ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福岡県宇美町、宇美八幡宮奥宮「応神天皇御胞衣浦」です!!

2019-05-27 21:38:23 | 文化財・寺社
宇美町役場の北約600mのところに宇美公園が有ります

宇美八幡宮の裏参道から応神周遊コースで向かいましょう

応神周遊コース案内です
 宇美町では、平成8年2月に自然と調和し
た快適生活環境の創造に向けてをテーマに、
「宇美町緑のオアシスネットワーク構想」を
作成し、平成8年度から平成12年度までの
5ヶ年計画で緑道及び公園整備事業を完成し
ました。その中で、宇美町を訪れる多くの人
々が宇美八幡宮の参拝を目的としていること
や、周辺の歴史的資源を紹介するため、宇美
八幡宮を拠点に、応神周遊コースを設定し、
これらの存在を案内するものです。

宇美の地名
 応神天皇御誕生の宇美について、その地名
は上古神武天皇時代から蚊田と語られていた
が、応神天応御誕生により宇彌と号するよう
になった。また、魏志倭人伝(西暦240年)
には邪馬台国への道程の地名の中に帯方郡-
任那-対馬国-一支国-末虚国-伊都国-奴
国-不彌国(宇美)-投馬国-邪馬台国で初
めて宇美の地名が出てくる。
 邪馬台国の論争でも、新井白石や本居宣長
も「不彌国を応神天皇の生まれた伝説の筑紫
国宇彌」としている。
宇美八幡宮
 神功皇后様が、応神天皇を御誕生の地で御
創建は敏逹天皇の御代とされている。古典に
宇美の地に応神天皇を御安産されたことから
昔、蚊田の里と称していたこの地に宇美の地
名が起こり鎮祭され安産信仰の伝説を数々今
日に伝えている。
応神天皇
 誉田別尊、胎中天皇とも称し仲哀天皇(香
椎で逝去)と神功皇后の御子様で宇美八幡宮
で御誕生された。幼くして聴明思慮深く天賦
の才を備え稀なる聖天子と古典に記されてい
る。御陵は大阪にあり全体の長さが415m
の前方後円墳として全国でも有名である。
神功皇后(息長足姫命)
 仲哀天皇の御皇后様で仲哀天皇御逝去の後
、九州動乱の原因が朝鮮半島にあるとし男の
装いをして海を渡られ新羅を討ち九州動乱の
元を断ち、日本の防衛を図りさらに高句麗と
戦い半島侵略の野望を砕いて百済を救われた
。朝鮮三韓を平定され宇美八幡宮の地で応神
天皇を御誕生され摂政として永く幼帝を助け
られたという伝説がある。

本殿東側から鳥居(裏参道か?)をくぐって進みます

赤い欄干の橋が見えてきます

橋の上から宇美川の東側です

宇美川の西側です

橋を渡って石段を上ると公園入口の鳥居です

ニノ鳥居です

宇美八幡宮奥の院(応神天皇御胞衣浦)の祠です

応神天皇御胞衣浦の木柱です

鳥居前から宇美八幡宮方向を見ました

では、JRうみ駅に戻って次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡県宇美町、宇美八幡宮の「蚊田の森」(県指定)です!!

2019-05-27 06:20:16 | 巨樹・大木
宇美八幡宮は、宇美町役場の北西約400mのところ

県道69号線に面し西南西向の参道で鎮座します

湯蓋の森と衣掛の森に代表される大樟ですが


宇美八幡宮の大樟2本の外の樟林を「蚊田の森」とよんでいます
由緒書
  蚊田(かた)の森
 当宮境内の樟樹は、枝張り樹勢共に至って旺盛、外観は
一大樟林の壮観を呈し亭亭として聳える様は”生命の息吹”
を強く感じます。社地の古名から「蚊田の森」として昭和
34年に県の天然記念物に指定されています



参道入口から見ました

参道の両側にも樟の大木が並びます

まずは、衣掛の森の西側社務所の東側の樟の巨木です

南側駐車場奥稲荷神社の樟の巨木です

稲荷神社です

南側駐車場から見た湯蓋の森の南側の樟です、こちらも巨木です




本殿の後側の南側から聖母宮です
由緒書
  聖母宮(しょうもぐう)
 安産に因む信仰から、母后に対する特別な崇敬を以て、
宝永3年に造営され県下の代表的秀作とされる「聖母宮御
神像」(県指定文化財)が奉安されており、25年に一度
御開帳の神事が斎行されます。




恵比寿社です




武内宿禰を祀った武内神社です

武田鉄矢の詩が書かれています「子らの笑い声 響くところぞ わが故郷は」

「子安の石」の前の母子像です

「銀も金も玉もなにせむに 勝れる宝 子にしかめやも」山上憶良の詩です

万葉集にも収録されている良い詩ですね

では、奥宮へ行って見ましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする