富谷市役所のすぐ西に富谷小学校が有ります、小学校のすぐ北側に墓地の点在する丘が「北雲台」です
入口の駐車スペースを利用させて頂きました
富谷小学校校舎です
北雲台入口です
説明版です
北雲台
北雲台は、初代内ヶ崎織部夫妻をはじめ、歴代内ヶ崎一族の墓所である。
織部は前名で筑後といい黒川氏に仕える家老職だったが、天正18年(1590年)に、主家が除かれたあとは仕官せず帰農した。元和4年(1618年)正宗公に召し出されて宿場づくりに励み、のち検断として強度の発展に尽くした。
墓の傍らには樹齢三百有余年といわれる老杉が立つ。
北雲臺の東屋状の拝殿です、正面右手に織部夫妻の墓が見えています
織部夫妻墓に傍らに、目的の織部杉です
北側から
北東側から、目通り幹囲5.2mの巨木です
南東側から見ました
左手のスギも大木です
東側丘の墓地から見ました
では、次へ行きましょう
入口の駐車スペースを利用させて頂きました
富谷小学校校舎です
北雲台入口です
説明版です
北雲台
北雲台は、初代内ヶ崎織部夫妻をはじめ、歴代内ヶ崎一族の墓所である。
織部は前名で筑後といい黒川氏に仕える家老職だったが、天正18年(1590年)に、主家が除かれたあとは仕官せず帰農した。元和4年(1618年)正宗公に召し出されて宿場づくりに励み、のち検断として強度の発展に尽くした。
墓の傍らには樹齢三百有余年といわれる老杉が立つ。
北雲臺の東屋状の拝殿です、正面右手に織部夫妻の墓が見えています
織部夫妻墓に傍らに、目的の織部杉です
北側から
北東側から、目通り幹囲5.2mの巨木です
南東側から見ました
左手のスギも大木です
東側丘の墓地から見ました
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