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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県十日町市、角間のネジリ杉です!!

2015-08-17 03:37:17 | 巨樹・大木
角間のネジリ杉は、十日町市役所の南約16kmの角間地区にあります

清津川右岸の国道353号線から北に入って行きます

道が細くなって、T字路を右へ行くと直ぐです

駐車場がないので、道路の広く成った所に止めました


国道沿いに案内板がありました、ここを入ります

この看板からは歩いて行きます

用水の流れる山道が参道です

県指定天然記念物の標柱です、杉の字が埋まってしまっています



ねじり杉です、確かにねじれています



ねじり杉の由来が有ります
    「県指定天然記念物 角間のねじり杉」
      ねじり杉の由来
     むかしこのあたりの人達が、まだ仏さまの、ありがたさを知らなかった頃のことである。一人の坊さん
    がこのをとおりかかった。夏の暑いさかりだったので、へとへとにつかれた上にのどがかわいて仕方
    なかった。そこで道ばたの家にはいって「水を一ぱいいただきとうございます」と頼んだが、その家では
    ハタを織りながら見向きもせず、「水などないよ」と、相手にもしない。隣の家にいったが同様である。
    どこの家からも断られた坊さんは、日が暮れても、ご飯はおろか一ぱいの水さえ飲むことができなかった
    。「わたしは、ご飯も水もいらないが、あわれなのはこの村の人達だ。あのようすではいつまでたっても
    仏のありがたさを知らずに過ごすだろう」と、涙をこぼし「せめて私が来たことを後の人々に知らせたい
    、そうすれば、いつかは仏の教えに帰依するときもあろう」と、いいながら、かたわらの小さな杉をねじ
    って、「このまま伸びよ」と、いってどこかへ立ち去ってしまった。小さな杉の木がだんだん大きくなっ
    たが、坊さんのいいつけどおり、ねじれたまま伸びていくので、村人もはじめて仏さまの大きな力を知り
    、仏さまを信仰するようになったのである。そして、いつとはなしに「あれは、弘法さまのねじり杉だ」
    と村人から大亊にされるようになった。
     今、ねじり杉の根もとには、何本もの子杉が生えているがみな、親杉と同じようにねじれている。
           昭和60年3月29日 指定      十日町市教育委員会





北側から



北西側から

たしかに小杉もねじり杉です

では、次へ行きましょう

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新潟県十日町市、十二神社の大杉です!!

2015-08-16 21:10:49 | 巨樹・大木
十二神社は、十日町市役所の南約16kmのところ

清津峡入口近くにあります

関越自動車道塩沢石打インターチェンジから国道353号線で

十三峠トンネルを抜けると十日町市です

峠道を下り切った所の清津峡入口を南へ

直ぐ先の清津川の手前を東へ進むと

左手に神社が見えて来ます、鳥居の後ろに大きな杉の木が見えます


神社入口です


大杉は地上約2mのところで二俣に分かれています


社殿の西側からです

根元までコンクリートで覆われています



東から見ます


南東側からの全景です

では、次へ行きましょう
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群馬県みなかみ町、海圓寺の大銀杏です!!

2015-08-16 06:05:36 | 巨樹・大木
海圓寺は、みなかみ町役場の西北西約10kmのところ

さかさザクラから、国道17号線を猿ヶ京温泉方向に500m程

国道沿い右側に、海圓寺入口が見えて来ます

会圓寺です

右側の駐車スペースに説明版が有ります
    海圓寺
      戦国時代の猿ヶ京宮之城主尻高左馬之介義隆が天正八年沼田城代海野能登守輝幸に砦を渡すまで護身
     観音としていた馬頭観世音菩薩を後に、家臣の笛木雅楽之助が、慶長2年(1597年)相俣村字竹ノ
     上に観音堂を建立し馬頭観音を御本尊様として祀り、須川泰寧寺3世学庵長藝和尚を招して山号を補陀
     山・寺号を海圓寺とし開創されて寺である。この観音佛は智仁勇を具備せる尻高氏代々の護持佛であっ
     た。「観音の妙なる智力は諸々の世間の苦しみを救う」馬頭観音は死魔を折伏して無明の障害を食い尽
     くし諸厄を払う霊験あらたかなる菩薩である。現在の寺は後に移築され立替えられているが、慶長2年
     建立当時の沓石が庭にならべられている。
    海圓寺の大銀杏
     海圓寺境内の一角のある銀杏の木、樹齢約400年以上ともいわれ、新治村指定天然記念物に指定され
    ている。銀杏の木の洞窟に現代佛師の作であるが、馬頭観音の石仏が鎮座しているのも珍しい。
            中部北陸自然歩道    環境庁   群馬県   みなかみ町

坂道を登って行くと、六地蔵様です

鐘楼と本堂です

新治村指定天然記念物 海圓寺の大銀杏の標柱です



丁度曲がり角の所に立っていたので、通り過ぎてしまったようです


幹からも葉が出ているので幹が見ずらい時期なのですね

幹の洞窟です、馬頭観音の石仏が祀られていました

では、次へ行きましょう              
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群馬県みなかみ町、相俣のさかさザクラです!!

