ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県桜川市、真壁町亀熊「八幡神社のケヤキ」は枯れてしまっていました!!

2019-06-13 06:34:30 | 巨樹・大木
真壁町亀熊は、桜川市役所の南約4kmのところ

県道151号荻島真壁線を南へ

亀熊に入って中程の東側住宅地の中に

参道を南向に八幡神社が鎮座します

神社の前は石屋さんの資材置き場のように成っています

西側の道路脇に車を止めさせて頂きました




八幡神社を参道から見ました

亀熊鎮守 八幡神社です


南側から鳥居脇のケヤキの大木です

西側から、目通り幹囲3,5m程です

東側鳥居下から見上げました


狛犬です


本殿です

本殿裏側に目的のケヤキが在りますが、枯死してしまっているようです

幹は崩れています、いまだに注連縄を巻かれています

かつては幹回り6mを超えていたようですが残念です

では、次へ行きましょう
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茨城県桜川市、大泉「鴨鳥五所神社の杉」です!!

2019-06-12 06:16:39 | 巨樹・大木
大泉地区は、桜川市役所の北約8kmのところ

県道41号線を北へ、国道50号線を超えて

更に4km程、西側の山裾に鴨鳥五所神社が鎮座します

鳥居前道路脇に車を止めさせて頂きました


東向参道です

鳥居が見えて来ました

郷社 鴨鳥五所神社です

車で奥まで入る事が出来ますが歩いて行きましょう

杉の大木の並ぶ杉並木参道です

境内社の祠です

参道は右にクランクしています

石段を上ると境内でしょうか

境内社の八坂神社です

拝殿手前参道左に目的のスギが見えました

北側から

手水舎です

拝殿です

本殿です

拝殿前から見ました、目通り幹囲6,0mの巨木です



大典記念碑です
 鴨鳥五所神社
  御祭神 伊弉諾尊 伊弉冉尊
      大己貴尊 事代主尊
      武甕槌尊 金山彦尊
  境内社 住吉四所神社 八坂神社 稲荷神社 大幡神社 
      天満神社   大椙神社 琴平神社 比叡神社
由来沿革
 大洞4年  (809)平安時代の初期 
        大泉の里飯森の峯へ勧進 五所神社と尊称
 建仁2年 (1203)結城七郎朝光が現在地に奉遷し、
        9世子孫の結城基光が現社殿を造営し
        鴨鳥五所神社と尊称
 明治6年 (1874)村社に列格
 明治36年(1903)本殿・拝殿の大修営を行う
 明治42年(1909)徳川幕府朱印領10石を寄進
        幣帛供進の指定を受ける
 昭和27年(1952)宗教法人設立し神社本庁の指定を受ける
 昭和55年(1980)本殿・岩瀬町文化財の指定を受ける
 昭和55年(1980)茨城県自然保護地域に環境局より指定を受ける
 平成元年 (1989)茨城県自然の森百選の認定を朝日新聞社より受ける
神跡 今より1183年前現在地より西方2000m飯森の峯に鎮座
神木 境内随一の大杉、幹廻り9m、樹齢凡そ900年
神紋 右三ッ巴
施設 本殿、幣殿、拝殿、神輿殿、瑞垣、社務所、神明鳥居二基
   灯籠六基、手水舎、獅子狛犬一対、記念碑六基、古札受所
   神輿二基
棟札 應安2年 (1370)結城七郎基光、本殿造営の棟札
   應永29年(1423)
   永享7年 (1436)
   文明2年 (1471)
   文久3年 (1864)
徳川将軍御朱印状
   貞享2年6月11日 (1489)
   慶安元年10月24日(1648)
   享保3年7月11日 (1719)
   延享4年8月11日 (1746)
   宝暦12年8月11日(1763)
   天明8年9月11日 (1789)
   天保10年9月11日(1840)
   安政2年9月11日 (1856)
   萬延元年9月11日 (1860)
境内地七反五畝 山林六町八反三畝
  平成4年11月22日
          宮司 上野貞瑞
             建設委員会


文化財石碑です
 鴨鳥五所神社
 本殿  有形文化財に指定 岩瀬町教育委員会
    昭和55年12月10日  
  殿  棟札2枚 銘札1枚
     有形文化財に指定 茨城県教育委員会
    平成5年1月25日
茨城県自然保護特別地域に指定 茨城県 環境局
    昭和56年4月1日 
茨城県自然の森百選に指定 茨城県・朝日新聞社
    平成元年2月3日
記念植樹 茨城県指定 天然記念木けやき10本
    平成5年4月5日

