谷川地区は、みなかみ町役場の北約13kmのところ
国道291号線の谷川信号を県道252号線へ
谷川温泉郷やホワイトバレースキー場の方向西へ進みます
スキー場への近道では無く、温泉街からスキー場への道へ入ると
間も無く左側に鳥居が見えて来ます
冨士浅間神社への入り口です
(温泉街を回り込んで西側から神社参道前へ、参道脇に車を止める事が出来ました)
参道を上がってくると杉並木の先に赤い社殿が見えて来ました
手水舎
冨士浅間神社の社殿です
浅間神社標柱はマイナスイオンの値、リフレッシュ度を示しています
説明版です
水上町指定重要文化財
冨士浅間神社中宮
指定年月日 昭和51年10月22日
冨士浅間神社は古くから谷川岳にまつわる山岳信仰の
中心的な役割を果たしてきました。
社殿は現在までに数回にわたり改築が施されてきまし
たが、所蔵されている棟札は寛文3年(1663年)と
万治元年(1658年)の二つがあり、そのいずれかの
年代に当時の領主である沼田城主真田氏によって造営さ
れものと考えられます。現在は木造覆い屋の中にあり、
社殿全体の形式は三間社流造で、正面中央一ヶ所に扉口
が設けられています。社殿の規模様式は江戸前期におけ
る地方の神社としてはかなり立派なものでした。
奥の院は谷川岳山頂にあり、御神体である懸け仏(鏡
)が祀られていましたが、現在は水上町歴史民俗資料館
に展示されています(水上町指定重要文化財)。
毎年、4月29日には春祭りが開催され、向かいの舞
殿において太々神楽が奉納されます。
水上町教育委員会
神楽殿(舞殿)です
谷川冨士浅間神社祭典の説明版です
春の大祭 4月29日
谷川冨士浅間神社の祭典は7百余年の歴史があり、毎
年春秋二回行われます、春祭りは、五穀豊穣・天下泰平
を祈願して盛大に執り行われ、投げ餅・福引き・おでん
等が参拝者に振る舞われます。また慶長6年(1601
年)、沼田城主真田信幸が、当神社と薬師堂に永楽銭三
百貫文を寄進した際、之を記念して始まった太々神楽が
今日に伝わり、保存会の有志によって奉納されます。
「谷川今昔物語」橋本清喬著より「森の祭禮」青柳玲子画
木花咲耶姫命と谷川温泉
むかし昔のことだったと。
谷川岳に夜のとばりがおりて村の衆がこれから寝床に
入ろうとしてたころのこと、天空に顔を向けると、目に
入ったのが、虹のような半円の光だった。
「ややっ、ありゃなんだっぺ」
光は谷川村をまるで日の出のように明るくしていた。
あくる日、祈祷師をよんだと。
「このような事は前に一度聞いた事がある。これは冨
士浅間大菩薩様がこの山に願いをたてられあらわれたも
のと思われまする。いいことが授かるやもしれませぬ。」
と言うのだ。
年寄りも若者も、男という男は山にのぼっていった。
ところが、急な山肌は岩また岩、とても登れるはずが
ない。やめる者が次々にでた。
「おらあ。腹がへって動きがとれねぇ。」
と言う者もいて、わずか3人になった。
「水が飲みてぇ。」
ひとりが言うとあとの二人も喉が渇いてどうにもなら
ない。
三人がおしだまったまま空を見ていると、ちょろちょ
ろと、水の音が聞こえるのだ。
「水だっ。」
三人は同時に起き上がろうとしたが、足を滑らせ、だ
だだだっと滑り落ちた。
「ヒェツ、助かった。」m「水だ。水だっ、」「あり
ゃ、桜の花びらだ。こりゃ、」
振り仰ぐと桜の老木が目の前にあるではないか。
「もしもし、」
かぼそい声が聞こえてきた。輝くばかりの美しい姫が
呼び止めた。
「私は木花咲耶姫と言って、ここまでたどりついた方
方に神の恵みを授けるため、ここにいるのです。」
そして咲き乱れる花びらを摘んで、はらはらと落した。
花びらは衣のすそに降り掛かりながら、岩の隙間に落
ちて行った。
「あっ、湯だ。温泉だぁ。」「ありがてぇ、ありがて
ぇ。」
ふと見上げると、咲耶姫は消えていた。
この湯は麓の谷川村までおろされ、いまの谷川温泉と
なったと。
衣のすその下から湧き出した湯だから、みもすその湯
とよんだと。
「湯のくにむかしむかし」青柳千年著より
ムレスギは何処かと見渡しました
境内の北側の建物の屋根の上にムレスギの樹冠が見えます
ムレスギです
南側から
南東側から
天然記念物標柱と説明版です
ムレスギ(箒スギ)
全国的にも数が少ない貴重な樹種であります。
この水上町のように3本もあるのは他に例がなく
、そのうち2本はこの谷川温泉にあります。ここ
にあるのが谷川ムレスギ1号です。
谷川温泉観光協会
もう一本のムレスギは見つけられませんでした
またチャレンジしましょうね