2015-08-15 22:03:39 | 
相俣のさかさザクラは、上杉謙信縁の桜だそうです

みなかみ町役場から西北西へ約10km

赤谷湖の相俣ダム入口の公園内にあります

公園の駐車場が利用できます


さかさザクラです

かなり傷んでいます

南側の枝は元気なようです

群馬県指定天然記念物 相俣のさかさザクラの標柱です

説明版が有ります
     群馬県指定天然記念物
       相俣のさかさザクラ
           昭和二十七年十一月十一日指定
    天文二十一年(1552)の春、上杉謙信が初めて三国峠から関東に兵を出した時、この地に小休止し
   馬よりおりて上杉憲政ゆかりの日枝神社を参拝した。
    この時謙信は春日山より持参していた桜の鞭を境内に逆さに挿して。もしこの桜に芽が吹けば出陣の幸
   先が良いものとして、謙信の希望をこめて占いをした。ところが不思議にもこの桜の木がすくすく成長し   
   て数年なろずして花が咲き成木したと言われている。
    また、この桜の花の咲き具合でその年の作柄を占ったので豊年桜ともいわれている。
      樹高十八.二メートル  目通り六.二メートル  根元廻り十一.0メートルである。
        平成6年2月10日      群馬県教育委員会   みなかみ町教育委員会

パラボラアンテナのような、幹の保護板が目立ちます

保護版が見えないように横から撮ると、幹の痛みが目立ってしまいました

では、次へ行きましょう
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群馬県みなかみ町、村主八幡神社の大欅です!!

2015-08-15 06:57:22 | 巨樹・大木
村主八幡神社は、みなかみ町役場の西南西約2kmのところ

国道17号線沿いの名胡桃城跡の西側住宅地の中にあります

鳥居前に車を止めることが出来ました


村社 村主八幡神社です


鳥居です


鳥居の脇に大きなケヤキが有ります




村主八幡神社の説明版です
      村主八幡神社
     当神社は古く鎌倉時代にあり、江戸時代にも村主八幡宮として祭祀されていた。
     明治時代になり神社の統合がなされ、明治四十二年、神社二十七社が合祀され名胡桃の総鎮守として
    社名も村主八幡神社に改称された。
     戦後社格制度が廃止され、昭和二十八年宗教法人八幡神社として名称も変わり氏子の崇敬を集めてい
    る。
     特に当社は、江戸時代より明治まで毎年八月十六日には流鏑馬の神事が行われていた。
     現在の社殿は明治二十六年に造営されたものである。
            中部北陸自然歩道  環境庁  群馬県  みなかみ町

県指定天然記念物 村主の大欅の標柱です

大欅の説明石碑です
      村主八幡宮の大欅
     永く当社の御神木として尊重されてきた、曽てはこの樹下で名胡桃郷の大宮八幡・村主八幡・若宮八幡
    の三社が相寄り三社祭り、流鏑馬の神事が明治中期迄行われた。樹齢凡そ六百年を経ても樹勢今尚衰えを
    見せず盛んである。目通り二十二尺、根本廻り四十九尺、高さ八十尺、枝張り東西八十八尺、南北百十五
    尺、同樹としては本町最大の巨木である。


大欅の根本です

神楽殿です

太々神楽の説明版です

拝殿です

本殿です

文化財の説明版です


拝殿脇からの大欅です

境内には、大きな杉も何本もあります



鳥居脇の一本


境内南東側の一本です

中部北陸自然歩道 アオと塩原太助のみちの説明版が有ります

では、次へ行きましょう    
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群馬県昭和村、雲昌寺の大ケヤキです!!