神杉の切株です


説明書きです
   神杉の切株について
 西茨城郡内の巨木の中で、最も太く立派だと評された
神杉(胸高周囲約14m、樹齢800年)は、明治27
年(1894年)日清戦争が勃発するや、国難救済の要
請に応え、艦船造営の資材として、時の海軍省に提供し
た。しかし、この戦役には間に合わず、10年後の日露
戦争に貢献したと伝達され、当神社は大いに面目を施し
た。伐採後の切株は覆屋を設けて風雨を避け、大切に保
存されてきたが本年12月、氏子総代等の奉仕により改
修を施し、社宝の一つとして、更に後世に保存すること
になった。
  平成12年12月 吉日
      鴨鳥五所神社 宮司 上野貞瑞




境内社が並びます

境内社の淡島社です


では、次へ行きましょう
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茨城県桜川市、富谷「高尾神社のスダジイ」です!!

2019-06-11 06:50:53 | 巨樹・大木
富谷地区は桜川市役所の北約6kmのところ

県道41号線を北へ国道50号線を東へ

岩瀬信号の先の信号を北へ入ります

突き当りを西へ直ぐ道路右手に椎の樹叢が見えました

高尾神社が鎮座します

向かい側道路脇のゴミ集積所広場に車を止めさせて頂きました



神社の樹叢が見えて来ました

道路脇の椎が目的の巨木です

右側の椎の大木です、樹冠の大きさではこちらの方が倍以上の大きさが有ります

南側から

南西側から、目通り幹囲6,2mの巨木です

直ぐ西側に神社への入り口が在ります

村社 高尾神社です

弐十三夜供養塔が並んでいます

手水舎です

拝殿です

本殿です

本殿脇にはモミの大木です

境内社の後にはカヤの大木です

拝殿前(北西側)からスダジイを見ました

北側から

大きな樹冠の椎です

では、次へ行きましょう
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茨城県那珂市、静「静のムクノキ」(県指定)です!!

2019-06-10 06:58:04 | 巨樹・大木
静地区は、那珂市役所の北西約8kmのところ

県道31号線、国道118号線、県道61号線とたどります

静神社の手前の住宅の切れ間から北側にムクノ木等の樹叢を見ることが出来ます

西側道路端に車を止めさせて頂きました

南西側から見ました

ムクノキです

文化財標柱です、天然記念物 静のむくの木、昭和14年3月31日県指定 とあります

南西側から

説明版です
   天然記念物
      茨城県指定文化財第6号
      昭和14年3月31日
名称   静のむくの木
所在地  那珂市静455番地
 平安時代の末頃、白河天皇の永保3年(1083)
北方陸奥に清原氏の反があった。源義家は、朝命を受
けてこれを討った。これは「後三年の役」といわれ、
この時、義家は大軍をひきいて、この地に休止して、
この社に戦勝を祈願した。
 その時、義家は持参した鞭を地上に挿したまま、出
陣した。それが根づいたものと伝えられている。
 桂木稲荷神社(祭神は倉稲魂命)の神木で、ニレ科
植物の北限の巨木として珍しい。
 樹齢約900年余、樹高約15m、胸高周7m。
     平成4年5月
    茨城県・那珂市教育委員会

北西側から
 樹勢回復事業の案内板です   

北側から


南側から稲荷神社をみましたが鳥居は無残な状態です

南東側からムクノキです

根元を見ました

稲荷の祠が祀られています

西側のカヤの木です

カヤの根元の祠です

北西側からのカヤです

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茨城県那珂市、静「静か神社の杉、ヒノキ」は枯れてしまいました!!

