ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県潮来市、大生「大生古墳群・鹿見塚古墳」(県指定)です!!

2024-12-20 18:43:47 | 遺跡・史跡
 築地地区は、潮来市役所の北約4kmのところ

 潮来市役所南東側の国道51号線潮来バイパスを北東へ進みます

 約900mの「須賀」信号を左(北)へ、県道50号水戸神栖線です

 約2.1kmで「鉾田・県道187号線⇒」の標識に従って、信号を左へ

 カーブして坂道を登って、丁字路を左(北東)へ、県道50号線の上を越えます

 約2.5kmで、県道左手に古墳が見えました(県立水郷県民の森 大生地区の東端です)

 南側の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南東側から鹿見塚古墳を見ました

 古墳群の説明版です
   茨城県指定文化財
   史跡 大生古墳群
       昭和50年3月25日指定
 大生原大地には百余基からなる古墳群が存在し、県下でも最大の規模を誇る古墳群を形成している。
 この古墳群は古墳の集中状態から大生東部古墳群、大生西部古墳群、カメ森古墳群、田ノ森古墳群、に4大別されるが、この古墳群は大生神社の西側に位置し、県指定史跡鹿見塚古墳をはじめ、子子舞塚古墳址、天神塚古墳、白旗八幡塚古墳、なぢ20数基の古墳を包含する大生西部古墳群で面積8.8㌶の地域である。
 この古墳群は古墳時代中期の築造と推定され、旧時の状態を良くのこしている。
 大生原古墳群の被葬者が鹿島神宮と密接な関係のあったオフ氏一族の奥津城であったことは各方面から立証されているところである。
   平成30年3月      潮来市教育委員会・風土記の里保存会

 鹿見塚古墳の標柱です

 *鹿見塚古墳は、大生西部古墳群内に存在する盟主的な片耳式前方後円墳です。
 主軸は南西より北東に走り、全長約58m、前方部巾約32m、後円部直径約34m、同高さ約6mを有し、墳丘西側括部中央よりやや南に低い造出しを付設しています。
 さらに後円部がとくに高く突き出していることで特異な墳形をしています。

 東側から後円部です

 前方部を見ました

 南側から前方部です

 南西側から

 古墳接続部の西側には大きな作り出し(これが片耳か?)が確認できます

 北西側の内堀と外堀の間の中提が確認できます

 *県民の森の中を車で走ってみましたが、外には綺麗に草苅などの整備をされている古墳は見附られませんでしたが、道路から古墳の形を確認できるところが数基ありました。

 では、次へ行きましょう



 2024・12・12・10・00
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茨城県潮来市、築地「妙光寺のカヤ」(市指定)です!!

2024-12-20 06:30:53 | 巨樹・大木
 築地地区は、潮来市役所の北約4kmのところ

 潮来市役所南東側の国道51号線潮来バイパスを北東へ進みます

 約900mの「須賀」信号を左(北)へ、県道50号水戸神栖線です

 約2.1kmで「鉾田・県道187号線⇒」の標識に従って、信号を左へ

 カーブして坂道を登って、丁字路を左(北東)へ、県道50号線の上を越えます

 約600mで「妙光寺参道」の看板の先を斜め右(北東)へ

 約400mで丁字路を右(東)へ

 すぐ左に、妙光寺の参道が南向きに開いています

 すぐ先の左側(北側)庫裡の入り口に駐車場があります


 日蓮宗 本圀山 妙光寺です

 山門をくぐって参道を進みます

 右手の土手の上に本堂の屋根と境内に太い幹が見えます

 さらに石段を上がります

 石段の中段から右手(東側)の本堂前境内に目的のカヤです

 北側から

 東側から、推定樹齢600年、目通り幹囲4.0m(目測)の大木です

 「妙光寺のカヤ」の天然記念物標柱です

 南側から見上げました

 本堂です

 説明版です
    本圀山妙光寺
 この寺は文永2年(1265)、宗祖日蓮大聖人の直弟子、中老僧一乗阿闍梨日門上人の開基、当時隣村の水原村に居住していた油井但馬守国光、横山遠江守勝光が鎌倉参勤の際、日門上人を招請し一宇を創立したのが始まりである。
 即ち本圀山妙光寺と号し、常陸国最初の日蓮宗の古刹である。
 その後、正応3年(1290)中道院日正上人によって現在地に移転される。
 往昔は朱印等があったが、記書消失のため上地となるなど一時退転の形勢となりまいしゃが、16世日遥上人の時、代官矢野九郎右衛門、郡奉行萩原庄右衛門、芦澤伊賀守、三木五兵衛等の力により水戸藩から費用を仰いで9間27間の客殿を建立した。
 元禄12年(1699)19世徳大院日具上人の時、徳川光圀公より費用を下附され4間4面の本堂を造営した。
 堂内の日蓮大聖人の御尊像も同時に奉納され、また法華三昧堂の正面の額は光圀公自筆の書である。
 20世日孝上人の時、徳川綱條公より祈祷料として玄米50俵を下附された。
 現在の本堂は、寛永年間(1624~1643)の再建にして、寺宝には、日蓮聖人直筆の御本尊並びに御消息断片、日門上人直筆御本尊、徳川光圀の書簡、光圀拝領の蒔絵法衣箱、状箱、硯箱、紺紙金泥法華教開結10巻などがある。
 行事に、春秋彼岸会、盂蘭盆施餓鬼会、4月28日の開宗会、10月13日のお会式法要、冬至の星祭法要がある。
           (41世住職 遠山 友隆)
        記
 市指定文化財   建造物   法華三昧堂   
          天然記念物 カヤの木
   平成30年9月     潮来市教育委員会

 さらに参道石段を上って見ました

 法華三昧堂です

 市指定文化財(建造物)標柱です

 さらに上への参道を進みます

 御堂がありますが、お名前が分かりませんでした

 では、次へ行きましょう



 2024・12・12・09・50
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