ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

群馬県前橋市、西大室「大室古墳群・Mー4号墳と復元住居」です!!

2024-12-10 18:43:46 | 遺跡・史跡
 次は、Mー4号墳です


 全体模型の南側から南西へ進みます

 北東側の通路出口から石に覆われたMー4号墳が見えました

 北側から回り込むと

 西側からの入り口です

 西側からMー4号墳です

 南側から、葺石に覆われて築成時の様子を再現しています

 東側から、埴輪が並べられています

 竪穴式住居です

 説明です
   竪穴式住居 平成10年8月10日完成
 大室公園内の内堀遺跡の発掘調査により得られた資料をもとに、古墳時代(6世紀)の竪穴式住居を建設しました。
 住居は市内小中学生等を中心とした住居建設体験学習に参加して下さった方々のご協力で完成しました

 高床式倉庫です

 説明です.
   高床式建物 平成11年8月8日完成
 大室古墳群が造られた頃、人々が集団で農業を営んで暮らしていました。
 当時、このような高床式の建物は、ムラの共同倉庫として、大切な種モミの保存などに用いていたと考えられています。
 復元されたこの建物は、夏休みに実施した歴史体験学習の一環として、市内の小中学生のご協力を得て完成したものです。


 平地式住居です

 説明です
   平地式住居 平成12年7月30日完成
 大室古墳群が造られた少し前の時代(今から1600年ほど前)になると、竪穴式住居・高床式建物に加えて、地面を掘り込まない平地式住居が出現します。
 住居としては竪穴式よりすすんだつくりで、冬は竪穴式、夏は平地式に住むというように住み分けることもあったらしいと考えられています。
 この建物は、夏休みに実施した歴史体験学習の一環として、市内の小中学生のご協力を得て完成したものです。
 また、この建物は、中に丸太を使ったイスとテーブルを置き、南半分と東側には壁を取り付けないで、休みながら古代住居エリアが見渡せるように休憩所として機能を持たせました。
         前橋市教育委員会・文化財保護課
 *ここに名を綱れている方々も40代ちなって社会の中心で仕事されていることでしょう

 綺麗なネコさんがいました

 猫に餌を与える人達へのお願いですね

 古民家(旧関根家住宅)は休館日でした

 *12月から3月の間は、土・日・祝日だけ(年末年始は休館)の開館に成っています(4月~11月の休日は月・火・水曜日(祝日を除)です)

 では、北口駐車場の東側のM-1号墳へ行きましょう
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群馬県前橋市、西大室「大室古墳群・小二子古墳」です!!

2024-12-10 06:35:45 | 遺跡・史跡
 大室古墳群の北西端の前方後円墳が「小二子古墳」です


 南側の広場から「前橋市指定天然記念物 大室公園のコナラ」です

 南東側から、後方に「小二子古墳」の墳丘が見えています

 説明版です
   前橋市指定天然記念物 大室公園のコナラ
     指定年月日 平成23年3月29日
     所在地   前橋市西大室町2142 大室公園
 本コナラは、小二子古墳の南側で後二子古墳の西にある。コナラ、クヌギ、やムクノキからなる小さな林の南端に位置し、この株の南側は開けた草原になっている。
 株は、地上から0.9mで3本に分かれ、中央の主幹は地上から2.7mでさらに2本に分れている。
 幹周は3本の幹周の合計として610cm(252+215+143cm)、樹高21.5m、根周り8.82m、枝張り、東西25.7m、南北24.5m、であり、虫害の痕跡もなく樹勢は旺盛で葉の数・量とも多く、成長を続けているものとみられる。
 この測定結果は、本件の記録からからみて、県内では幹周の最も大きなコナラに属すると思われる。本コナラが、現在まで存続できたのは、大室古墳群内にあって伐採を免れてきたためであろう。
 コナラは、小二子古墳の周辺や大室古墳群の中に数多く存在しており、大室古墳はこの面でも貴重な場所であると考えられる。
 なお、大室古墳は赤城山の山体崩壊による「流れ山」の存在と貴重な草本も含む平地林として、古墳群とともに保護されるべき存在である。 
            前橋市教育委員会
 *コナラに関しては、このブログの2017年10月23日に「大室公園のコナラです」で紹介させて頂いております、その時にも各古墳も少しだけ紹介していました。


 「小二子古墳」を「後二子古墳」の北西端から見て行きます

 小二子古墳の後円部です

 後二子古墳で表記した「史蹟 後二子古墳並小古墳」の標柱です、した3文字「小古墳」が小二子古墳の事です

 北側から

 西北西側から、墳丘に埴輪が並べられています

 説明版です
   ~埴輪のデパート~ 国指定史跡 小二子古墳
 小二子古墳は、全長38mと小規模ながらも、2段築成の前方後円墳です。
 この古墳は流れ山と後二子古墳に挟まれたせまい空間に造られています。
 後二子古墳と同時期に方向を揃えて造られていることから、後二子古墳とかかわりの深い人物の墳墓であると考えられます。
 石室は、石を抜き去られたために破壊を受けていました。さいわい入り口部分は、壊されずに残されていて、石室のふさいだ状態がよくわかりませんでした。
 石室の前からは、墓前祭祀に用いた土器や火を燃やした跡が見つかりました。こうした様子も復元されています。
 小二子古墳からはたくさんの埴輪が発見されました。人物・馬・家・大刀などの形象埴輪や円筒埴輪は、大きく後円部と前方部の2つのグループに分けられ、設置されています。

 西側から

 前方部に並べられた盾や靫型(矢入れ)埴輪・馬などの象形埴輪です

 馬や人物埴輪です

 武人の埴輪も並んでいます

.後円部の上にも多くの靫型(矢入れ)埴輪や翳・大刀・鞆・朝顔形円筒埴輪などが並んでいます

 説明版です
   小二子古墳 (6世紀後半)
 この古墳は、後二子古墳とともに「史跡後二子古墳並小古墳」の名称で史跡に指定されています。
 墳丘の長さ38mの小前方後円墳で、後二子古墳と西の山の間に向きをそろえてはめ込むように造られています。
 〇後円部の埴輪群
 家形埴輪の周りに翳(さしば)が立ち、その外側に大刀・靫・鞆・盾が取り囲んでいます。
 〇前方部の埴輪群
 盛装の男子・武人・巫女・農夫等の人物や馬・盾・靫が並びます。
 このような埴輪は、下段に置かれることが多く、前方部上に置かれたこの例は珍しいものです。
 〇埴輪の復元
 復元した埴輪の種類と数や位置は、下段の平坦面や周堀に崩落していたものから想定しました。
 埴輪の位置と形の不確かな部分は色を薄くしてあります。
 〇石室
 石室は壊されていましたが、全長6m、奥壁部分で幅1.8m、高さ1.8mの横穴式石室とみられます。
 石室の入り口は石で塞がれ表面は粘土で覆われていました。
 〇墓前のまつり
 後二子古墳と同じように、石室の入り口付近に焼土が二カ所あカ、儀式に使われた土器が出土しました。

 石室入口です

 南東側から

 東南東側から後円部です

 次は、南側の広場を下って南西側の古民家へ行きましょう 
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