見野地区は、鹿沼市役所の北西約5kmのところ
鹿沼市役所を東へ出て約150mで「市役所前」信号を左(北)へ、国道121号日光例幣使街道です
約1.1kmの「御成橋西」信号で、国道121号線を右に分けて直進します
道成に約4.3kmで「喜久沢神社」の社號標を斜め右(北)へ入ります
赤い鳥居を潜り真っ直ぐに進みます
道の奥に防獣柵が見えましたので、車を道路脇に止めて行きました
社號標です、側面には「萬里小路中納言藤原藤房卿遺跡」と彫られています
社務所の建物の後側にツクバネガシの樹冠が見えました
喜久沢神社参道(南西側)から根元が見えました
参道から少し上がって西側から目的のツクバネガシです
「とちぎ名木百選 喜久沢のつくばねがし」の標柱です
説明書きです
栃木県指定 天然記念物
喜久沢のツクバネガシ 1本
所有者 喜久沢神社
昭和56年12月2日指定
樹高26m、胸高周囲6m、枝張り東西34m、枝張り南北33m、推定樹齢600年
ツクバネガシは、ブナ科の常緑高木で、本州中部以南の山野に自生し、本県では県の南部の照葉樹林の中で少数見られます。
枝の先の葉がやや輪状にならんで付くため、「つくばね」に見立てて、この名が付けられています。
喜久沢のツクバネガシは、喜久沢神社の杉植生林の中で、周囲の杉と枝を接しながらも、その雄大な姿を見せています。
地上約2mのところで3本の太い枝に分かれ、それがさらに傘を広げたように四方に枝を広げ、天を覆っています。
その樹勢は、極めて旺盛です。
栃木県教育委員会・鹿沼市教育委員会
北西側から
北側から、支柱に支えられています
北東側から見上げました
参道西側にはモミジと欅、杉の大木です
参道を進みます
参道石段です
喜久沢神社碑です
関東東北豪雨の記念碑です
関東東北豪雨被災本殿等修繕復旧事業竣工記念碑
聞が澤への想い 地域の和と絆をもって ここに築く
平成31年(2019)4月吉日
経過概要
当神社は、地区内の守り神として、古く南北朝時代(1330年の頃)、後醍醐天皇の側近として活躍された万里小路藤原藤房卿が、この地に隠遁されていたことから、藤房卿を主祭神として弘化4年(1847年)に創建され、以来、菊沢地区をはじめ多くの方々により祀られてきた神社であります。
地区名である「菊沢」の由来とされる当喜久澤神社が、平成27年(2015年)9月10日から11日にかけ、周辺地域にも甚大な被害をもたらした関東東北豪雨により、これまでに類のないほどの大きな被害を受けました。
豪雨により流れ出た土砂・流木により本殿、拝殿が土砂に埋まり、また、本殿は流木により一部崩壊しました。
さらに参道は、雨水流水により3m余の深さまで掘削され、その土砂は、参道入口付近の畑にまで達していました。
その被災した本殿等の修繕復旧のため、総代会いおいて協議・検討し、地区自治会・各種団体等の協力を得て、平成28年7月3日に喜久澤神社本殿等修繕復旧事業推進委員会を設置しました。
その後、度重なる会議にて修繕方法や寄進募集について協議を深め、一致団結のもとに寄進募集活動に取組み、多くの方々のご協力のもと目標額を達成することができ、本殿等の移動修復工事とともに境内等の整備を進めてまいりました。
また、裏山の土砂流出への今後の対策として、県への要望を重ね、保安林の指定を受け、二段のコンクリート土止めの施工となりました。
被災後3年7か月の期間を要しましたが、地区内外の多くの人々の温かな気持ち・和・絆をもって、ここに竣工の日を迎えることができました。
これ偏に、地区内住民をはじめ、崇敬者皆様の深いご理解とご支援によるものと、厚くお礼を申し上げます。
この後も末永く地域の安全と繁栄発展、さらに多くの皆様のご健勝を見守り下さるよう祈願を込め、ここに記念碑を建立いたします。
イチョウの切株からはヒコバエが成長しています
手水舎です
再建なった拝殿です
本殿です
本殿裏側の沢奥にはコンクリート土止めが見えました
