惣社地区は、松本市役所の東約2kmのところ
県道67号松本和田線(アザレアライン)を東へ、惣社信号の手前の信号を北へ入ると
伊和神社の鳥居前に出ます、神社は西向き参道で鎮座します
神社の境内には境内の建物修理の大工さんの車が止まっていたので、神社北東側のスーパーマーケットの駐車場に車を止めさせて頂きました
鳥居です
村社 伊和社となっています
説明版です
惣社(総社)の歴史
桓武天皇の延暦年間(782年~805年)信濃の国府、小県郡から筑摩郡に移されると、天神・地祗・6所の明神及び信濃国中の重な神々を併せ祭る「信濃総社」がこの地に創建され、歴代国司(信濃守以下)奉祭するところとなった。
国司は赴任に際し、まず総社に参拝し、着任を報告、任期中の無事平安を祈り、年間の重要な神事はみなこの神社で行われた。
鎌倉時代を迎えて国府が衰退すると、総社の奉祭も衰えて祭神にも異説を生じたが、社殿は西面して旧地にあり、樹齢(数百年)に及ぶ欅の大樹の間に鎮座している。
総社は国府に近くにあるを通例としているので、この社の西方にあたって六丁四面乃至八丁四面の国府が置かれたと推定されるが、発掘調査なく政庁はじめ付属建物の遺物の遺構は確認されていない。
(注)1、惣社とあるのは総社の転、同儀・他国の場合「ソウシャ」「ソウジャ」と発音するが、当社の場合は「ソウザ」と云う。
1、現在は伊和神社と云うが、これは中世折野氏が播磨国姫路の総社の祭神伊和大明神=大国主命を移したと云う伝承により、この社名を生じたものである。
1、松本城主永野家編慕の「信府統記」には「惣社六社大明神」とあり、その解説に本社は源頼光、末社は渡辺の綱・坂田金時ら頼光四天王に一人武者を加えた五柱で、その創建は室町時代の永正年間(1504年~1520年)で、山家の郷の地頭折野薩摩守が、姫路の総社伊和大明神を勧請したとあるが、この伝承には根拠はない、しかし折野氏の本社再興を語るものであろう。享保年間(1716年~1735年)再々興の際の鳥居の額に「正一位惣社岩大明神」とあるのはそのためである。また、元禄11年「岡田組惣社村道法 神社仏閣之覚」には「惣社宮六社大明神」とあり、惣社の宮と呼ばれたことがわかる。
1、社叢の欅の大樹は、県下有数の大樹で昭和12年に長野県の天然記念物に指定されたが、昭和25年「文化財保護法」の施行による県条例の改正により解除、現在は松本市の「天然記念物」に指定されている。この欅は天然記念物として重要なばかりでなく、当社創始の古さを語るもので、信濃惣社の環境を整えるためにも重要な存在である。
昭和53年12月18日
松本市教育委員会
惣社町会
鳥居の左手に傘を掛けられた欅の巨木です
鳥居脇(東)から、目通り幹囲7.9mの巨木です
北側から
鳥居の右手奥にももう一本ケヤキの巨木です
鳥居を潜って境内西側から、こちらのケヤキにも傘が掛けられています、目通り幹囲6.7mの巨木です
拝殿です
幣殿です
本殿です
本殿東側に境内社が並びます
境内社のお名前が掲示されています
西側には”御神体”でしょうか
お名前が分かりませんね~
境内社です
蚕影神社ですね
本殿左(西)にもケヤキの大木です
「お舟」が入っているようです
説明書きです
惣社伊和神社のお舟
伊和神社のお舟は、明治30年(1879年)三本木神社若宮(八幡宮)の境内の檜を払い下げ、その代金でお舟とお舟蔵が建てられた。
現在のお舟は、高さ約4m、長さ約5m、幅約1.5mであり、平成23年(2011年)修復されたものである。五月の神社の例大祭では、地域の五穀豊穣と平穏無事、家内安全を願い町内を引き回される。
平成28年1月
本郷地区景観整備委員会
