ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

東京都清瀬市、中里3丁目「清瀬十景:中里の富士塚」です!!

2024-12-31 19:17:10 | 遺跡・史跡
 令和6年(2024)最後の投稿です

 中里3丁目は、清瀬市役所の西約1kmのところ

 前回の「清瀬の名木・巨木百選No.40ウスギモクセイ」のある中里駐在所前から東北東へ柳瀬川通りを下って直ぐの信号を右(南)へ

 坂道を登って行くと「富士塚」が見えました

 北側に参道石段があります

 鳥居です

 清瀬10景説明版です
   中里富士山
 中里富士山は、富士山を信仰する人々の集まりである富士講によって江戸時代文化年間頃築かれたといわれ、高さが約10m、東京都の有形民俗文化財に指定されています。
 毎年9月1日には、ここで、東京都指定無形民俗文化財である中里の「火の花祭り」が行われます。
 この行事は、講中が富士塚で経文を唱えたあと、円錐形の麦わらの山に火がつけられ、その火にあたり、灰を持ち帰って門口にまくと火災除けや魔除けになり、畑にまくと豊作になると伝えられているものです。
          清瀬市

 文化財説明版です
   東京都指定有形民俗文化財
     中里の富士塚
       所在地 清瀬市中里4ー1132
       指定  昭和60年3月18日
 丸嘉講武州田無組中里講社により、柳瀬川右岸の段丘縁辺地に築かれた。
 文政8年(1825)再築という伝承や、頂上の石祠に同年の銘があることなどから、文化文政年間(1804~1830)の築造と考えられる。
 明治7年(1874)に2m程かさ上げされ、周囲よりの高さは9mである。
 北側の鳥居を潜ると登山道が九十九折りに続く。途中1合目から9合目までを記した小さな石柱がある。
 山頂には文政8年の石祠と、大日如来を刻む石碑が建つ。この石祠は富士山頂の「仙元大菩薩」の社を象ったもの。中腹には、冨士山5合目に祀られる「小御嶽神社」の碑がある。
 少し下った先には富士講が往路に参詣する「高尾山阿闍梨明王」の碑。その中間に、帰路に詣でる「道了大菩埵」の碑が建つ。
 富士信仰に関する石造物を具備する一方、今日でも富士登山や火の花祭りなどの講行事が継続されている。
 また全山赤土で、一般の富士塚に見られる溶岩は一切使われていない。舟運に依存できない内陸地域の富士塚の、典型的な様式を示している。
 なお、講に関する中里九嘉講関係資料が附としてしていされている。
 初期の富士塚として、また江戸後期に武蔵野に進出した富士講の活動を知る上で重要である。
     平成23年3月 建設   東京都教育委員会

 手水舎です

 東側に大きな富士講の石碑です

 こちらも冨士講の石碑の様ですが薄くなっていて読めません

 石仏と庚申塔も並んでいます

 ジグザグに富士塚に登ってみましょう


 五合目の「小御嶽神社」の石碑です

 七合目の石祠です

 山頂広場に成っています、祠は「仙元大菩薩」(浅間神社)でしょうか

 北側の柳瀬川方面です

 北東側の金山緑地方面です

 西側に富士山は見えませんでした

 次へ行きましょう・・・ってところで、令和6年(2024)の投稿件数756件(ほとんどが巨木・大木でした)となりました、令和5年(2023)の791件にはおよびませんでしたが、平均すると毎日2件の投稿が出来ました
 地元の関東は埼玉 27、東京 68、群馬 25、栃木 26、茨城 20、千葉 6
 春には甲信越北陸東海へ山梨 28、長野 11、新潟 7、富山 58、岐阜 27、愛知 26、静岡 16
 梅雨入り前にはには淡路島・四国へ、四国88カ所の35番まで行きました兵庫 17、徳島 125、高知 55
 秋には東北へ東日本大震災の跡も多数見て来ました岩手 181、宮城 24 
 その他 9件でした

 *このブログを見て頂いてありがとうございます、良いお歳(年神様)をお迎えくださいませ<m(__)m>
 
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東京都清瀬市、中里3丁目「東村山警察署中里駐在所脇のNo.40ウスギモクセイ」です!!

2024-12-31 06:31:03 | 文化財・樹木
 中里3丁目は、清瀬市役所の西隘1kmのところ

 前回の「東光院」の寺号標の所から北西へ直ぐを右へ、歩行者と自転車のみ通れる路地を通って都道24号線に出て左(北西)へ

 すぐの信号を右(東北東)へ、柳瀬川通りです、間も無く東所沢へ抜ける新しい道路の工事現場(都道24号のバイパス?)です

 埼玉県側の道路(東所沢側の県道24号線)は出来上がっていますね

 坂道を下ってすぐ道路左(北側)に「清瀬の伝説の地 一文坂」の標柱です

 碑面には・・・
   「一文坂の伝説」
 この坂の途中に「三島大六天」という神様がまつられています。
 この神様はとても怒りんぼうで、坂道で転ぼうものなら人々にばちをあてました。
 そこで、ここを通る人は恐る恐る転ばないように歩いていました。
 うっかり転んでしまう人がいると、その人はあわてて神様に一文銭を供えてお詫びしたといいます。
 そんなことから、この坂は、いつのころからか一文坂と呼ばれるようになったそうです。
           清瀬市

 下って来た都道24号線側です

 北西側の坂道を下ると都県境の柳瀬川です

 東側の柳瀬川通り沿いに、目的のNo.40ウスギモクセイが見えました

 北西側から、樹冠の枝が整理されています

 西側から

 「清瀬の名木・巨木百選No.40ウスギモクセイ」のプレートです
 モクセイ科、明治35年に中里駐在所が設置される以前からある古木です。
 花は淡黄色で、秋に長さ約2cmの楕円形の実を着けます。
 清瀬市保存樹木指定番号74 指定:平成21年4月1日   清瀬市
 ・下記は植木ペディアの説明の一部抜粋です
 *中国及びインドを原産地とするモクセイ属の常緑樹で、ギンモクセイの変種とされ、一般的には庭木として流通しているものが西日本を中心に植栽されています。
・花がない時季の見た目はギンモクセイやキンモクセイと変わりなく、花の色は両者の中間のような淡いクリーム色で、キンモクセイよりもやや大きくて花柄が長い。香りはキンモクセイより弱く、ギンモクセイより強い。
・ウスギモクセイの葉は長さ8~13cmほどの長い楕円形で、ギンモクセイより少し小さいが幅が狭く、枝から対になって生じます。葉の縁にあるギザギザ(鋸歯)はキンモクセイよりも粗い。
・枝は分岐が多く、樹高は最大で7mほどになる。樹皮はギンモクセイと変わらず灰褐色で、樹齢を重ねるとまだらに剥離そます。
・キンモクセイは実がならないことで知られていますが、ウスギモクセイには雄株と雌株があり、花の後、翌年の初夏にかけて実を結ぶのが大きな特徴で、実は長さ2cmほどの楕円形で、緑色からダークブルーに変わっていきます。


 東北東側から見ました

 では、次は富士塚へ行きましょう
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