福島伊谷地区は、木曽町役場の東北東に約2km
国道19号線の福島トンネルの南側入り口が伊谷信号です、信号を東へ県道209号線です
ここから250mで南向きに水無神社の参道が出ています
向かい側のゴミ集積所脇に車を止めさせて頂きました
福島宿の標柱です
水無神社参道入口です
縣社 水無神社です
参道の鳥居と門ヒノキでしょうか
参道石段を上って来ました社殿は正面から少し右ですが、参道から境内入口はこの左(西)側になります
境内には合体木ですがスギの巨木です
直ぐ東側にはヒノキの大木です
西側の境内入口です
説明版です
水無神社 Suimujinnjya Shrine
祭神 高照姫命
本社は、文永2年(1265)乙丑歳5月6日 飛騨一宮水無神社を此の地に御勧請し水無天王社と称したことにはじまります。
延文2年(1357)6月領主越後守藤原家有に依り社殿が再興されたことを始め、木曽氏より石川備前守、さらに尾州代官山村氏に至る累代領主の尊崇は深く、木曽総鎮守水無大明神とたたえられ武運長久と国家安穏が祈願されてきました。社殿修履等には近郷十一ヵ村からの奉仕が集められたといわれます。
明治5年11月には福島村nお氏神として村社に列格し、近郷住民の崇敬も深く、大正13年3月郷社に昇格、更に昭和10年12月社殿境内の整備を完成し県社に昇進しました。
御例祭は、「みこしまくり」と称せらる特殊神事で、奇祭として広く世に知られています。7月22・23日の両日に執行され、全国各地より多くの拝観者が訪れます。此の神事は往古飛騨国より御遷座の模様をかたどったものと伝えられています。
木曽町
手水舎です
境内の鳥居は西向きに建っています
狛犬です
拝殿です、横長の広い拝殿です
東側から社殿を見ました
幣殿と本殿です
本殿西側には境内社が並びます
本殿の西側のスギです
東側から、目通り幹囲5.5mの巨木です
南西側から
本殿東側の境内社です
木曽乃宮です
軒下の額には由来が書かれています
木曽乃宮の裏側のヒノキです
*境内にはスギやヒノキの大木が27本も在るそうです、紹介した木々の他にも目通り7.4mのヒノキの融合木が在るは
ずでしたが見つかりませんでした・・・
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国道19号線の福島トンネルの南側入り口が伊谷信号です、信号を東へ県道209号線です
ここから250mで南向きに水無神社の参道が出ています
向かい側のゴミ集積所脇に車を止めさせて頂きました
福島宿の標柱です
水無神社参道入口です
縣社 水無神社です
参道の鳥居と門ヒノキでしょうか
参道石段を上って来ました社殿は正面から少し右ですが、参道から境内入口はこの左(西)側になります
境内には合体木ですがスギの巨木です
直ぐ東側にはヒノキの大木です
西側の境内入口です
説明版です
水無神社 Suimujinnjya Shrine
祭神 高照姫命
本社は、文永2年(1265)乙丑歳5月6日 飛騨一宮水無神社を此の地に御勧請し水無天王社と称したことにはじまります。
延文2年(1357)6月領主越後守藤原家有に依り社殿が再興されたことを始め、木曽氏より石川備前守、さらに尾州代官山村氏に至る累代領主の尊崇は深く、木曽総鎮守水無大明神とたたえられ武運長久と国家安穏が祈願されてきました。社殿修履等には近郷十一ヵ村からの奉仕が集められたといわれます。
明治5年11月には福島村nお氏神として村社に列格し、近郷住民の崇敬も深く、大正13年3月郷社に昇格、更に昭和10年12月社殿境内の整備を完成し県社に昇進しました。
御例祭は、「みこしまくり」と称せらる特殊神事で、奇祭として広く世に知られています。7月22・23日の両日に執行され、全国各地より多くの拝観者が訪れます。此の神事は往古飛騨国より御遷座の模様をかたどったものと伝えられています。
木曽町
手水舎です
境内の鳥居は西向きに建っています
狛犬です
拝殿です、横長の広い拝殿です
東側から社殿を見ました
幣殿と本殿です
本殿西側には境内社が並びます
本殿の西側のスギです
東側から、目通り幹囲5.5mの巨木です
南西側から
本殿東側の境内社です
木曽乃宮です
軒下の額には由来が書かれています
木曽乃宮の裏側のヒノキです
*境内にはスギやヒノキの大木が27本も在るそうです、紹介した木々の他にも目通り7.4mのヒノキの融合木が在るは
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