2015-08-14 04:58:47 | 巨樹・大木
雲昌寺は、昭和村役場の南南西約4kmの利根川左岸

県道255号線沿いにあります

国道17号線でJR上越線いわもと駅前から利根川を県道65号線で渡り

段丘を登って行きます、県道255号線とのT字路交差点を南へ約1km


県道脇に大きなケヤキが見えて来ます

赤城山雲昌禅寺入口です


直ぐ南側に大ケヤキが有ります

群馬県指定天然記念物 雲昌寺の大ケヤキの標柱です

説明版です
    群馬県指定天然記念物
      雲昌寺の大ケヤキ
        指定 昭和三十二年九月十日
     雲昌寺の境内南側にあるこのケヤキは、古文書によると、弘化四年(1847)二月二十九日南風
    非常に強い日、昼頃南方より出火、集落五十三・四軒を焼き払い、さらに寺を越えて飛び火し、東北
    方の入沢集落十一軒を焼いた。この大火で寺が無事のこったのは不思議と言う他はなく、大ケヤキが
    身を挺して伽藍を守ったことは事実であろう。樹の南面根元は焼けて今も大きな空洞となっている。
     雲昌寺は慶長の頃、現在地にほど近い西原にあったが、寛文二年(1662)に中興五世覚心宗甫
    大和尚の時、伽藍の整備がなされた。そのときすでに四百年もの樹齢の大木があった。これが現在の
    大ケヤキである。
      目通り   8.4m    根回り    20.6m
      根張り   東西23,6m  南北18m
      樹高目測  18m
      樹齢はおよそ七百年と推定されている。
        平成十年三月三十日
                                  群馬県教育委員会
                                  昭和村教育委員会


南側から、幹の内側が炭のように黒く成っています


根元の内側も炭のようです

炭になっていますね


西側から、こちら側は樹皮も元気なようです

根も大きく張り出しています

鐘楼です

本堂です

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群馬県渋川市、藤木の大杉です!!

2015-08-13 06:02:24 | 巨樹・大木
藤木の大杉は、渋川市役所の北東約10km

嘗ての赤城町長井小川にあたります

関越自動車道の赤城インターチェンジより

赤城広域農道で北上し、沼尾川の流れる深山地区を過ぎ

北側の高台に上がってから、西へ下がって行くと
.
高速道路の見える位置に出ます、北西側に子持山が見えます

墓地の中に大きな杉の木が有ります、高速道路からも見ることが出来ます

墓地の入口です、墓地に御邪魔します



藤木の大杉です


標柱です、茂木家の墓地の中に有ります

樹高28m、目通り5.5m、樹齢約400年の巨木です

道路東側の墓地にもお邪魔して、撮らせていただきました

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埼玉県加須市、玉敷神社のイチョウです!!

2015-08-12 06:13:43 | 巨樹・大木
玉敷神社は、加須市役所の南西約4kmの嘗ての騎西町にあります

国道122号線沿いですので場所は解りやすいです

駐車場は、北側の旧道から入って行きます

懸社 玉敷神社です


鳥居の並ぶ参道です

説明版です
    玉敷神社
      平安時代初期に公布された「延喜式神名帳」にその名を載せる古社である。
      当社に伝わる江戸中期の記録によれば、元は正能地区にあったが、上杉謙信の関東出兵の際焼失した。
     その後、一時根小屋の騎西城大手付近(現在の前玉神社)に移ったが、城内でたびたび出火するため、
     類焼をおそれて、この地に遷座したという。
      当社は、かつて、久伊豆明神社の本社的存在とも言われている。
     社叢は地域内の社寺林等の核的存在であり、当地方の、極相林を示すカシ・スダジイを中心とする林と
     なっており、数多くの動植物にめぐまれている。・・・・

二の鳥居でしょうか

社務所前です

手水舎です

案内板です

拝殿です

本殿です

神楽殿です

神楽の案内板です


神楽殿の直ぐ脇の大イチョウです


北側から見ます



本殿脇の大イチョウです

説明版です
     町指定天然記念物
       玉敷神社のいちょう
      この境内には二本の大いちょうがある。いずれも雄木で、神楽殿の北側あるものが樹高約30m。
     幹回り5m、枝張り15mである、途中から三本に分かれている。幹や根には乳房状になった気根が
     みられるが、これは古くなった表皮の呼吸を助けるためのものと考えられている。幹回り6m、枝張
     り15mで、ともに樹齢は五百年と推定される。
      古くからこのあたりの人々は、当社のいちょうが色づくのを見て、麦播きの時季が来たことを知っ
     たという。そうした親しみもあって、昭和五十年の町制施行二十周年には「町の木」に制定され、同
     五十五年には町指定天然記念物に指定されている。       加須市教育委員会



本殿脇のいちょうは、根元近くから3本に分かれています


本殿東側にある御神水は毎月1日に汲むことが出来ます

八坂神社です


境内社が社叢に沿って並んでいます

境内のカシの木です

駐車場の入口にも大きなクスノキがあります



保存樹に指定されています、幹回り4,18mです

玉敷神社神苑です

藤は樹齢四百年と推定されている、県指定文化財です

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群馬県桐生市、崇禅寺のイトヒバです!!

