村松原地区は、清水区役所の南約2kmのところ
清水第三中学校の南側に水路が有ります
柳宮通りから水路の南側の通り(一方通行)を西へ
最初の橋の有る交差点を左に進むと
右手に賛同を東向きに稲荷神社が鎮座しまう
神社の周りは一方通行の細い道路ばかりなので
参道を東に出て柳宮通り沿いのスーパーに
車を止めさせて頂きました
参道です
境内入口の鳥居です
説明版です
稲荷神社
祭神 稲倉魂神
伊持冉尊 外一柱
由緒 成務天皇の御代(131年~190年)
人が稲をにないこの地にやってきて草庵を
土地の人々に農業を教え した。村人はその に
報い うと立派な家を作り、翌朝そろって住いを
訪れた所、老人はすでに立ち去って行くえがわか
りませんでした。村人はいつまでも老人を敬い慕
って、かつて老人が住んでいた草庵に稲倉玉とい
う名を奉ってお祭りしました。(稲荷神社略縁起)
後宇陀天皇の時代(1274年~1287年)
に、日蓮上人の弟子で海長寺を開いた日位上人が、
時々この稲荷神社に参詣し、後に、社殿のうしろ
へ本妙庵という僧舎を建てて祭らせました。その
後本妙寺が祭事を行ってきましたが、明治維新後
の神佛分離によって本妙寺を離れ、別に神官を置
いて祭ることになり、今日に至っています。
昭和60年1月 不二見地区まちづくり推進委員会
清水市第四中学校郷土研究部
鳥居傍のクスノキです、境内では一番細いクスです
拝殿です
本殿は覆屋の中ですね
拝殿右手のクスノキ2本です、奥側が目的の大楠です
手前のクスです
保存樹標識です、清第5号です
目的の大楠です
静岡市指定 天然記念物標柱です、表記は「大クス 周囲7,4m」です
根元の石塔です、文字が刻まれていますが判読できませんでした
北側から
西側から
社殿(南)側から
境内南東端のクスノキです
西側から
保存樹標識ですが、清第6号です
本殿南西側(境内外)の若いクスノキの大木です根元へは行けませんでした
では、次へ行きましょう
清水第三中学校の南側に水路が有ります
柳宮通りから水路の南側の通り(一方通行)を西へ
最初の橋の有る交差点を左に進むと
右手に賛同を東向きに稲荷神社が鎮座しまう
神社の周りは一方通行の細い道路ばかりなので
参道を東に出て柳宮通り沿いのスーパーに
車を止めさせて頂きました
参道です
境内入口の鳥居です
説明版です
稲荷神社
祭神 稲倉魂神
伊持冉尊 外一柱
由緒 成務天皇の御代(131年~190年)
人が稲をにないこの地にやってきて草庵を
土地の人々に農業を教え した。村人はその に
報い うと立派な家を作り、翌朝そろって住いを
訪れた所、老人はすでに立ち去って行くえがわか
りませんでした。村人はいつまでも老人を敬い慕
って、かつて老人が住んでいた草庵に稲倉玉とい
う名を奉ってお祭りしました。(稲荷神社略縁起)
後宇陀天皇の時代(1274年~1287年)
に、日蓮上人の弟子で海長寺を開いた日位上人が、
時々この稲荷神社に参詣し、後に、社殿のうしろ
へ本妙庵という僧舎を建てて祭らせました。その
後本妙寺が祭事を行ってきましたが、明治維新後
の神佛分離によって本妙寺を離れ、別に神官を置
いて祭ることになり、今日に至っています。
昭和60年1月 不二見地区まちづくり推進委員会
清水市第四中学校郷土研究部
鳥居傍のクスノキです、境内では一番細いクスです
拝殿です
本殿は覆屋の中ですね
拝殿右手のクスノキ2本です、奥側が目的の大楠です
手前のクスです
保存樹標識です、清第5号です
目的の大楠です
静岡市指定 天然記念物標柱です、表記は「大クス 周囲7,4m」です
根元の石塔です、文字が刻まれていますが判読できませんでした
北側から
西側から
社殿(南)側から
境内南東端のクスノキです
西側から
保存樹標識ですが、清第6号です
本殿南西側(境内外)の若いクスノキの大木です根元へは行けませんでした
では、次へ行きましょう