2019-06-09 08:06:19 | 文化財・寺社
静地区は、那珂市役所の北西約8kmのところ

県道31号線、国道118号線、県道61号線とたどります

県道の北側の尾根上に静神社が鎮座します

静神社鳥居前の駐車場に入りました

なか案内マップです、静神社は左上の角に在りますね

参道入口白鳥居です

常陸二ノ宮 静神社です

説明版です
   静神社
  国指定重要文化財 銅印
  県指定文化財 紙本着色三十六歌仙
 静神社は、鹿島神宮、香取神宮とともに古くは
東国の三守護神され、また常陸一の宮の鹿島神宮
に次いで二の宮といわれた古い神社である。
 祭神の建葉槌命は、日本で初めて織物を織った
神といわれている。水戸二代藩主徳川光圀(義公
)は、静神社を特に崇敬し社殿を改築し奉納され
たが、天保12年(1841年)火災で焼失し、
神明造の社殿は水戸9代藩主徳川斉昭(烈公)に
よって再建されたものである。
 宝物には奈良時代の後期の作といわれ「静神宮
印」と刻まれた銅印がある。なおこの地方は昔「
静織の里」と呼ばれ、初めて織物(綾織)を織っ
たと伝えられている。
               那珂市


手水舎です

二の鳥居は銅鳥居です

敬神碑です
 



参道石段を上がりましょう

案内板です


説明版です




天然記念物 静神社のヒノキの標柱です

手水舎です

織姫像です

常陸風土記の碑です




恵比寿像です

山門です

拝殿です

軒下の額には「静太神宮」の文字です


本殿です

拝殿右手にこんもりとお御籤を巻く中心に残っている幹がヒノキの幹のようです(平成18年11月枯死のため指定解除)

境内東側に境内社が並びます

大杉の覆い屋です

大杉の切株です

案内板です
 元御神木の由来
1、樹種  杉
1、樹齢  推定千年
1、太さ 目通りの周囲 6m50cm
1、由緒
  この枯木は、もとは拝殿に向って左前庭にあったもので、
 昭和60年11月ここに移し上屋を設けて永く保存するもの
 である。
  天保12年(1841年)火災のため枯れたが生木の際は
 御神木として御千度杉と呼ばれ願事が叶うようにとこの木の
 周囲を千度廻る慣習があったとの言伝へがある。


神輿殿です

境内社です

本殿西側の境内社です


境内北東側から足尾神社への参道です

杉並木の山道を下って行きます

社が見えて来ました

足尾神社の社です、側には芦野怪我に関連した品物が収められたいました

では、戻って次へ行きましょう
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茨城県日立市、森山「吉田神社のアカガシ」です!!

2019-06-08 07:03:55 | 巨樹・大木
森山地区は、日立市役所の南南西約8kmのところ

国道6号線を南(水戸方面)へ進みます

国道が西に向きを変える手前

西に入った所に吉田神社が鎮座します

鳥居前道路脇に車を止めさせて頂きました



鳥居が見えて来ました

村社 吉田神社です

鳥居脇の文化財説明版です
  吉田神社棟札(27枚)
   日立市指定歴史資料第号(平成7年12月26日)
 吉田神社は延歴14年(795)に八幡社として創建され
たと伝えられますが、元禄8年(1695)寺社改革によっ
て吉田明神と改められ、森山と大沼両村の鎮守となりました
。この吉田神社に伝わる室町時代から江戸時代にかけての2
7枚の棟札が指定されています。もっとも古いものは今から
600年程前の応永20年(1413)のものです。
 棟札は建物の棟上げや修理に際して、工事の名目と時期・
願主・檀那・大工などの名前を記したもので、世の中が平安
となるよう祈りをこめてつくられています。中世の棟札の檀
那にはその地域の領主がなっていることが多く、信仰をなか
だちにした領主と村人のつながりを見いだすことができます。
                日立市教育委員会

水盤です

神習碑です
 常陸多賀郡坂上村森山吉田神社係桓武天皇延歴14年創
 立祀日本武誉田別二尊往昔稱日吉田八幡雨神宮為森山大
 沼二村鎮守而明治13年単為森山鎮守永承7年源頼義征
 奥之途次祈戦捷於 社康平5年 神領若干其子義家亦拝
 祷馬應永慶長以下之梁簡 尚存在牟適社殿朽敗區民憂之
 乃議改修各醵義金立得鉅額明治41年春起工改修本社
 拝殿且建石華表是以30餘戸之區民完成 擧盖由氏子総
 代乃區内諸民敬神至誠之深且厚也大正2年遵制規設社時
 請為供進饌帛社格官輒聴之是歳6月為栢定神社區民之喜
 可知也頃日浴勤諸碑石以刻後人請余文因敍其梗 云
  大正2年12月
 
 

参道を進みましょう(日の出直ぐで東から朝日が差し込んでいます)

参道左手の大木です

狛犬です

拝殿です

本殿です

本殿の東側に目的のアカガシです

根元には境内社の祠が並びます(左から天満神社・鷺森神社・阿夫利神社)

東側根元には富士神社の祠です

東側から

北東側から

北側から、根本の大きなコブが特徴的です

西側から、目通り幹囲6,0mの巨木です



アカガシの東側の大木です

稲荷神社です

こちらの境内社の社は傾いてしまっています

では、次へ行きましょう 
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茨城県常陸太田市、大森「鹿島神社の椎」(市指定)です!!