2015-08-11 05:42:49 | 巨樹・大木
崇禅寺は、桐生市役所の北西約4kmのところ

川内地区にあります

県道342号線を西へ、山田川の手前の沢を北上した山際にあります

崇禅寺入口に駐車スペースが有ります


百日紅の咲きほこる崇禅寺入口です

階段を上ると山門です

山門の懸額です

山門からもう一段上に鐘楼です

本堂です

庫裏の前にイトヒバが有ります



目通り幹回りは約6mです

西側からの幹です

説明版が有ります
      崇禅寺木彫阿弥陀如来
        名称及び員数   崇禅寺木彫阿弥陀如来  一軆
        指定 年月日   昭和三十三年八月一日
        所    在   桐生市川内町二丁目六百五十一番地
        所 有  者   宗教法人  崇禅寺
        像    高   百三十センチメートル
        台座の 高さ    六十センチメートル
      この阿弥陀如来像は五つの桧財を組み合わせた寄木造で、全体に漆箔がほどこされている。上品下生
     の来迎印を結び、顔は下向きの半眼で、はめ込みの玉眼、髪の生え際などのほか、三道、耳のはり、胸
     のふくらみなど鎌倉期の様式をととのえる優美な姿である。納依の彫りも深く、袖はきわめて薄く表現
     されており写実的手法のかなり進んだ鎌倉末期の作と思われる。台座は古い様式も見られるが、光背と
     ともに後の時代に作られたものである。
       崇禅寺の開山と木彫阿弥陀如来の伝承
      崇禅寺は渡良瀬川の北、鳴神山脈の枝尾根に連なる経塚山の東にいちする。開山は小倉の上人と呼ば
     れた智明上人によると伝えられている。
      弓馬に秀で将軍家に使えていた園田荘司、園田太郎成家は正治二年(1200)京都大番役として出
     仕し京都に滞在した際、法然上人により仏道に導かれ弟子となった。そして元久二年(1205)に帰
     郷し小倉村に草庵をつくり、家子郎従を教導した。

      群馬県指定天然記念物  崇禅寺のイトヒバ
        名称及び員数   崇禅寺のイトヒバ  一本
        指定 年月日   平成二十年三月二十七日
        所    在   桐生市川内町二丁目六百五十一番地
        所 有  者   宗教法人   崇禅寺
        大きさ
          樹 高      22.25m
          樹木幅  東西  17.17m
               南北  16.2m
          目通り  直径   1.94m
      イトヒバは境内の東、庫裏の西側に存在する。
      和名はイトヒバ、ヒヨクヒバでヒノキ科に属する。サワラの一変種で枝分かれした小枝や細い枝は長く
     糸のようにたれる。本種は一般的には樹高5~10メートルほどになるが、これほど大きな物は珍しく県
     内においてもまれにみる巨木であり古樹である。
        平成二十二年三月設置             群馬県教育委員会 桐生市教育委員会
                               宗教法人 崇禅寺 崇禅寺の自然を守る会





境内の真ん中には、大きな松ノ木がありました

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群馬県みどり市、小平の大杉です!!

2015-08-10 20:57:12 | 巨樹・大木
小平の大杉は、みどり市役所の北北東約11kmのところ

国道122号線を北へ、上桐原で渡良瀬川を県道334号線で渡って

更に北へ進みます

小平の里、小平鍾乳洞から更に3km程奥に進みます


道路脇に大きな杉の木が見えて来ます

小平の大杉です、説明版が有ります
       みどり市指定天然記念物
         小平の大杉
       この樹の枝の年輪は300を越えるものもあり、これから推察して、樹齢約千年をへているもの
      と思われる。
       うしろの梵天山に千庚申塔があり、茂木の住民が毎年五月、庚申講行事を今日に伝えている。
          根元周囲約7、27メートル
          周  囲 7.5メートル
          高  さ 24.24メートル
                                みどり市教育委員会



根元に地蔵堂があります

みどり市指定天然記念物 小平の大杉の標柱です



東側から見上げます



南側から見ます

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栃木県足利市、正蓮寺のカヤとコウヤマキです!!

