続いて、前回の丸墓山古墳頂から東側に見えた稲荷山古墳です
稲荷山古墳は、国宝指定の「金錯銘跌剣」を初めとする多数の遺物が出土しています
丸墓山南西側のさきたま古墳公園案内図です、稲荷山古墳は図の左端(さきたま古墳公園北の端)にあたります
南西側の稲荷山古墳入口です
左手(西側)に丸墓山古墳を見ました
前方部です
説明版です
稲荷山古墳
全長120mの前方後円墳です。
周囲には長方形の堀が中提をはさんで二重に巡り、墳丘くびれ部と中提には造出しと呼ばれる張出しがあります。
古墳が造られた時期は、5世紀後半ころと考えられ、埼玉古墳群の中で最初に造られた古墳です。
前方部は、1937年に土取り工事で失われましたが、2004年に復元されました。
1968年の発掘調査では、後円部から二つの埋葬施設が発見されました。
そのうち礫槨は良く残っており、多くの副葬品が発見されました。
その一つである鉄剣からは、1978年に115文字の銘文が見出され、他の副葬品とともに1981年に国宝に指定されています。
平成19年(2007年) 埼玉県教育委員会
左手の二重堀跡です、中提に遊歩道が通っています
復元された前方部に登ります
前方部から後円部です
一度くびれ部に下って行きます
後円部に登ります
後円頂部です
頂部西側に頭部が北東に向いた埋葬施設です
南東側から
説明版です
国宝武蔵稲荷山古墳出土品
115文字が刻まれた金錯銘鉄剣には、剣を作らせたヲワケという人物の8代にわたる系譜と、ヤマト王権に代々仕えていたことなどが記されています。
多彩な副葬品とともに、古代国家の成立を読み解く第一級資料として、1983年に国宝に指定されました。
これらの資料は詳しく解説とともに博物館に展示しています。
稲荷山古墳 礫槨
1968年の発掘調査で、後円部の頂上から発見された埋葬施設です。
舟の形に堀た竪穴に河原石を貼り付けて並べ、その上に棺を置きました。
棺や衣服などの有機物は残っていませんでしたが、副葬品の出土位置などから被葬者と木棺の位置が推定できます。
実物の礫槨は、地下1mに保存されています。
頂部の南西側には二つ目の埋葬施設が石の列で表現されています
説明版です
稲荷山古墳 粘土槨
この埋葬施設は素掘りの竪穴に粘土を敷き、その上に棺を置いたと推定されます。
盗掘の被害を受けたため、出土した副葬品は少量の武器や馬具などの破片でしたが、礫槨出土品とともに国宝に指定されています。
西側に丸墓山古墳です
南側に将軍山古墳です
北東側に下りて来ました
北側から稲荷山古墳を見ました
中提部の遊歩道を南西へ進みます
北側の造出しです
南側から後円部です
では、公園内広場を真っ直ぐ南へ出て、「将軍塚古墳」へ行きましょう
稲荷山古墳は、国宝指定の「金錯銘跌剣」を初めとする多数の遺物が出土しています
丸墓山南西側のさきたま古墳公園案内図です、稲荷山古墳は図の左端(さきたま古墳公園北の端)にあたります
南西側の稲荷山古墳入口です
左手(西側)に丸墓山古墳を見ました
前方部です
説明版です
稲荷山古墳
全長120mの前方後円墳です。
周囲には長方形の堀が中提をはさんで二重に巡り、墳丘くびれ部と中提には造出しと呼ばれる張出しがあります。
古墳が造られた時期は、5世紀後半ころと考えられ、埼玉古墳群の中で最初に造られた古墳です。
前方部は、1937年に土取り工事で失われましたが、2004年に復元されました。
1968年の発掘調査では、後円部から二つの埋葬施設が発見されました。
そのうち礫槨は良く残っており、多くの副葬品が発見されました。
その一つである鉄剣からは、1978年に115文字の銘文が見出され、他の副葬品とともに1981年に国宝に指定されています。
平成19年(2007年) 埼玉県教育委員会
左手の二重堀跡です、中提に遊歩道が通っています
復元された前方部に登ります
前方部から後円部です
一度くびれ部に下って行きます
後円部に登ります
後円頂部です
頂部西側に頭部が北東に向いた埋葬施設です
南東側から
説明版です
国宝武蔵稲荷山古墳出土品
115文字が刻まれた金錯銘鉄剣には、剣を作らせたヲワケという人物の8代にわたる系譜と、ヤマト王権に代々仕えていたことなどが記されています。
多彩な副葬品とともに、古代国家の成立を読み解く第一級資料として、1983年に国宝に指定されました。
これらの資料は詳しく解説とともに博物館に展示しています。
稲荷山古墳 礫槨
1968年の発掘調査で、後円部の頂上から発見された埋葬施設です。
舟の形に堀た竪穴に河原石を貼り付けて並べ、その上に棺を置きました。
棺や衣服などの有機物は残っていませんでしたが、副葬品の出土位置などから被葬者と木棺の位置が推定できます。
実物の礫槨は、地下1mに保存されています。
頂部の南西側には二つ目の埋葬施設が石の列で表現されています
説明版です
稲荷山古墳 粘土槨
この埋葬施設は素掘りの竪穴に粘土を敷き、その上に棺を置いたと推定されます。
盗掘の被害を受けたため、出土した副葬品は少量の武器や馬具などの破片でしたが、礫槨出土品とともに国宝に指定されています。
西側に丸墓山古墳です
南側に将軍山古墳です
北東側に下りて来ました
北側から稲荷山古墳を見ました
中提部の遊歩道を南西へ進みます
北側の造出しです
南側から後円部です
では、公園内広場を真っ直ぐ南へ出て、「将軍塚古墳」へ行きましょう