ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

埼玉県行田市、埼玉「埼玉古墳群・奥の山古墳」です!!

2024-12-04 19:49:40 | 遺跡・史跡
 鉄砲山古墳の南西側にあるのが、奥の山古墳です、公園の南端へまず行ってみました

 埼玉古墳群の大きなモニュメント越しに見えるのが奥の山古墳(南西側から)です

 盾持人埴輪です

 説明版です
   奥の山古墳の発掘調査
 奥の山古墳は墳丘全長66m、四角形の二重の堀をめぐらせた前方後円墳です。
 後円部西側には造出しと呼ばれる張出部があり。ここから子持壷や大型器台などの珍しい須恵器が出土しています。
 奥の山古墳は6世紀前半に造られたと考えられています。
 2018年の発掘調査の際に、外堀南西部の形が明らかになりました。
 想定されていた堀の位置とは異なり、中提の隅角部が外側に突き出るような形をしていることが分かりました。
 外堀からは盾持人埴輪が一体見つかっています。
 これまでの整備と最新の発掘成果が一部整合しないため、外堀の範囲を舗装により平面的に表現しています(右の写真「奥の山古墳」の三角形部分)。

 説明版右部分です
   盾持人埴輪
 外堀からは盾持人埴輪がうつ伏せの状態で出土しています。
 盾持人埴輪は、人間の頭と盾が一体化した形をしており、墓である神聖な古墳を邪悪なものから守る役割があったと考えられています。 
 出土した盾持人埴輪の頭部が欠けていたため、瓦塚古墳と将軍山古墳から出土した盾持人埴輪を参考に復元しています。

 後円案内図です、奥の山古墳は下端近くにあります

 西側から奥の山古墳を見ました、造出しが無いようですが説明版によると後円部に張り出しがあるようです

 説明版です
   奥の山古墳
 墳丘全長66mの前方後円墳です。
 奥の山という名前は、古墳群を東から見たとき、戸場口山古墳・中の山古墳・奥の山古墳と並び、一番奥にあることから付けられました。
 発掘調査により、それまで一重と考えられていた周堀が二重であることや、墳丘が二段に築かれ、段上には埴輪列が廻らされることなどがわかりました。
 また、古墳がつくられた当時の地面も確認されました。
 後円部墳丘西側には張出部があり、子持壷や大型器台といった祭祀に使われた須恵器が出土しています。
 こうした出土遺物から6世紀中ごろから後半にかけてつくられた古墳と考えられています。
       平成24年(2012年)3月   埼玉県教育委員会

 南西側から

 前方部です

 南側から

 南東側から前方部です

 後円部です

 北東側から見ました

 鉄砲山古墳の外堀から見ました

 では、次は奥の山古墳の南東側の中の山古墳へ行きましょう
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埼玉県行田市、埼玉「埼玉古墳群・鉄砲山古墳」です!!

2024-12-04 06:30:53 | 遺跡・史跡
 鉄砲山古墳は、藩政時代に鉄砲の発射場(訓練場所)になっていたことに由来する名前だそうです

 二子山古墳から南西側へ

 すぐ南側の県道77号古墳通りを横断歩道で南西へ渡ります

 住宅地を抜けると左手に鉄砲山古墳の後円部が見えて来ました、一部石材店の資材置き場になっているようです

 古墳のくびれ部分がへこんでいいます、この位置は造出しがあったと思われる部分です

 鉄砲山古墳角場遺構(江戸時代忍藩砲術訓練場跡)の標識が立っています

 北側にあった中提造出しは公園(薬草園)に成っています

 北側のフェンス沿いを進んで北東側から後円部です

 更に遊歩道を進んで、南東側から後円部です

 前方部です

 説明版です
   鉄砲山古墳
 墳丘全長107.6m、横穴式石室をもつ6世紀後半の前方後円墳で、埼玉古墳群で3番目の規模を誇ります。
 古墳の名前は、江戸時代に忍藩の砲術訓練場(角場)として墳丘を利用していたことに由来します。
 墳丘は二段築成成、中段のテラスなどには最大で9条の突帯をもつ大型の円筒埴輪が並べられていました。
 墳丘の周囲には、他の古墳と同様に方形の二重周堀が巡ります。
 さらに、外堀の北西側では古墳の堀とみられる遺構も確認されています。
 また、外堀の南西側は、鉄砲山古墳よりも古い時期に造られた奥の山古墳の外堀に接するとみられています。
 古墳が密集し土地が限られいても、他の古墳と同じ様に二重の周堀で囲まれていたようです。
      令和5年(2023)3月  埼玉県教育委員会
 *ウィキペディアの数値も墳丘長107.6mと変わりがありませんでした。後円部径49.7m、高さ8.5m、前方部幅68.1m、高さ9.5mでした。
 また、周堀を含めた全長は163mと推定されていまが、北側の二重堀は水路や民家の敷地になっているため、確認できなくなっていて、南側外堀も南側の奥の山古墳の外堀と重なっています。
 *鉄砲山古墳周辺の木々の伐採計画があるとの表示もありました、写真に写っている大きなケヤキが数本伐られるようです

 南側から

 南西側から見ました

 次は、鉄砲山古墳の直ぐ南側の「奥の山古墳」へ行ってみます
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