2015-08-09 06:47:38 | 巨樹・大木
正蓮寺は、足利市役所の西北西約5kmのところ

松田川の一つ西側の谷の東側にあります

高野山弘法大師二十一か所の内十一番神宮山法眼寺の石碑が有ります

現在本堂改修作業が行われていました

山門は手前の駐車場に移動されています

文化財案内板です

鐘楼です



鐘楼の脇にコウヤマキの大木です

天然記念物 正蓮寺のコウヤマキの標柱です

案内板が有ります
     足利市重要文化財(天然記念物)
       正蓮寺のカヤ    一本
      目通り  五メートル       高さ  二十八メートル
     庫裏の西北にある。幹は直立し根張りが大きく発達して重みが感じられる。何回かの落雷により樹皮
    が欠け木部が露出している箇所がある。雌木でよく結実し、実も大きい。
                             昭和四十二年三月三十日  指定
       正蓮寺のコウヤマキ 一本
      目通り  三メートル十五センチ   高さ  二十メートル
     コウヤマキは日本の特産で紀州高野山に多数自生している。当寺も高野山の末寺であることから高野
    山から持って来て記念に植えたとのことである。樹勢はなお盛んである。
                             昭和四十二年三月二十日  指定
                                       足利市教育委員会


カヤです

天然記念物 正蓮寺のカヤの標柱です



北西側から、落雷の跡でしょうか

でじは、次へ行きましょう
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栃木県足利市、松田神社の大杉です!!

2015-08-08 16:30:44 | 巨樹・大木
松田神社は、足利市役所の北西約6kmのところ

県道67号線を西へ。葉鹿町で県道219号線を北上します


道路脇に案内板がありました

道路が二俣になっている所です、その西側に松田神社が有ります

鳥居です

天然記念物 松田神社のスギの標柱です

村社 松田神社です

手水舎です

社殿前の建物です、左側に大杉が見えます


大杉です

建物を潜ります

正面に松田神社社殿です

左側に大杉です
.
説明版です
    足利市重要文化財(天然記念物)
      松田神社のスギ  一本
     当神社はもと松田町宮内に鎮座していたのを永正年間(1504~1520)現在地に遷座した、その
    時御神木として植えられたのがこの杉です。
     現在、目通り(胸高周囲五m、高さ約三十m、根元は少し太く、また地上約二十m位まで枝がなく、す
    らりと伸び、その上で三本に分かれています。葉の色もあざやかで、樹勢なお旺盛です。
     松田神社の御神木として長い間神社の歴史と共に生きてきました、大きさ、形態の上からも立派なもの
    で貴重なスギです。
      昭和四十九年九月十に日  指定              足利市教育委員会



境内社が並びます



大杉です



南側から見ます

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埼玉県本庄市、沼和田宝輪寺のカヤです!!

2015-08-07 04:13:20 | 巨樹・大木
宝輪寺は、本庄市役所の北東約1kmのところ沼和田にあります

国道17号線の若泉1の信号を北へ国道462号線です

沼和田信号を西へ県道351号線に入り南側の飯玉神社の東側にあります


山門です

鐘楼です


本堂前のクスノキの大木です

本堂です


本堂の左手にあるカヤの巨木です

本庄市指定文化財 沼和田宝輪寺のカヤ(天然記念物)の標柱です





幹が良く見えませんね



北側から

目通り幹回りは、5.8メートルの巨木です

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埼玉県本庄市、金鑚神社の御神木クスノキです!!

2015-08-06 06:06:23 | 巨樹・大木
金鑚神社は、本庄市役所の西約2kmのところ

国道462号線の東側にあります

社殿の北側に駐車スペースが有ります

鳥居です

本庄新八景の石碑です

神社説明版です
    金鑚神社
          所在地 本庄市千代田3-2
      金鑚神社の祭神は天照皇大神・素戔嗚尊・日本武尊の三神である。
      社伝によると、創設は欽明天皇の二年(541)と伝えられている。武蔵七党の一つである児玉党の
     氏神として、また、本庄城主歴代の崇信が厚かった。
      境内は、ケヤキやイチョウなどの老樹に囲まれ、本殿と拝殿を幣殿でつないだ、いわゆる権現造りの
     社殿のほか、大門、神楽殿、神輿殿などが建っている。本殿は享保九年(1724)、拝殿は安永七年
     (1778)、幣殿は嘉永三年(1850)の再建で、細部に見事な極彩色の彫刻が施されており、幣
     殿には、江戸時代に本庄宿の画家により描かれた天井絵がある。
      当社の御神木となっているクスノキの巨木は、県指定の天然記念物で、幹回り5.1m、高さ20m
     樹齢約300年以上と推定される。これは本庄城主小笠原信嶺の孫にあたる忠貴が社殿建立の記念として献
     木したものと伝えられる。
      このほか、当社いは市指定文化財となっているカヤ、モミ、大門、神楽小笠原忠貴筆建立祈願文がある
        昭和六十年三月                  埼玉県
                                 本庄市


