福地地区は、石巻市役所の北東約13kmのところ
県道33号線を北へ、北上川が見えたら県道30号線を東へ北上川右岸の堤防上を進みます
約6kmで右手に福地山(標高257.4m)が近づいてくると道路右手に鳥居rの頭が見えて来ます
参道は南向きに賀茂小鋭神社が鎮座します(社殿は西向きです)、手前のバス停脇に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました
福地閘門バス停です
神社入口です、目的のケヤキは鳥居の後、参道石段の左側に在ります
郷社 賀茂小鋭神社です
説明版です
延喜式内社 賀茂小鋭神社(かもおとのじんじゃ)
桃井六座の一つで、延喜式神名帳に「小鋭神社」の名がみえる。祭神は、小田神、賀茂別雷命、玉依姫命、賀茂建角見命を祀る。
古くは小田神ととなえ、小鋭神社と称された。後、京都賀茂別雷神社の分霊を得て合祀され、賀茂小鋭と称されるようになった。
奥ノ院には御神像七躯が安置されているが、そのうち五躯が昭和31年に宮城県指定有形文化財(彫刻)に指定を受けた。指定された賀茂建角見命・賀茂別雷命・随身三躯の彫刻は、いずれも冠・狩衣・指貫をつけ、浅沓を履き、笏を持った立像で、顔は怒りをあらわした表情をしている。大きい立像は50cm程度あり、カヤ材の一木造りで、鎌倉時代初期の作と推定される。当該期の神像彫刻として貴重な作例といえる。
令和2年3月
石巻市教育委員会
駐車場から見ました
道路からケヤキを見ました
参道石段前から見あげました、目通り幹囲5.0mの巨木です
説明板です
河北地区選定天然記念物
ニレ科 ケヤキ
樹高 35m
目通周囲 5m
樹齢推定 350年
所有者 賀茂小鋭神社
河北地区教育委員会
宮城県文化財保護協会
石段を上がります
石段中段から見ました
石段中段右のケヤキの大木です、根が露わになって印象的です
石段を登り切ると石塔が並びます
参道は直角に右へ曲がっています
杉並木の石段を登ります
参道石段の中段右にヒノキの大木です
説明板です
河北地区選定天然記念物
ヒノキ科 ヒノキ
樹高 30m
胸高周囲 3.6m
樹齢推定 350年
所有者 賀茂小鋭神社
河北地区教育委員会
石段上側から見ました、綺麗なヒノキの大木です
参道石段右の御堂です
もう一つ御堂です
参道石段左の祠です
石段を登り切ると直ぐ拝殿です
手水舎です
本殿です
では、次へ行きましょう
県道33号線を北へ、北上川が見えたら県道30号線を東へ北上川右岸の堤防上を進みます
約6kmで右手に福地山(標高257.4m)が近づいてくると道路右手に鳥居rの頭が見えて来ます
参道は南向きに賀茂小鋭神社が鎮座します(社殿は西向きです)、手前のバス停脇に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました
福地閘門バス停です
神社入口です、目的のケヤキは鳥居の後、参道石段の左側に在ります
郷社 賀茂小鋭神社です
説明版です
延喜式内社 賀茂小鋭神社(かもおとのじんじゃ)
桃井六座の一つで、延喜式神名帳に「小鋭神社」の名がみえる。祭神は、小田神、賀茂別雷命、玉依姫命、賀茂建角見命を祀る。
古くは小田神ととなえ、小鋭神社と称された。後、京都賀茂別雷神社の分霊を得て合祀され、賀茂小鋭と称されるようになった。
奥ノ院には御神像七躯が安置されているが、そのうち五躯が昭和31年に宮城県指定有形文化財(彫刻)に指定を受けた。指定された賀茂建角見命・賀茂別雷命・随身三躯の彫刻は、いずれも冠・狩衣・指貫をつけ、浅沓を履き、笏を持った立像で、顔は怒りをあらわした表情をしている。大きい立像は50cm程度あり、カヤ材の一木造りで、鎌倉時代初期の作と推定される。当該期の神像彫刻として貴重な作例といえる。
令和2年3月
石巻市教育委員会
駐車場から見ました
道路からケヤキを見ました
参道石段前から見あげました、目通り幹囲5.0mの巨木です
説明板です
河北地区選定天然記念物
ニレ科 ケヤキ
樹高 35m
目通周囲 5m
樹齢推定 350年
所有者 賀茂小鋭神社
河北地区教育委員会
宮城県文化財保護協会
石段を上がります
石段中段から見ました
石段中段右のケヤキの大木です、根が露わになって印象的です
石段を登り切ると石塔が並びます
参道は直角に右へ曲がっています
杉並木の石段を登ります
参道石段の中段右にヒノキの大木です
説明板です
河北地区選定天然記念物
ヒノキ科 ヒノキ
樹高 30m
胸高周囲 3.6m
樹齢推定 350年
所有者 賀茂小鋭神社
河北地区教育委員会
石段上側から見ました、綺麗なヒノキの大木です
参道石段右の御堂です
もう一つ御堂です
参道石段左の祠です
石段を登り切ると直ぐ拝殿です
手水舎です
本殿です
では、次へ行きましょう