桜井地区は糸島市役所の北約8kmのところ
六所神社のある馬場信号を更に北へ
県道507号線の峠を越えると
県道567号線を北へ桜井川沿いを下ります
桜井神社の案内板があちこちに有ります
東公民館を過ぎて右へ入ります
間も無く鳥居が見えて来ました
一の鳥居でしょうか
道なりに進むと第一駐車場が有ります
糸島市観光マップです
駐車場から上がった参道入口です、二の鳥居でしょうか
縣社 桜井神社です
桜井神社案内図です
桜井神社
与止姫命宮(よどひめみや)
桜井大神宮
桜井神社(創立寛永6年)は黒田藩主黒田忠之に
よって造営された筑前の守護神で、与止姫大明神を
祭っています。
神明造り三殿の桜井大神宮(創立寛永2年)は、
与止姫大明神の御神託で建立され、伊勢皇大神宮の
分神が祭られており、筑前の神耺の信仰の拠点にな
っていました。現社殿は慶応2年(1866)に新
築今日に至る。
参道の太鼓橋と注連縄の巻かれた杉の大木です
丸石が敷かれた参道を進みます
手水舎です
正面には参拝順路①桜井猿田彦神社です
手前右手には丸石の積まれた②塞の神です
手前を直角に曲がって与止姫宮への入口です
説明版です
桜井神社 福岡県糸島郡志摩町大字桜井
筑前国の守護神と仰がれた桜井神社創建の起源は、
慶長15年(1610)の豪雨により古墳の入り口が
開き、霊験あらたかな神様が現れたことに始まります
。このことが筑前二代国主黒田忠之公の知るところと
なり、寛永9年(1632)に現在の社殿境内が創建
されています。
当初より「輿止姫大明神」と称されていましたが、
桜井八ヶ所の氏神を合せ祀り、桜井神社と改称され、
今日にいたっています。
本殿 県指定文化財(昭和52年4月9日指定)
寛永9年(1632)の棟札が残り、建造年代がは
っきりしています。構造は「三間社流造浜床付き」で
、一部に後世の補修が見られるものの、全体的には当
時の姿をよく残したものとなっています。
社殿のいたるところに絢爛豪華な安土桃山様式の彫
刻があり、鮮やかな色彩が施されていました。
この色彩は、長年の風雨によりかなり退色していた
のですが、平成3年から4年にわたる保存修理工事に
より復元を試み、現在は創建当時の色彩をみることが
できます。
拝殿 県指定文化財(平成9年7月25日指定)
本殿とほぼ同時期に建てられたと思われる拝殿は、
正面三間、側面三間の切妻造の構造を持ちます。
現存する古絵図では、東側に入母屋造の張り出しが
みられますが、現在では礎石しか残っていません。屋
根には銅板が葺かれていますが、やはり古絵図による
と瓦が葺かれていたようで、昭和6年の屋根修理で葺
変えられたものと思われます。
このように古絵図と比較すると相違点はいくつかあ
るものの、ほぼ創建当時のまま現在にいたっているよ
うです。
正面上部の蟇股も見事な彫刻です。
楼門 県指定文化財(平成9年7月25日)
三間一戸の構造で、黒田家尊崇の神社の楼門にふさ
わしく、静かな木立の中に威風堂々とした姿を今に伝
えています。
拝殿同様資料が少ないのですが、古絵図に描かれる
楼門とほとんど相違ありません。
屋根は銅版葺で覆われていますが、創建当時は瓦葺
きであったと思われます。本殿と比較すると部材の形
状が若干違う箇所があるので、本殿完成後間もなく拝
殿とともに建造されたものと考えられています。
正面に掲げられる扁額には「正一位輿止姫大明神」
とあり、これは享保元年(1716)に掲げられたも
のです。
平成12年3月25日 糸島市教育委員会
楼門です
拝殿との間に狛犬が二対並びます
拝殿です
境内のイチョウの大木にも注連縄が巻かれています
社殿の西側から③八神殿・須賀神社です
④と⑤春日神社です
本殿です、本殿に外壁が張られているようです
本殿裏側には⑥岩戸宮の扉が有ります
岩戸宮の前を通り社殿の東側へ抜けると⑦八幡宮です
⑧金刀比羅神社です
⑨二見ヶ浦遥拝所です
クスノキの大木の周りはおみくじ掛に成っています
拝殿前から見ました
では、北側に目的の大樟と大神宮を見に行きましょう