2019-06-07 06:39:53 | 巨樹・大木
大森地区は、常陸太田市役所の東南東約5kmのところ

県道61号線から県道156号線へと進み

間も無く日立市境近くなったころ

常磐自動車道の高架の手前を西に入ると

東向き参道の鹿島神社が鎮座します

境内入口脇に車を止めさせて頂きました



鹿島神社への参道です

正面に目的の椎の木が参道を覆う様に立って居ます

東側から見上げました

南東側から

説明版です
 市指定文化財
   鹿島神社の椎
  所在地 常陸太田市大森町410番地
  管理者 鹿島神社
  昭和46年6月15日指定
1、幹周   10,03m
1、根元   11,80m
1、樹高     約15m
1、最大枝張り  約16m
1、推定樹齢   440年
   平成20年3月
    常陸太田市教育委員会

北側からは見通しが利きませんでした




村社 鹿島神社です

南側から

離れて全体を見ました

根元の幹は鳥居の蔭まで広がっています

鳥居です、境内は鬱蒼とした木々に覆われて暗く成っています

造営記念碑です

参道脇の祠です

手水舎です

拝殿です

本殿です

境内社の社です

八幡宮や壱宮神社、雷神社、奥之宮などの合祀社には大黒様と恵比寿様が沢山並んでいます

境内の祠です

石灯篭輪金おケヤキの大木です

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茨城県常陸太田市、「栄町のケヤキ」です!!

2019-06-06 07:15:10 | 巨樹・大木
栄町は、常陸太田市役所の北西約1kmのところ

太田小学校の北東側に広い空き地が在ります

其の空き地の東端にイチョウの大木と

北東端に目的のケヤキが在ります

敷地の東側入口脇に車を止めさせて頂きました


東側からの空き地入口のイチョウです

北東側から

南東側から目的のケヤキです

東側から

北東側から

北側から、目通り幹囲5,5mの巨木です

西側から見ました

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茨城県常陸太田市、天神林「稲村神社のケヤキ」です!!

2019-06-05 07:55:42 | 巨樹・大木
天神林地区は、常陸太田市役所の西南西約2kmのところ

県道61号線を西へ進みます

国指定重要文化財佐竹寺に北側の細い道路を更に西へ

道なりに進むと右手道路脇にケヤキの巨木が見えて来ます

稲村神社の参道へ入った右側(ケヤキの北側)に駐車スペースがあります

東側から近ずくと大きなケヤキが在ります



延喜式内 郷社 稲村神社です

説明版です
  稲村神社
 この社は、久自国造の祖神𩜙早日命並びに
七代天神を奉斎した神社で延喜式、続日本紀
、日本三代実録などに載っている古社である
。昔、日本武尊が東方征討の折、天神七代の
神々を間坂外六ヶ所にまつって戦勝を祈願し
たと伝えられ、元禄6年(1693年)、西
山荘に隠棲していた水戸第二代藩主徳川光圀
(義公)は、これらの神々を稲村神社に合祀
して七代天神宮と称し、社殿を修理し、扁額
をかかげ、神宝を奉納し、自ら祝詞を奏上し
て鎮座祭を行った。その後も光圀は、たびた
びこの社に参詣した。現在の本殿は後に建て
られたものであるが、神明造りの特色をよく
あらわしている。
        常陸太田市



参道入口に目的のケヤキです

常陸太田市 みどりの文化財 登録樹 第0007号です

参道奥側から見上げました

更に奥から見ました



北に舌状に張り出した半島状の尾根筋先端に社殿が在ります、参道を北へ進みましょう

一の鳥居です

参道は下りながら北へ延びます

境内入口です、二の鳥居です

手水舎です

水盤です

石段を上がります

拝殿です

拝殿前の水鉢と狛犬です

本殿です

舞殿でしょうか

御岩神社の石碑です






社殿の周りには境内社や祠が並びます

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福岡県春日市、春日「春日神社のクスノキ群」です!!