では、次へ行きましょう
県道67号松本和田線(アザレアライン)を東へ、惣社信号の手前の信号を北へ入ると
伊和神社の鳥居前に出ます、神社は西向き参道で鎮座します
神社の境内には境内の建物修理の大工さんの車が止まっていたので、神社北東側のスーパーマーケットの駐車場に車を止めさせて頂きました
鳥居です
村社 伊和社となっています
説明版です
惣社(総社)の歴史
桓武天皇の延暦年間(782年~805年)信濃の国府、小県郡から筑摩郡に移されると、天神・地祗・6所の明神及び信濃国中の重な神々を併せ祭る「信濃総社」がこの地に創建され、歴代国司(信濃守以下)奉祭するところとなった。
国司は赴任に際し、まず総社に参拝し、着任を報告、任期中の無事平安を祈り、年間の重要な神事はみなこの神社で行われた。
鎌倉時代を迎えて国府が衰退すると、総社の奉祭も衰えて祭神にも異説を生じたが、社殿は西面して旧地にあり、樹齢(数百年)に及ぶ欅の大樹の間に鎮座している。
総社は国府に近くにあるを通例としているので、この社の西方にあたって六丁四面乃至八丁四面の国府が置かれたと推定されるが、発掘調査なく政庁はじめ付属建物の遺物の遺構は確認されていない。
(注)1、惣社とあるのは総社の転、同儀・他国の場合「ソウシャ」「ソウジャ」と発音するが、当社の場合は「ソウザ」と云う。
1、現在は伊和神社と云うが、これは中世折野氏が播磨国姫路の総社の祭神伊和大明神=大国主命を移したと云う伝承により、この社名を生じたものである。
1、松本城主永野家編慕の「信府統記」には「惣社六社大明神」とあり、その解説に本社は源頼光、末社は渡辺の綱・坂田金時ら頼光四天王に一人武者を加えた五柱で、その創建は室町時代の永正年間(1504年~1520年)で、山家の郷の地頭折野薩摩守が、姫路の総社伊和大明神を勧請したとあるが、この伝承には根拠はない、しかし折野氏の本社再興を語るものであろう。享保年間(1716年~1735年)再々興の際の鳥居の額に「正一位惣社岩大明神」とあるのはそのためである。また、元禄11年「岡田組惣社村道法 神社仏閣之覚」には「惣社宮六社大明神」とあり、惣社の宮と呼ばれたことがわかる。
1、社叢の欅の大樹は、県下有数の大樹で昭和12年に長野県の天然記念物に指定されたが、昭和25年「文化財保護法」の施行による県条例の改正により解除、現在は松本市の「天然記念物」に指定されている。この欅は天然記念物として重要なばかりでなく、当社創始の古さを語るもので、信濃惣社の環境を整えるためにも重要な存在である。
昭和53年12月18日
松本市教育委員会
惣社町会
鳥居の左手に傘を掛けられた欅の巨木です
鳥居脇(東)から、目通り幹囲7.9mの巨木です
北側から
鳥居の右手奥にももう一本ケヤキの巨木です
鳥居を潜って境内西側から、こちらのケヤキにも傘が掛けられています、目通り幹囲6.7mの巨木です
拝殿です
幣殿です
本殿です
本殿東側に境内社が並びます
境内社のお名前が掲示されています
西側には”御神体”でしょうか
お名前が分かりませんね~
境内社です
蚕影神社ですね
本殿左(西)にもケヤキの大木です
「お舟」が入っているようです
説明書きです
惣社伊和神社のお舟
伊和神社のお舟は、明治30年(1879年)三本木神社若宮(八幡宮)の境内の檜を払い下げ、その代金でお舟とお舟蔵が建てられた。
現在のお舟は、高さ約4m、長さ約5m、幅約1.5mであり、平成23年(2011年)修復されたものである。五月の神社の例大祭では、地域の五穀豊穣と平穏無事、家内安全を願い町内を引き回される。
平成28年1月
本郷地区景観整備委員会
では、次へ行きましょう