六所神社のある馬場信号を更に北へ
県道507号線の峠を越えると
県道567号線を北へ桜井川沿いを下ります
桜井神社の案内板があちこちに有ります
東公民館を過ぎて右へ入ります
間も無く鳥居が見えて来ました
一の鳥居でしょうか
道なりに進むと第一駐車場が有ります
糸島市観光マップです
駐車場から上がった参道入口です、二の鳥居でしょうか
縣社 桜井神社です
桜井神社案内図です
桜井神社
与止姫命宮(よどひめみや)
桜井大神宮
桜井神社(創立寛永6年)は黒田藩主黒田忠之に
よって造営された筑前の守護神で、与止姫大明神を
祭っています。
神明造り三殿の桜井大神宮(創立寛永2年)は、
与止姫大明神の御神託で建立され、伊勢皇大神宮の
分神が祭られており、筑前の神耺の信仰の拠点にな
っていました。現社殿は慶応2年(1866)に新
築今日に至る。
参道の太鼓橋と注連縄の巻かれた杉の大木です
丸石が敷かれた参道を進みます
手水舎です
正面には参拝順路①桜井猿田彦神社です
手前右手には丸石の積まれた②塞の神です
手前を直角に曲がって与止姫宮への入口です
説明版です
桜井神社 福岡県糸島郡志摩町大字桜井
筑前国の守護神と仰がれた桜井神社創建の起源は、
慶長15年(1610)の豪雨により古墳の入り口が
開き、霊験あらたかな神様が現れたことに始まります
。このことが筑前二代国主黒田忠之公の知るところと
なり、寛永9年(1632)に現在の社殿境内が創建
されています。
当初より「輿止姫大明神」と称されていましたが、
桜井八ヶ所の氏神を合せ祀り、桜井神社と改称され、
今日にいたっています。
本殿 県指定文化財(昭和52年4月9日指定)
寛永9年(1632)の棟札が残り、建造年代がは
っきりしています。構造は「三間社流造浜床付き」で
、一部に後世の補修が見られるものの、全体的には当
時の姿をよく残したものとなっています。
社殿のいたるところに絢爛豪華な安土桃山様式の彫
刻があり、鮮やかな色彩が施されていました。
この色彩は、長年の風雨によりかなり退色していた
のですが、平成3年から4年にわたる保存修理工事に
より復元を試み、現在は創建当時の色彩をみることが
できます。
拝殿 県指定文化財(平成9年7月25日指定)
本殿とほぼ同時期に建てられたと思われる拝殿は、
正面三間、側面三間の切妻造の構造を持ちます。
現存する古絵図では、東側に入母屋造の張り出しが
みられますが、現在では礎石しか残っていません。屋
根には銅板が葺かれていますが、やはり古絵図による
と瓦が葺かれていたようで、昭和6年の屋根修理で葺
変えられたものと思われます。
このように古絵図と比較すると相違点はいくつかあ
るものの、ほぼ創建当時のまま現在にいたっているよ
うです。
正面上部の蟇股も見事な彫刻です。
楼門 県指定文化財(平成9年7月25日)
三間一戸の構造で、黒田家尊崇の神社の楼門にふさ
わしく、静かな木立の中に威風堂々とした姿を今に伝
えています。
拝殿同様資料が少ないのですが、古絵図に描かれる
楼門とほとんど相違ありません。
屋根は銅版葺で覆われていますが、創建当時は瓦葺
きであったと思われます。本殿と比較すると部材の形
状が若干違う箇所があるので、本殿完成後間もなく拝
殿とともに建造されたものと考えられています。
正面に掲げられる扁額には「正一位輿止姫大明神」
とあり、これは享保元年(1716)に掲げられたも
のです。
平成12年3月25日 糸島市教育委員会
楼門です
拝殿との間に狛犬が二対並びます
拝殿です
境内のイチョウの大木にも注連縄が巻かれています
社殿の西側から③八神殿・須賀神社です
④と⑤春日神社です
本殿です、本殿に外壁が張られているようです
本殿裏側には⑥岩戸宮の扉が有ります
岩戸宮の前を通り社殿の東側へ抜けると⑦八幡宮です
⑧金刀比羅神社です
⑨二見ヶ浦遥拝所です
クスノキの大木の周りはおみくじ掛に成っています
拝殿前から見ました
では、北側に目的の大樟と大神宮を見に行きましょう