勝沼町等々力地区は、甲州市役所の南南西約4kmのところ
国道411号線の等々力信号北西側住宅地の中を入って行くと
ブドウ畑の中(ぶどう狩りの人達で賑やかです)に萬福寺が有ります
山門前に車を止める事が出来ました
勝沼地域案内です、現在地のすぐ上の卍マークが萬福寺です
参道から大きな木が在るのが分かります
山門です
浄土真宗本願寺派 杉之御坊 萬福寺です
説明版です
萬福寺
杉之御坊の名をもつ浄土真宗本願寺派触頭の寺。寺記
によれば、推古天皇12年(604)聖徳太子の命によ
り創建されたとも、巨摩郡にあった天眼寺を移したとも
伝えられ、法相、天台、真言三宗兼の道場であったが安
貞2年(1228)に遊化した親鸞の教えに従い寛元2
年(1244)浄土真宗となり、元亨元年(1321)
には十二坊が興されたという。南北朝期は天皇の祈祷所
室町期には将軍家祈祷所となり、武田氏の庇護のもと武
田信玄と本願寺・一向一揆衆との連絡をこの寺の実了師
慶が取り持った。
江戸時代に入り元和年間の火災により堂塔を失い、正
保3年(1646)には十二坊中九防が独立移転し寺町
を形成し、寛延2年(1749)寺町火事の飛び火で宝
蔵と柩堂を残し三十九棟の堂塔が焼失し、宝暦10年(
1760)から諸堂の再興がはじめられ、文化年間には
本堂・客殿・方丈・庫裏・小書院・玄関・太子堂・開基
堂・存古堂・経蔵・御殿・鐘楼・中門・総門を備えてお
り、当時の様子は境内絵図により知ることができる。
勝沼町教育委員会
山門を入って直ぐ左に、目的のムクノキが在ります
山梨の巨樹・名木100選です
参道から見上げました、目通り幹囲5,0mの巨木です
北西側から
西側から、根張りの力強さからもっと大きく見えますね
馬蹄石です、聖徳太子の乗った馬の蹄の跡があります
参道右手に鐘楼です
本堂です
六角堂です
では、次へ行きましょう
国道411号線の等々力信号北西側住宅地の中を入って行くと
ブドウ畑の中(ぶどう狩りの人達で賑やかです)に萬福寺が有ります
山門前に車を止める事が出来ました
勝沼地域案内です、現在地のすぐ上の卍マークが萬福寺です
参道から大きな木が在るのが分かります
山門です
浄土真宗本願寺派 杉之御坊 萬福寺です
説明版です
萬福寺
杉之御坊の名をもつ浄土真宗本願寺派触頭の寺。寺記
によれば、推古天皇12年(604)聖徳太子の命によ
り創建されたとも、巨摩郡にあった天眼寺を移したとも
伝えられ、法相、天台、真言三宗兼の道場であったが安
貞2年(1228)に遊化した親鸞の教えに従い寛元2
年(1244)浄土真宗となり、元亨元年(1321)
には十二坊が興されたという。南北朝期は天皇の祈祷所
室町期には将軍家祈祷所となり、武田氏の庇護のもと武
田信玄と本願寺・一向一揆衆との連絡をこの寺の実了師
慶が取り持った。
江戸時代に入り元和年間の火災により堂塔を失い、正
保3年(1646)には十二坊中九防が独立移転し寺町
を形成し、寛延2年(1749)寺町火事の飛び火で宝
蔵と柩堂を残し三十九棟の堂塔が焼失し、宝暦10年(
1760)から諸堂の再興がはじめられ、文化年間には
本堂・客殿・方丈・庫裏・小書院・玄関・太子堂・開基
堂・存古堂・経蔵・御殿・鐘楼・中門・総門を備えてお
り、当時の様子は境内絵図により知ることができる。
勝沼町教育委員会
山門を入って直ぐ左に、目的のムクノキが在ります
山梨の巨樹・名木100選です
参道から見上げました、目通り幹囲5,0mの巨木です
北西側から
西側から、根張りの力強さからもっと大きく見えますね
馬蹄石です、聖徳太子の乗った馬の蹄の跡があります
参道右手に鐘楼です
本堂です
六角堂です
では、次へ行きましょう