では、次へ行きましょう
国道291号線の谷川信号を県道252号線へ
谷川温泉郷やホワイトバレースキー場の方向西へ進みます
スキー場への近道では無く、温泉街からスキー場への道へ入ると
間も無く左側に鳥居が見えて来ます
冨士浅間神社への入り口です
(温泉街を回り込んで西側から神社参道前へ、参道脇に車を止める事が出来ました)
参道を上がってくると杉並木の先に赤い社殿が見えて来ました
手水舎
冨士浅間神社の社殿です
浅間神社標柱はマイナスイオンの値、リフレッシュ度を示しています
説明版です
水上町指定重要文化財
冨士浅間神社中宮
指定年月日 昭和51年10月22日
冨士浅間神社は古くから谷川岳にまつわる山岳信仰の
中心的な役割を果たしてきました。
社殿は現在までに数回にわたり改築が施されてきまし
たが、所蔵されている棟札は寛文3年(1663年)と
万治元年(1658年)の二つがあり、そのいずれかの
年代に当時の領主である沼田城主真田氏によって造営さ
れものと考えられます。現在は木造覆い屋の中にあり、
社殿全体の形式は三間社流造で、正面中央一ヶ所に扉口
が設けられています。社殿の規模様式は江戸前期におけ
る地方の神社としてはかなり立派なものでした。
奥の院は谷川岳山頂にあり、御神体である懸け仏(鏡
)が祀られていましたが、現在は水上町歴史民俗資料館
に展示されています(水上町指定重要文化財)。
毎年、4月29日には春祭りが開催され、向かいの舞
殿において太々神楽が奉納されます。
水上町教育委員会
神楽殿(舞殿)です
谷川冨士浅間神社祭典の説明版です
春の大祭 4月29日
谷川冨士浅間神社の祭典は7百余年の歴史があり、毎
年春秋二回行われます、春祭りは、五穀豊穣・天下泰平
を祈願して盛大に執り行われ、投げ餅・福引き・おでん
等が参拝者に振る舞われます。また慶長6年(1601
年)、沼田城主真田信幸が、当神社と薬師堂に永楽銭三
百貫文を寄進した際、之を記念して始まった太々神楽が
今日に伝わり、保存会の有志によって奉納されます。
「谷川今昔物語」橋本清喬著より「森の祭禮」青柳玲子画
木花咲耶姫命と谷川温泉
むかし昔のことだったと。
谷川岳に夜のとばりがおりて村の衆がこれから寝床に
入ろうとしてたころのこと、天空に顔を向けると、目に
入ったのが、虹のような半円の光だった。
「ややっ、ありゃなんだっぺ」
光は谷川村をまるで日の出のように明るくしていた。
あくる日、祈祷師をよんだと。
「このような事は前に一度聞いた事がある。これは冨
士浅間大菩薩様がこの山に願いをたてられあらわれたも
のと思われまする。いいことが授かるやもしれませぬ。」
と言うのだ。
年寄りも若者も、男という男は山にのぼっていった。
ところが、急な山肌は岩また岩、とても登れるはずが
ない。やめる者が次々にでた。
「おらあ。腹がへって動きがとれねぇ。」
と言う者もいて、わずか3人になった。
「水が飲みてぇ。」
ひとりが言うとあとの二人も喉が渇いてどうにもなら
ない。
三人がおしだまったまま空を見ていると、ちょろちょ
ろと、水の音が聞こえるのだ。
「水だっ。」
三人は同時に起き上がろうとしたが、足を滑らせ、だ
だだだっと滑り落ちた。
「ヒェツ、助かった。」m「水だ。水だっ、」「あり
ゃ、桜の花びらだ。こりゃ、」
振り仰ぐと桜の老木が目の前にあるではないか。
「もしもし、」
かぼそい声が聞こえてきた。輝くばかりの美しい姫が
呼び止めた。
「私は木花咲耶姫と言って、ここまでたどりついた方
方に神の恵みを授けるため、ここにいるのです。」
そして咲き乱れる花びらを摘んで、はらはらと落した。
花びらは衣のすそに降り掛かりながら、岩の隙間に落
ちて行った。
「あっ、湯だ。温泉だぁ。」「ありがてぇ、ありがて
ぇ。」
ふと見上げると、咲耶姫は消えていた。
この湯は麓の谷川村までおろされ、いまの谷川温泉と
なったと。
衣のすその下から湧き出した湯だから、みもすその湯
とよんだと。
「湯のくにむかしむかし」青柳千年著より
ムレスギは何処かと見渡しました
境内の北側の建物の屋根の上にムレスギの樹冠が見えます
ムレスギです
南側から
南東側から
天然記念物標柱と説明版です
ムレスギ(箒スギ)
全国的にも数が少ない貴重な樹種であります。
この水上町のように3本もあるのは他に例がなく
、そのうち2本はこの谷川温泉にあります。ここ
にあるのが谷川ムレスギ1号です。
谷川温泉観光協会
もう一本のムレスギは見つけられませんでした
またチャレンジしましょうね
では、次へ行きましょう