大泉地区は、桜川市役所の北約8kmのところ
県道41号線を北へ、国道50号線を超えて
更に4km程、西側の山裾に鴨鳥五所神社が鎮座します
鳥居前道路脇に
車を止めさせて頂きました
東向参道です
鳥居が見えて来ました
郷社 鴨鳥五所神社です
車で奥まで入る事が出来ますが歩いて行きましょう
杉の大木の並ぶ杉並木参道です
境内社の祠です
参道は右にクランクしています
石段を上ると境内でしょうか
境内社の八坂神社です
拝殿手前参道左に目的のスギが見えました
北側から
手水舎です
拝殿です
本殿です
拝殿前から見ました、目通り幹囲6,0mの巨木です
大典記念碑です
鴨鳥五所神社
御祭神 伊弉諾尊 伊弉冉尊
大己貴尊 事代主尊
武甕槌尊 金山彦尊
境内社 住吉四所神社 八坂神社 稲荷神社 大幡神社
天満神社 大椙神社 琴平神社 比叡神社
由来沿革
大洞4年 (809)平安時代の初期
大泉の里飯森の峯へ勧進 五所神社と尊称
建仁2年 (1203)結城七郎朝光が現在地に奉遷し、
9世子孫の結城基光が現社殿を造営し
鴨鳥五所神社と尊称
明治6年 (1874)村社に列格
明治36年(1903)本殿・拝殿の大修営を行う
明治42年(1909)徳川幕府朱印領10石を寄進
幣帛供進の指定を受ける
昭和27年(1952)宗教法人設立し神社本庁の指定を受ける
昭和55年(1980)本殿・岩瀬町文化財の指定を受ける
昭和55年(1980)茨城県自然保護地域に環境局より指定を受ける
平成元年 (1989)茨城県自然の森百選の認定を朝日新聞社より受ける
神跡 今より1183年前現在地より西方2000m飯森の峯に鎮座
神木 境内随一の大杉、幹廻り9m、樹齢凡そ900年
神紋 右三ッ巴
施設 本殿、幣殿、拝殿、神輿殿、瑞垣、社務所、神明鳥居二基
灯籠六基、手水舎、獅子狛犬一対、記念碑六基、古札受所
神輿二基
棟札 應安2年 (1370)結城七郎基光、本殿造営の棟札
應永29年(1423)
永享7年 (1436)
文明2年 (1471)
文久3年 (1864)
徳川将軍御朱印状
貞享2年6月11日 (1489)
慶安元年10月24日(1648)
享保3年7月11日 (1719)
延享4年8月11日 (1746)
宝暦12年8月11日(1763)
天明8年9月11日 (1789)
天保10年9月11日(1840)
安政2年9月11日 (1856)
萬延元年9月11日 (1860)
境内地七反五畝 山林六町八反三畝
平成4年11月22日
宮司 上野貞瑞
建設委員会
文化財石碑です
鴨鳥五所神社
本殿 有形文化財に指定 岩瀬町教育委員会
昭和55年12月10日
殿 棟札2枚 銘札1枚
有形文化財に指定 茨城県教育委員会
平成5年1月25日
茨城県自然保護特別地域に指定 茨城県 環境局
昭和56年4月1日
茨城県自然の森百選に指定 茨城県・朝日新聞社
平成元年2月3日
記念植樹 茨城県指定 天然記念木けやき10本
平成5年4月5日
神杉の切株です
説明書きです
神杉の切株について
西茨城郡内の巨木の中で、最も太く立派だと評された
神杉(胸高周囲約14m、樹齢800年)は、明治27
年(1894年)日清戦争が勃発するや、国難救済の要
請に応え、艦船造営の資材として、時の海軍省に提供し
た。しかし、この戦役には間に合わず、10年後の日露
戦争に貢献したと伝達され、当神社は大いに面目を施し
た。伐採後の切株は覆屋を設けて風雨を避け、大切に保
存されてきたが本年12月、氏子総代等の奉仕により改
修を施し、社宝の一つとして、更に後世に保存すること
になった。
平成12年12月 吉日
鴨鳥五所神社 宮司 上野貞瑞
境内社が並びます
境内社の淡島社です
では、次へ行きましょう