桃井町太田地区は、石巻市役所の北約13kmのところ
国道45号線を北へ、北上川が見えて飯野川橋の手前で県道30号河北桃井線へ、北上川右岸堤防道から道なりに進みます、左手に愛宕山(標高132.3m)が見えてくると、間もなく地区に入って県道が大きく右にカーブする所の三叉路を左に入ると直ぐ右に日高見神社への参道が南向きに開いています、参道入口脇にまず
車を止めさせて頂き、目的のケヤキを取材させて頂いてから、参道を車で進んで社務所前の駐車場に入りました

注連縄の懸けられた石鳥居が有ります、参道入口です

延喜式内 日高見神社です

説明板です
日高見神社
(1)社格・・・郷社
(2)祭神・・・天照大神・日本武尊・武内宿禰
(3)所在地・・太田拾貫
(4)祭日・・・4月19日・9月19日
「続日本紀」によれば、宝亀11年(780)「百済王俊哲等が賊に囲まれ桃生・白河等の郡神11の社に祈る」がこの神社の初見で、桓武天皇の延暦21年(802)正五位上勲五等に叙し、続いて三代実録の貞観元年(859)の「陸奥国日高見水神に従四位下に授く」とあるので往古は北上川の河神ではなかったかと旧「桃生村誌」は記している。
後冷泉天皇の康平歴年中(1058~1069)



参道入口のケヤキです


狛犬です

ケヤキの根元に立派な”御神体”です

参道を進みましょう




参道に入って間もなく左手に目的のケヤキです




東側から見上げました、目通り幹囲5.9mの巨木です

説明板です
御神木とされるこの欅は、推定樹齢900~1000年と言われ、後冷泉天皇の御代、源義家が安部貞任討伐の際、義家が身を隠して敵の追撃をのがれたと伝えられるもので、身隠しの木、除難の木、厄除の木と言われている。
又、平成16年宮中歌会始 御題「幸」の預選歌「一本の樹となりて あれ幸せは 春の大地を 濡らしゆく雨」宮司大和昭彦作 の一本の樹とは、この御神木を基に詠まれたものである。
平成16年3月30日





参道奥側から、大きな洞に隠れたのでしょうか

参道を進みましょう

社殿が見えて来ます

手水舎です

拝殿です

本殿です



境内社が建ちます
では、次へ行きましょう
国道45号線を北へ、北上川が見えて飯野川橋の手前で県道30号河北桃井線へ、北上川右岸堤防道から道なりに進みます、左手に愛宕山(標高132.3m)が見えてくると、間もなく地区に入って県道が大きく右にカーブする所の三叉路を左に入ると直ぐ右に日高見神社への参道が南向きに開いています、参道入口脇にまず


注連縄の懸けられた石鳥居が有ります、参道入口です


延喜式内 日高見神社です


説明板です
日高見神社
(1)社格・・・郷社
(2)祭神・・・天照大神・日本武尊・武内宿禰
(3)所在地・・太田拾貫
(4)祭日・・・4月19日・9月19日
「続日本紀」によれば、宝亀11年(780)「百済王俊哲等が賊に囲まれ桃生・白河等の郡神11の社に祈る」がこの神社の初見で、桓武天皇の延暦21年(802)正五位上勲五等に叙し、続いて三代実録の貞観元年(859)の「陸奥国日高見水神に従四位下に授く」とあるので往古は北上川の河神ではなかったかと旧「桃生村誌」は記している。
後冷泉天皇の康平歴年中(1058~1069)



参道入口のケヤキです



狛犬です


ケヤキの根元に立派な”御神体”です


参道を進みましょう





参道に入って間もなく左手に目的のケヤキです





東側から見上げました、目通り幹囲5.9mの巨木です


説明板です
御神木とされるこの欅は、推定樹齢900~1000年と言われ、後冷泉天皇の御代、源義家が安部貞任討伐の際、義家が身を隠して敵の追撃をのがれたと伝えられるもので、身隠しの木、除難の木、厄除の木と言われている。
又、平成16年宮中歌会始 御題「幸」の預選歌「一本の樹となりて あれ幸せは 春の大地を 濡らしゆく雨」宮司大和昭彦作 の一本の樹とは、この御神木を基に詠まれたものである。
平成16年3月30日





参道奥側から、大きな洞に隠れたのでしょうか


参道を進みましょう


社殿が見えて来ます


手水舎です


拝殿です


本殿です




境内社が建ちます

では、次へ行きましょう

