根廻地区は、松島町役場の北約3kmのところ
国道346号線を北へ、三陸自動車道松下北インターチェンジ入口を過ぎ、間もなく高城川沿いに左へ入る道路が有ります、道路は国道の下を潜ってJR東北本線を左に見ながら進みます、間もなく元禄潜穴駐車場が有りますので利用させて頂きました
目的のイチョウが見えて来ました
おまん地蔵前の道標です
町営バスのバス停が有ります、根廻児童公園前です
根廻地区防災マップです、現在地点は真中上の小さな赤い丸のところです
すぐ脇のJR地東北本線の踏切りを電車が通過します
児童公園入口が阿弥陀堂入口です
阿弥陀堂です
祠が並びます
おまん地蔵です
かわいい地蔵様です
案内板です
おまんさんの伝説
元禄11年(1698)の元禄潜穴完成後
享保11年(1731)第1回目の元禄潜穴の穴払いの工事で、人夫頭の計算ちがいから大損をしてしまい、人夫賃が支払えなくなりました。
そこで人夫頭は、工事が終わった日、潜穴の中で人夫に酒を飲ませ、酔っぱらった時、穴の中に水を流して死なせてしまいました。その中には歌の上手な「おまん」という16才の少女も呼ばれていましたが一緒に犠牲になって死んでしまったのでした。
これを哀れんで建てられたのが「おまん地蔵」だと言われています。
町制施行八十周年記念事業
根廻分館
おまん地蔵堂碑です
目的のイチョウです
後におまん地蔵です
説明板です
松島町指定文化財
蒜沢阿弥陀堂境内銀杏
幹周り6.1m、樹高40m、推定樹齢は400年とされ、昭和45年(1970)12月1日に町の天然記念物に指定されました。イチョウは中国原産の落葉樹で、日本には平安時代後期から鎌倉時代頃に移入されたと考えられています。加工性に優れる特徴から、建材、家具材、に多く用いられています。
蒜沢阿弥陀堂は八幡神を合祀し五穀豊穣と馬の安全を祈願する場として地域の人々に親しまれています。またこの境内は元禄潜穴のずり穴の一つでしたが、昭和48年児童公園敷地となりました。付近には「おまん伝説」にちなむ地蔵も祀られています・
平成23年4月
松島町教育委員会
阿弥陀堂が見えます
では、次へ・・・・おまん地蔵はトンネル工事ですね、と言う事で国道346号線沿いにある、明治潜穴公園に行きます
公園のモニュメントです
説明版です
鎌田三之助と品井沼干拓の石碑です
では、次へ行きましょう
国道346号線を北へ、三陸自動車道松下北インターチェンジ入口を過ぎ、間もなく高城川沿いに左へ入る道路が有ります、道路は国道の下を潜ってJR東北本線を左に見ながら進みます、間もなく元禄潜穴駐車場が有りますので利用させて頂きました
目的のイチョウが見えて来ました
おまん地蔵前の道標です
町営バスのバス停が有ります、根廻児童公園前です
根廻地区防災マップです、現在地点は真中上の小さな赤い丸のところです
すぐ脇のJR地東北本線の踏切りを電車が通過します
児童公園入口が阿弥陀堂入口です
阿弥陀堂です
祠が並びます
おまん地蔵です
かわいい地蔵様です
案内板です
おまんさんの伝説
元禄11年(1698)の元禄潜穴完成後
享保11年(1731)第1回目の元禄潜穴の穴払いの工事で、人夫頭の計算ちがいから大損をしてしまい、人夫賃が支払えなくなりました。
そこで人夫頭は、工事が終わった日、潜穴の中で人夫に酒を飲ませ、酔っぱらった時、穴の中に水を流して死なせてしまいました。その中には歌の上手な「おまん」という16才の少女も呼ばれていましたが一緒に犠牲になって死んでしまったのでした。
これを哀れんで建てられたのが「おまん地蔵」だと言われています。
町制施行八十周年記念事業
根廻分館
おまん地蔵堂碑です
目的のイチョウです
後におまん地蔵です
説明板です
松島町指定文化財
蒜沢阿弥陀堂境内銀杏
幹周り6.1m、樹高40m、推定樹齢は400年とされ、昭和45年(1970)12月1日に町の天然記念物に指定されました。イチョウは中国原産の落葉樹で、日本には平安時代後期から鎌倉時代頃に移入されたと考えられています。加工性に優れる特徴から、建材、家具材、に多く用いられています。
蒜沢阿弥陀堂は八幡神を合祀し五穀豊穣と馬の安全を祈願する場として地域の人々に親しまれています。またこの境内は元禄潜穴のずり穴の一つでしたが、昭和48年児童公園敷地となりました。付近には「おまん伝説」にちなむ地蔵も祀られています・
平成23年4月
松島町教育委員会
阿弥陀堂が見えます
では、次へ・・・・おまん地蔵はトンネル工事ですね、と言う事で国道346号線沿いにある、明治潜穴公園に行きます
公園のモニュメントです
説明版です
鎌田三之助と品井沼干拓の石碑です
では、次へ行きましょう