では、次へ行きましょう
鹿沼市役所を東へ出て約150mで「市役所前」信号を左(北)へ、国道121号日光例幣使街道です
約1.1kmの「御成橋西」信号で、国道121号線を右に分けて直進します
道成に約4.3kmで「喜久沢神社」の社號標を斜め右(北)へ入ります
赤い鳥居を潜り真っ直ぐに進みます
道の奥に防獣柵が見えましたので、車を道路脇に止めて行きました
社號標です、側面には「萬里小路中納言藤原藤房卿遺跡」と彫られています
社務所の建物の後側にツクバネガシの樹冠が見えました
喜久沢神社参道(南西側)から根元が見えました
参道から少し上がって西側から目的のツクバネガシです
「とちぎ名木百選 喜久沢のつくばねがし」の標柱です
説明書きです
栃木県指定 天然記念物
喜久沢のツクバネガシ 1本
所有者 喜久沢神社
昭和56年12月2日指定
樹高26m、胸高周囲6m、枝張り東西34m、枝張り南北33m、推定樹齢600年
ツクバネガシは、ブナ科の常緑高木で、本州中部以南の山野に自生し、本県では県の南部の照葉樹林の中で少数見られます。
枝の先の葉がやや輪状にならんで付くため、「つくばね」に見立てて、この名が付けられています。
喜久沢のツクバネガシは、喜久沢神社の杉植生林の中で、周囲の杉と枝を接しながらも、その雄大な姿を見せています。
地上約2mのところで3本の太い枝に分かれ、それがさらに傘を広げたように四方に枝を広げ、天を覆っています。
その樹勢は、極めて旺盛です。
栃木県教育委員会・鹿沼市教育委員会
北西側から
北側から、支柱に支えられています
北東側から見上げました
参道西側にはモミジと欅、杉の大木です
参道を進みます
参道石段です
喜久沢神社碑です
関東東北豪雨の記念碑です
関東東北豪雨被災本殿等修繕復旧事業竣工記念碑
聞が澤への想い 地域の和と絆をもって ここに築く
平成31年(2019)4月吉日
経過概要
当神社は、地区内の守り神として、古く南北朝時代(1330年の頃)、後醍醐天皇の側近として活躍された万里小路藤原藤房卿が、この地に隠遁されていたことから、藤房卿を主祭神として弘化4年(1847年)に創建され、以来、菊沢地区をはじめ多くの方々により祀られてきた神社であります。
地区名である「菊沢」の由来とされる当喜久澤神社が、平成27年(2015年)9月10日から11日にかけ、周辺地域にも甚大な被害をもたらした関東東北豪雨により、これまでに類のないほどの大きな被害を受けました。
豪雨により流れ出た土砂・流木により本殿、拝殿が土砂に埋まり、また、本殿は流木により一部崩壊しました。
さらに参道は、雨水流水により3m余の深さまで掘削され、その土砂は、参道入口付近の畑にまで達していました。
その被災した本殿等の修繕復旧のため、総代会いおいて協議・検討し、地区自治会・各種団体等の協力を得て、平成28年7月3日に喜久澤神社本殿等修繕復旧事業推進委員会を設置しました。
その後、度重なる会議にて修繕方法や寄進募集について協議を深め、一致団結のもとに寄進募集活動に取組み、多くの方々のご協力のもと目標額を達成することができ、本殿等の移動修復工事とともに境内等の整備を進めてまいりました。
また、裏山の土砂流出への今後の対策として、県への要望を重ね、保安林の指定を受け、二段のコンクリート土止めの施工となりました。
被災後3年7か月の期間を要しましたが、地区内外の多くの人々の温かな気持ち・和・絆をもって、ここに竣工の日を迎えることができました。
これ偏に、地区内住民をはじめ、崇敬者皆様の深いご理解とご支援によるものと、厚くお礼を申し上げます。
この後も末永く地域の安全と繁栄発展、さらに多くの皆様のご健勝を見守り下さるよう祈願を込め、ここに記念碑を建立いたします。
イチョウの切株からはヒコバエが成長しています
手水舎です
再建なった拝殿です
本殿です
本殿裏側の沢奥にはコンクリート土止めが見えました
では、次へ行きましょう