御神木のクスノキです

埼玉県指定文化財 金鑚神社クスノキの標柱です

クスノキの説明版です、幹回りが6mと神社説明版より30年あまりで、90cmも太くなっています


北側から


北東から


クスノキの直ぐ北側にあるのがカヤの木です

本庄市指定文化財 金鑚神社カヤの標柱です

カヤの説明版です、樹齢約400年の古木です


東側から

手水舎です

本庄市指定文化財の大門です

金鑚神社由緒です
    御縁起(歴史)
     本庄の市街地の中心部を東西に貫く県道勝場・本庄線は、かつての中山道である。日本橋から十番目に
    当たる本庄宿は、中山道最大の宿場であった。宿場の西端近くに鎮座する当社は、本庄宿の総鎮守として
    広く知られている。
     社記によれば、当社の創建は欽明天皇の二年(541)のことで、社地は日本武尊がかつて駐軍した古
    跡であるという。
     鎌倉時代には、武蔵七党の一つである児玉党の武士によって信仰され、とりわけこの地を在所とした本
    庄氏の崇敬が厚かった。
     降って天正十八年(1590)、徳川家康の関東入国に伴い、小笠原掃部大夫信嶺が本庄城主となった
    が、同氏もまた当社を厚く崇敬し同年九月に本庄城に入るや翌十月には当社の社殿に装飾を加え、武運長
    久を祈願している。小笠原氏は、信嶺の子信之の代に下総国(現茨城県)古河城に移封され、更にその嫡
    男の忠貴は関宿城に移るが、忠貴は本庄城で生まれた縁故により、当社への信仰が特に深く、寛永十六年
    (1639)に社殿の改築を行った。天然記念物として保護されている三本の神木(楠・榧・樅)はこの
    時植樹されたもので、忠貴は他に自筆の額や祈願状(市指定文化財)を奉納している。
     当社は明治五年に村社になったが、由緒があり信仰圏も広い故をもって、同十七年に県社に昇格した。
     


本庄市指定文化財 金鑚神社社殿です

本殿です

神楽殿です

境内社です


他にも社が並びます


金刀比羅宮は本殿北側の小山の上に有ります

では、次へ行きましょう

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群馬県藤岡市、水宮神社の大けやきです!!

2015-08-05 07:48:19 | 巨樹・大木
水宮神社は、藤岡市役所の北東約2km

JR高崎線しんまち駅の西約600m

関越自動車道の側道の東側に有ります

丁度、藤岡ジャンクションの位置です

国道17号線の笛木信号から南西へ

関越自動車道の高架の手前を北へ500m程にあります

鳥居前に駐車スペースが有ります




高速側道よりみた水宮神社です、鳥居の先に大けやきが有ります

群馬県指定天然記念物 水宮神社大けやきの石碑です

説明版です
   県指定天然記念物
     水宮神社の大ケヤキ
       所在地  藤岡市岡之郷532
       所有者  水宮神社
     水宮神社境内にある大ケヤキは、県指定された当時においては、樹齢700年以上と推定され、樹高30m
    胸高周囲7.5m、根まわり20.6m、枝ばり東西26m、南北31mと、その巨大さを象徴していまし
   た。
    その後、台風や落雷などの被害に遭い、一時樹勢の衰えが見られましたが、数年間の樹勢回復手当を経て、
   徐々に生気を取り戻しつつあります。
    ニレ科の落葉高木であるケヤキ(欅)は、葉が楕円形でその緑はノコギリの歯のように細かな切れ込みがあ
   り、先が尖っています。
    古来よりわが国には「巨木信仰」があり、このケヤキもいつのころからか同神社の御神木として崇めまつら
   れるようになりました。
                                        藤岡市教育委員会

鳥居です

村社 水宮神社です

手水舎です

社殿です


西側から


北から


東から


南側に大きな傷を治療した跡がありました

では、次へ行きましょう
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