2019-06-04 06:30:42 | 巨樹・大木
春日地区は、春日市役所の南約1,0kmのところ

JR鹿児島本線おおのじょう駅から春日野中学校前を通って

「九郎天神のクスノキ」を見て、前の道が春日神社の表参道です

住宅街を進んできました

太鼓橋です

神池のクスノキの巨木です

西側から見ました

参道の鳥居です、鳥居前を「春日の杜通り」が通ります

県社 春日神社です

境内道路沿いにもクスノキの巨木です

下段境内の手水舎です

説明版です
 春日神社
   旧社格 県社
祭神  天児屋根命(あめのこやねのみこと)
    武甕槌命(たけみかづちのみこと)
    経津主命(ふつぬしのみこと)
    姫大神(ひめおおかみ)
由緒(縁起による)
 天智天皇皇太子としてこの国におあします時
、この地に天児屋根命を祀り給える神籬の跡と
言い伝う。
 神護景雲2年(768年)藤原田麻呂大宰府
大弐として大宰府に在りし時、大和春日より、
武甕槌命、経津主命、姫大神の三柱をこの神籬
に迎え併せ祀り、社殿を創建して春日大明神と
称え奉る。
 天正14年(1586年)島津勢の兵火にか
かり、社殿、末寺、宝蔵、古文書等一切が焼失
した。
 寛永4年(1627年)知行領主黒田美作一
成により社殿が再建された。その後元禄9年(
1696年)改築さえれて現在に至る。
 鳥居は宝永7年(1710年)黒田美作一利
により奉納されたものである。
    

春日神社と周辺史跡の説明版です
  春日神社
 この神社は、中大兄皇子(後の天智天皇)が
天児屋根命をまっつたことに始まり、その後、
786(神護景雲2)年に大宰大弐藤原田麻呂
が大和国春日より春日大明神三柱を迎え神社を
創立したと伝えられてます。
 江戸時代にはこの地は三奈木黒田家の所領地
になり福岡藩ゆかりのものも多く残っています
。境内北側の博多承天寺の末寺、大光寺の跡に
は世話人によって十三仏が安置されています。
 境内に高く茂る樟「春日の杜(樟)」と、境
内裏山に群生する「センリョウ叢林」は、県の
天然記念物に指定されています。
また、古くから行なわれている小正月の行事「
春日の婿押し」(国指定重要無形民俗文化財)
の舞台となる所としても知られています。



手水舎です

鳥居です

境内のクスノキ群です、大小6本のクスノキが在ります

西側から

説明版です
 「春日の杜」
    天然記念物
    昭和38年1月16日指定
 春日の杜は、春日神社境内の11本の樟で
形成された杜をいいます。
 社の古さとともに、長い年月を経てきた樹
齢が偲ばれます。
 いずれの木も樹枝が繁茂し、雄大で、特徴
は樹木が接近し、特に三号木は二本の樹木が
癒着し、一体となっていることです。
  1990年1月  春日市教育委員会

北側から

三号木です





鳥居の脇のクスノキにはフジが巻き付いています

拝殿前境内側から

山門を潜って拝殿に行きます

山門脇のクスノキです

拝殿前から見ました

拝殿です

本殿です

若宮です

野木大将遺品収蔵之地の石碑が建っています

では、次は西鉄天神大牟田線しろきばる駅へ向かいます

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福岡県春日市、春日「九郎天神のクスノキ」です!!

2019-06-03 09:06:17 | 巨樹・大木
春日地区は、春日市役所の南約1kmのところ

今回の電車移動では、JR鹿児島本線おおのじょう駅を利用しました


おおのじょう駅です

県道587号線で南西方向に進みます

春日野中学校を過ぎて県道を離れて西へ

牛頭川沿いを進むと

「おしおいはし」の向かい側に大きなクスノキが見えます

根元に九郎天神の祠が祀られています

南側から

東側から、目通り幹囲6,6mの巨木です

保存樹標識です
 保存樹木
1、所在地  春日2丁目124
2、樹種   くす
3、指定番号 No.8
 この木は、本市の美観風致を維持する
ために指定したものです。大切に保存し
ましょう。
 昭和50年12月1日指定
      春日市長

北側から見ました

では、そのまま北に進んで春日神社に行きましょう
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福岡県太宰府市、通古賀「王城神社の樟と飛梅原木」です!!

