平島地区は、藤枝市役所の東北東約3kmのところ
国道1号線大手信号から県道30号焼津藤枝線へと東へ進み
自動車販売店の前の信号を左(北)へ入ります
右へカーブする外側に藤井神社が鎮座します
少し先(東)の前の道路脇に車を止めさせて頂きました
境内入口です
加列村社 藤井神社です
水盤です
拝殿です
本殿覆い屋です、幣殿のない形になっています
説明版です
藤井神社
鎮座地 藤枝市平葛154番地
祭神 弥都波能売命(みつはのめのみこと)
相殿 若一王子神社
天穂日命 津島神社
須佐男之命
例祭日 10月9日
境内社 天神社 市杵島姫命社
稲荷神社(大楠の中に祀る)
境内地 329坪
由緒 当社は、往古この平島の守護神(産土神)
として、奈良県吉野郡吉野村鎮座の官幣大社
丹生川上神社より、御分霊を勧請して創立さ
れた神社である。
丹生川上神社は、水の事を掌る神として農
業国である我国に於て古来より尊崇された。
当社の創立は定かではないが、昔瀬戸川、
葉梨川の水害に痛めつけられた先人が、川の
霊、水の霊を祭り五穀豊穣の祈願とあらゆる
災難からの郷土の安全を願い、子孫の繁栄と
平島の発展を祈って創立された神社である。
棟札に、慶長11年(1606年)、元和
4年(1619年)、寛永14年(1637
年)、貞享元年(1684年)、文化15年
(1815年)再建とあるように、10年、
20年、の間に再建されている事を見ると、
先人が災害に悩まされていたことがうかがえ
る。創立年月日は不詳であるが、境内の大楠
(周り6間4尺2寸)を見れば古社あること
が知られる。旧除地高4石5斗5升を有し、
明治8年村社に列せられる。
尚、水の神の使いと云われる蛇(蝮)の害
に逢うものなし、と言い伝えられている。
境内社です
境内北西隅に目的のクスノキが在ります
南側から
御神木指定証です
境内外側へ周ってみました
北西側から、目通り幹囲9,5mの巨木です
北側から
根元は大きな洞になっていて、祠が並んでいます、右端の祠の前に狐の置物が有ります、説明版に有った稲荷神社ですね
では、次へ行きましょう
国道1号線大手信号から県道30号焼津藤枝線へと東へ進み
自動車販売店の前の信号を左(北)へ入ります
右へカーブする外側に藤井神社が鎮座します
少し先(東)の前の道路脇に車を止めさせて頂きました
境内入口です
加列村社 藤井神社です
水盤です
拝殿です
本殿覆い屋です、幣殿のない形になっています
説明版です
藤井神社
鎮座地 藤枝市平葛154番地
祭神 弥都波能売命(みつはのめのみこと)
相殿 若一王子神社
天穂日命 津島神社
須佐男之命
例祭日 10月9日
境内社 天神社 市杵島姫命社
稲荷神社(大楠の中に祀る)
境内地 329坪
由緒 当社は、往古この平島の守護神(産土神)
として、奈良県吉野郡吉野村鎮座の官幣大社
丹生川上神社より、御分霊を勧請して創立さ
れた神社である。
丹生川上神社は、水の事を掌る神として農
業国である我国に於て古来より尊崇された。
当社の創立は定かではないが、昔瀬戸川、
葉梨川の水害に痛めつけられた先人が、川の
霊、水の霊を祭り五穀豊穣の祈願とあらゆる
災難からの郷土の安全を願い、子孫の繁栄と
平島の発展を祈って創立された神社である。
棟札に、慶長11年(1606年)、元和
4年(1619年)、寛永14年(1637
年)、貞享元年(1684年)、文化15年
(1815年)再建とあるように、10年、
20年、の間に再建されている事を見ると、
先人が災害に悩まされていたことがうかがえ
る。創立年月日は不詳であるが、境内の大楠
(周り6間4尺2寸)を見れば古社あること
が知られる。旧除地高4石5斗5升を有し、
明治8年村社に列せられる。
尚、水の神の使いと云われる蛇(蝮)の害
に逢うものなし、と言い伝えられている。
境内社です
境内北西隅に目的のクスノキが在ります
南側から
御神木指定証です
境内外側へ周ってみました
北西側から、目通り幹囲9,5mの巨木です
北側から
根元は大きな洞になっていて、祠が並んでいます、右端の祠の前に狐の置物が有ります、説明版に有った稲荷神社ですね
では、次へ行きましょう