全透院は、高崎市役所の北西約20kmの、嘗ての倉渕村です
国道406号線の東小前信号の直ぐ高崎よりの北側です
国道406号線沿いに案内板が有ります、ここを入って行きます
山門です
説明版が有ります
静かなたたずまいの全透院は、室町時代の延徳元年(1489)に木部新九郎が基を開き、大永二年
(1521)に寺の建物が作られて、紹舜大和尚を招いて開山となりました。
ここには身替りになってくれる延命地蔵尊があり、鎌倉、室町時代に信仰されました。
梵鐘と鐘楼門は、明和九年(1764)九月十五日に作られ、太平洋戦争のため供出させられたので
昭和二十五年三月に562kgの鐘を作りました。
今では毎日正午と夕方に鐘の音をひびかせいます。
また、裏山には、栗崎城址があります。
環境庁・群馬県
楼門です
階段の上に本堂です
墓地がわの階段です
池には弁財天です
本堂裏の山に栗崎城跡が残るようですが、登り口が解りませんでした
では、次へ行きましょう
国道406号線の東小前信号の直ぐ高崎よりの北側です
国道406号線沿いに案内板が有ります、ここを入って行きます
山門です
説明版が有ります
静かなたたずまいの全透院は、室町時代の延徳元年(1489)に木部新九郎が基を開き、大永二年
(1521)に寺の建物が作られて、紹舜大和尚を招いて開山となりました。
ここには身替りになってくれる延命地蔵尊があり、鎌倉、室町時代に信仰されました。
梵鐘と鐘楼門は、明和九年(1764)九月十五日に作られ、太平洋戦争のため供出させられたので
昭和二十五年三月に562kgの鐘を作りました。
今では毎日正午と夕方に鐘の音をひびかせいます。
また、裏山には、栗崎城址があります。
環境庁・群馬県
楼門です
階段の上に本堂です
墓地がわの階段です
池には弁財天です
本堂裏の山に栗崎城跡が残るようですが、登り口が解りませんでした
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