寿豊丘地区は、松本市役所の南約7kmのところ
国道19号線を南へ、村井下町北信号を左(東)へ、田川を渡って県道288号線の交差点(市立寿児童センターが南東側に有ります)を左(北)へ入ります
間も無く三叉路にケヤキが見えて来ます、目的の耳塚古墳です
手前の寿百瀬第2公民館の駐車場を利用させて頂きました
県道右に二本のケヤキが見えて来ました
南側から見上げました、石碑に道祖神・そして左のケヤキが少し手前に在りますね
左側のケヤキを東側から
指定番号第169号です
西側から見ました、目通り幹囲6.3mの巨木です
南東から右側のケヤキです
保存樹標識です、指定番号第170号です
西側から見ました、目通り幹囲6.0mの巨木です/ee_2/}
双体道祖神です
金毘羅大神の石碑です
蚕玉社の社です、前に耳塚古墳跡の石碑が有ります
耳塚古墳の説明版です
耳塚古墳
耳塚は約1500年前の、安曇族王の墓である。
この上に道祖神の古いお宮である、幸神社(さえの神)が有りしも明治末の取毀された。
現在あるお宮は、昭和8年建立の蚕玉様で、中には幸神社の神殿も安置され、耳聞様として信仰されている。
首塚は碑面の通り。(碑面不明の為首塚は不明です)
大欅(西側)周囲6m30cm、東側6mで推定樹齢800年。
百瀬式弥生土器(二千年前)は西南50mより発掘された。
松本市寿区民館
寿地区老人クラブ連合会
寿史談会
平成5年皇太子御成婚記念氏子総代
では、次へ行きましょう
国道19号線を南へ、村井下町北信号を左(東)へ、田川を渡って県道288号線の交差点(市立寿児童センターが南東側に有ります)を左(北)へ入ります
間も無く三叉路にケヤキが見えて来ます、目的の耳塚古墳です
手前の寿百瀬第2公民館の駐車場を利用させて頂きました
県道右に二本のケヤキが見えて来ました
南側から見上げました、石碑に道祖神・そして左のケヤキが少し手前に在りますね
左側のケヤキを東側から
指定番号第169号です
西側から見ました、目通り幹囲6.3mの巨木です
南東から右側のケヤキです
保存樹標識です、指定番号第170号です
西側から見ました、目通り幹囲6.0mの巨木です/ee_2/}
双体道祖神です
金毘羅大神の石碑です
蚕玉社の社です、前に耳塚古墳跡の石碑が有ります
耳塚古墳の説明版です
耳塚古墳
耳塚は約1500年前の、安曇族王の墓である。
この上に道祖神の古いお宮である、幸神社(さえの神)が有りしも明治末の取毀された。
現在あるお宮は、昭和8年建立の蚕玉様で、中には幸神社の神殿も安置され、耳聞様として信仰されている。
首塚は碑面の通り。(碑面不明の為首塚は不明です)
大欅(西側)周囲6m30cm、東側6mで推定樹齢800年。
百瀬式弥生土器(二千年前)は西南50mより発掘された。
松本市寿区民館
寿地区老人クラブ連合会
寿史談会
平成5年皇太子御成婚記念氏子総代
では、次へ行きましょう