
両之木八幡宮です
鳥居の脇にはケヤキの大木が在ります
拝殿です
本殿です
境内には神社の名前になっている両ノ木が有ります
両之木八幡宮由来記の石碑です
両之木八幡神社(呼び名)の由来
明治の初期、村の人々は境内にある杉の木の根が結合しているのを発見し、
明治8年頃より八幡神社を両之木八幡神社と呼び親しむようになった。
この形の樹木は他に3組の杉と1組の欅にも見られ、平成元年4月に、生き
た桧の根が結合しているのが発見されている。
そのため明治初期発見された頃より村の鎮守の社、両之木八幡神社は縁結び
家内安全、夫婦円満の神として尊崇のまととなっている。
平成2年4月吉日 末木区 両之木八幡神社氏子総代
本殿脇には根の繋がった切株が祀られています
本殿裏側には、石塔や祠が並んでいますが
本殿真裏には御神木の杉が在ります
本殿右後ろから見上げました
北西側からみました、目通り幹周り5,9mの巨木です
杉の西側のケヤキの大木が在りますが~
主幹が腐れて倒れていて、ロープで入らない様になっていました
ケヤキ前にも祠があります
平成の社植樹の石碑です
両之木八幡神社の境内には、400年余りの永い歳月にわたって氏子たちの
生活を見守り、私達の慶びにつけ優しいにつけ、その心を育んで呉れた鎮守の
森が緑濃く繁っていました。
今は、国道20号バイパスと大型農免道路の交差点の要衝ともいうべき位置
に在り、自然災害の落雷や台風の被害に加え車の排気ガスにより、年毎に樹勢
が著しく衰えて来ました、昔の様な鎮守の森を後世に譲り渡したく、氏子総代
・顧問で協議し、桧450本を植樹しました。
御祭神誉田別命の御加護により、郷土の平和と発展、私達氏子の生活が末永
く栄ることを願い、ここに記し後世に伝えます。
平成4年4月8日
では、次へ行きましょう
国道20号線バイパスと大形農免道路の交差点の南西側にあります
直東側のホームセンターの駐車場を利用させていただきました
東側にあるホームセンターの駐車場から神社を見ました
両之木八幡宮です
鳥居の脇にはケヤキの大木が在ります
拝殿です
本殿です
境内には神社の名前になっている両ノ木が有ります
両之木八幡宮由来記の石碑です
両之木八幡神社(呼び名)の由来
明治の初期、村の人々は境内にある杉の木の根が結合しているのを発見し、
明治8年頃より八幡神社を両之木八幡神社と呼び親しむようになった。
この形の樹木は他に3組の杉と1組の欅にも見られ、平成元年4月に、生き
た桧の根が結合しているのが発見されている。
そのため明治初期発見された頃より村の鎮守の社、両之木八幡神社は縁結び
家内安全、夫婦円満の神として尊崇のまととなっている。
平成2年4月吉日 末木区 両之木八幡神社氏子総代
本殿脇には根の繋がった切株が祀られています
本殿裏側には、石塔や祠が並んでいますが
本殿真裏には御神木の杉が在ります
本殿右後ろから見上げました
北西側からみました、目通り幹周り5,9mの巨木です
杉の西側のケヤキの大木が在りますが~
主幹が腐れて倒れていて、ロープで入らない様になっていました
ケヤキ前にも祠があります
平成の社植樹の石碑です
両之木八幡神社の境内には、400年余りの永い歳月にわたって氏子たちの
生活を見守り、私達の慶びにつけ優しいにつけ、その心を育んで呉れた鎮守の
森が緑濃く繁っていました。
今は、国道20号バイパスと大型農免道路の交差点の要衝ともいうべき位置
に在り、自然災害の落雷や台風の被害に加え車の排気ガスにより、年毎に樹勢
が著しく衰えて来ました、昔の様な鎮守の森を後世に譲り渡したく、氏子総代
・顧問で協議し、桧450本を植樹しました。
御祭神誉田別命の御加護により、郷土の平和と発展、私達氏子の生活が末永
く栄ることを願い、ここに記し後世に伝えます。
平成4年4月8日
では、次へ行きましょう