幸高地区は、須坂市役所の南西約3kmのところ
国道403号線を南へ、幸高町信号を右(西)へ入ると幸福ラインです
間も無く右側に幸高町公会堂が有ります、手前を北へ入ると越智神社参道です
鳥居前に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました
参道を進みます
正面に「延喜式内 越智神社」の石柱です
境内入口です、鳥居の手前右側に大きなケヤキが在ります
境内側から鳥居前右側のケヤキです、目通り幹囲は5mほどありそうです
説明版です
延喜式内 越智神社
祭神 饒速日命(にぎはやひのみこと)
建御名方命(たけみなかたのみこと)
越智氏が湧水の多いkおの地に移り田畑を耕し、祖神の饒速日命を産土神とした。
後、諏訪神の建御名方命を勧請した。
越智池はかつて湧き水が豊富であった。
境内には多くの境内社が祀られています、13社の案内が書かれていました
参道右側のケヤキです
西側から、このケヤキが境内で一番太い目通り幹囲5.8mの巨木です
鳥居左後ろ境内西南西端のケヤキです、こちらは目通り幹囲4mほどのようです
拝殿です
本殿は覆屋の中です、ガラス窓から中が見られます
参道右手に境内社の神明宮です
神明宮(祭神 天照皇大神)
この神明宮は、以前幸高一組の字屋敷添神明地積(農協井上支所東側)にありました。
いつ頃建てられたものか不明ですが、400年前の検地帳(土地台帳)に200坪の社地が記録されており、300年前の幸高村絵図には立木に囲まれた神明宮が描かれています。
又、100年前の写真には「一本木」と言われた有名な欅の古木(推定800年)が写されており、かつては「一本木の神明さん」と呼ばれていました。
明治42年(1909)に越智神社の境内に移されました。
養蚕業(蚕を飼って繭を採る仕事)の盛んな頃には「蚕神さん」として祭が行われ御札が各戸に配られました。
隣には、秋葉権現社です
秋葉権現社(祭神 火之迦具土神)
秋葉さんは火伏の神として徳川中期以降信仰が盛んになりました。
この権現社は、講を組んで本社に代参した頃の供養祠(木社)です。
また、二十三夜の秋葉さんとしても信仰があり、二十三日は秋葉さんの「御逮夜」と呼び参拝されていました。「御逮夜」とは秋葉さんの命日の前の夜のことです。
越智神社に移される前は幸高中組(二組)にあったようで、中組(二組)に建てる幟は秋葉神社のものであったと言われています。本社は静岡県周智郡春野町・秋葉神社(通称秋葉大権現)。
中世には仏教と習合し別当寺として秋葉寺併設。この寺は明治6年廃寺となり曹洞宗「可睡齊」三尺坊秋葉総本殿(静岡県袋井市)へ移されました。
また長野市戸隠・宝光社宿坊「岸本」には、三尺坊本宮があります。
御神木です、既に枯れてしまって屋根が掛けられていました
御神木のすぐ後ろにもケヤキが在ります
南東側から見上げました、目通り幹囲は5m以上ありそうです
本殿裏側(西側)から
かつては湧き水が豊富だった越智池です
本殿北側には境内社が並びます
本殿西側のケヤキの大木です
北東側から、こちらも目通り幹囲4mほどありそうです
では、次へ行きましょう
国道403号線を南へ、幸高町信号を右(西)へ入ると幸福ラインです
間も無く右側に幸高町公会堂が有ります、手前を北へ入ると越智神社参道です
鳥居前に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました
参道を進みます
正面に「延喜式内 越智神社」の石柱です
境内入口です、鳥居の手前右側に大きなケヤキが在ります
境内側から鳥居前右側のケヤキです、目通り幹囲は5mほどありそうです
説明版です
延喜式内 越智神社
祭神 饒速日命(にぎはやひのみこと)
建御名方命(たけみなかたのみこと)
越智氏が湧水の多いkおの地に移り田畑を耕し、祖神の饒速日命を産土神とした。
後、諏訪神の建御名方命を勧請した。
越智池はかつて湧き水が豊富であった。
境内には多くの境内社が祀られています、13社の案内が書かれていました
参道右側のケヤキです
西側から、このケヤキが境内で一番太い目通り幹囲5.8mの巨木です
鳥居左後ろ境内西南西端のケヤキです、こちらは目通り幹囲4mほどのようです
拝殿です
本殿は覆屋の中です、ガラス窓から中が見られます
参道右手に境内社の神明宮です
神明宮(祭神 天照皇大神)
この神明宮は、以前幸高一組の字屋敷添神明地積(農協井上支所東側)にありました。
いつ頃建てられたものか不明ですが、400年前の検地帳(土地台帳)に200坪の社地が記録されており、300年前の幸高村絵図には立木に囲まれた神明宮が描かれています。
又、100年前の写真には「一本木」と言われた有名な欅の古木(推定800年)が写されており、かつては「一本木の神明さん」と呼ばれていました。
明治42年(1909)に越智神社の境内に移されました。
養蚕業(蚕を飼って繭を採る仕事)の盛んな頃には「蚕神さん」として祭が行われ御札が各戸に配られました。
隣には、秋葉権現社です
秋葉権現社(祭神 火之迦具土神)
秋葉さんは火伏の神として徳川中期以降信仰が盛んになりました。
この権現社は、講を組んで本社に代参した頃の供養祠(木社)です。
また、二十三夜の秋葉さんとしても信仰があり、二十三日は秋葉さんの「御逮夜」と呼び参拝されていました。「御逮夜」とは秋葉さんの命日の前の夜のことです。
越智神社に移される前は幸高中組(二組)にあったようで、中組(二組)に建てる幟は秋葉神社のものであったと言われています。本社は静岡県周智郡春野町・秋葉神社(通称秋葉大権現)。
中世には仏教と習合し別当寺として秋葉寺併設。この寺は明治6年廃寺となり曹洞宗「可睡齊」三尺坊秋葉総本殿(静岡県袋井市)へ移されました。
また長野市戸隠・宝光社宿坊「岸本」には、三尺坊本宮があります。
御神木です、既に枯れてしまって屋根が掛けられていました
御神木のすぐ後ろにもケヤキが在ります
南東側から見上げました、目通り幹囲は5m以上ありそうです
本殿裏側(西側)から
かつては湧き水が豊富だった越智池です
本殿北側には境内社が並びます
本殿西側のケヤキの大木です
北東側から、こちらも目通り幹囲4mほどありそうです
では、次へ行きましょう