一森山地区は、塩釜市役所の北西約1kmのところ
JR仙石線ほんしおがま駅前から西へ県道3号塩釜吉岡線を進むと右手の丘の上に鹽竃神社が南向きに鎮座します、志波彦神社は鹽竈神社のすぐ東側に鎮座します
県道側が表参道ですが、無量駐車場が東参道北側丘の中腹に有るので少し戻って県道から入った宮町信号を西に入り坂道を登ります
道路左手に塩竈神社の参拝用駐車場が有ります
目的のメタセコイアは、駐車場の北側の斜面上に5本程が並んで植えられています
駐車場脇の道路から西側のメタセコイア2本です
梅とケヤキの後に中程の2本です
東端に目的のメタセコイアの大木です
南東側から見上げました
西側から、目通り幹囲4.0mの大木です
では、志波彦神社へ行って見ましょう
広い駐車場の一番奥から坂道を登って塩竈神社東参道に出ます
右の赤い鳥居が志波彦神社の鳥居です
延喜式内 志波彦神社です
手水舎です
神門です
説明板です
志波彦神社(しわひこじんじゃ)
志波彦神社は鹽竈の神に協力された神と伝えられ、国土開発・産業振興・農耕守護の神として信仰されている。
当神社はもと、仙台市岩切冠川(七北田川)の畔に鎮座され、陸奥国延喜式内社百座のうち名神大社として、朝廷の厚い信仰があった。
明治4年5月国幣中社に列格されたが、境内も狭く満足な祭典を行うことが不可能な為に、明治天皇の御思召により、明治7年12月24日に鹽竈神社の別宮に遷し祀られた。さらに、昭和9年現在地に工事を起し、明治・大正・昭和三代にわたる神社建築の粋を集め竣工し、昭和13年9月に遷座した。本殿・拝殿何れも朱塗り、彫刻部分は極彩色漆塗りで、昭和38年塩竈市の文化財に指定された。
平成6年 塩竈市教育委員会
拝殿です
本殿の屋根を見る事が出来ました
では、塩釜神社へ行って見ましょう
JR仙石線ほんしおがま駅前から西へ県道3号塩釜吉岡線を進むと右手の丘の上に鹽竃神社が南向きに鎮座します、志波彦神社は鹽竈神社のすぐ東側に鎮座します
県道側が表参道ですが、無量駐車場が東参道北側丘の中腹に有るので少し戻って県道から入った宮町信号を西に入り坂道を登ります
道路左手に塩竈神社の参拝用駐車場が有ります
目的のメタセコイアは、駐車場の北側の斜面上に5本程が並んで植えられています
駐車場脇の道路から西側のメタセコイア2本です
梅とケヤキの後に中程の2本です
東端に目的のメタセコイアの大木です
南東側から見上げました
西側から、目通り幹囲4.0mの大木です
では、志波彦神社へ行って見ましょう
広い駐車場の一番奥から坂道を登って塩竈神社東参道に出ます
右の赤い鳥居が志波彦神社の鳥居です
延喜式内 志波彦神社です
手水舎です
神門です
説明板です
志波彦神社(しわひこじんじゃ)
志波彦神社は鹽竈の神に協力された神と伝えられ、国土開発・産業振興・農耕守護の神として信仰されている。
当神社はもと、仙台市岩切冠川(七北田川)の畔に鎮座され、陸奥国延喜式内社百座のうち名神大社として、朝廷の厚い信仰があった。
明治4年5月国幣中社に列格されたが、境内も狭く満足な祭典を行うことが不可能な為に、明治天皇の御思召により、明治7年12月24日に鹽竈神社の別宮に遷し祀られた。さらに、昭和9年現在地に工事を起し、明治・大正・昭和三代にわたる神社建築の粋を集め竣工し、昭和13年9月に遷座した。本殿・拝殿何れも朱塗り、彫刻部分は極彩色漆塗りで、昭和38年塩竈市の文化財に指定された。
平成6年 塩竈市教育委員会
拝殿です
本殿の屋根を見る事が出来ました
では、塩釜神社へ行って見ましょう