2019-06-02 07:02:53 | 巨樹・大木
西鉄天神大牟田線とふろうまえ駅と、ふつかいち駅の間に

参道を西向きに王城神社が鎮座します


西鉄天神大牟田線とふろうまえ(都府楼前)駅です

駅前の案内板です、目的の王城神社も飛梅の原木の場所も乗っていませんね~スマホのマップを見て移動します

王城神社入口です

水盤です


説明版です
  王城神社由来記
 王城神社は、大国主命の子でえびす様として
あがめ親しまれている事代主命をお祀りしてい
ます。古来、えびす様は、市(いち)の売買を
守る神として商売の尊崇が篤く、また農・漁業
の守護神として崇敬されてきました。
 王城神社の始まりは、天智天皇4年(西暦6
65年)、都府楼が建てられたとき、それまで
武甕槌命と相殿で四王寺山に祀られていた事代
主命を筑前国衙庄(現在の通古賀5丁目、旧小
字扇屋敷)にお移ししたことに由来し、また、
王城神社の名称は、王城山(四王寺山)の神と
して王城大明神と崇め奉られていたことにより
ます(船賀法印「王城神社縁起」)
 その後延喜元(901年)年、都府楼南館(
榎寺)に謫居の身となった菅原道真公を始めと
して、太宰府の盛衰を反映しながらも時の官人
、武人たちの参詣を受けてきました。しかし、
神社の長い歴史の中では、戦火の余波をこうむ
ることもしばしばで、たとえば天正6「(15
78)年には高橋紹運を攻めた秋月勢の兵火に
かかって社殿が焼失してしまいました。このと
きは領主小早川隆景の寄進を受けましたが、宮
田の寄進を始めとして氏子村民により祭礼や神
社の運営が支えられてきました。
 近年では、王城神社は明治5(1872)年
に旧水城村の村社に定められました。現在も毎
月1日に旧水城地区の各神社代表を交えて月次
祭が、また春・夏・秋にはおこもりや夏祭り、
宮相撲が行なわれ、九州で最も古いえびす様と
尊称されながら現代を生き続けています。
 平成23(2011)年10月吉日
            王城神社氏子会


狛犬です

拝殿です

本殿です

拝殿の北側に目的のクスノキが在ります

西側から

北西側から

拝殿脇から

本殿脇(南東側)から幹周5,7mの巨木です(クスノキとしては一般的なサイズなのが残念ですが~)

境内社です

では、次は飛梅原木です

王城神社の東へ直ぐの住宅の庭に、飛梅原木が在ります

飛梅原木です


説明版です
  「飛梅」原木の縁由
 「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花
        主なしとて 春な忘れそ」
 太宰府天満宮の御社頭に、毎年はるのさきがけを
告げる「飛梅」は、天神様菅原道真公の御神徳を顕
彰して、参けいの人々に親しまれておるます。
 菅公が右大臣より左遷され、太宰權帥としてこの
地に配流の時、都の旧邸の公の愛梅が、公を慕って
一夜のうちに飛んで来たので「飛梅」と名付けられ
ました。
 大宰府に於ける菅公の配所は「南館」(鴻臚南館)
でその一部が御旅所の榎寺となっています。
 「飛梅」の由来は、菅公の恩寵にあずかった伊勢
神宮の神官が、公を慕って大宰府に西下する途中、
都の旧邸より、公の遺愛の紅梅を根分けして携え、
「南館」の庭前に植えたと伝えられています。
 天満宮の本殿造営に時、現在の社前に移植されま
した。
 この「飛梅」の原木は「南館」の庭にあった往昔
のあかしとして、幾世代もこの地に植え継がれまし
た。現在は浄土真宗正行寺の「榎寺多屋」の境内に
、菅公を偲ぶよすがを留めております。
   -太宰府市通古賀の「飛梅」を護る会-



では、西鉄天神大牟田線ふつかいち駅から博多天神に戻りましょう
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福岡県太宰府市、太宰府天満宮の「ヒロハチシャノキ」です!!

2019-06-01 06:15:08 | 巨樹・大木
本殿の西側社務所前に

天然記念物のヒロハチシャノキの大木が在ります


狭い敷地に在ります

天然記念物 大宰府神社ノひろはちしゃのき と成っています

説明版です




南東側から

東側から

北側から

北西側から


西側から

西側道路から見ました

では、そろそろ次へ行きましょう
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