ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県長野市、戸隠栃原「戸隠田頭の岩窟観音堂の大杉」(市指定)です!!

2023-10-30 18:39:35 | 巨樹・大木
 戸隠栃原地区は、長野市役所の西北西約15km、長野市戸隠支所の西南西約4kmのところ

 長野市戸隠支所前から県道86号線を南へ道成りに進みます

 約1.2kmで案内板に従って「川手区折橋・国道406号線」方面の右(南西)へ、県道86・404号線です

 約2.4kmの折橋で案内板の「地質化石館」方面の右(南西)へ、県道404号線です

 道成りに約2.2kmで、折橋の案内板にあった「地質化石館」(旧柵小学校の校舎)を左に直ぐ先を左(西)へ入ります

 まだまだ県道404号線です、約1.1kmで左へ道成りに進み坂道を下って行きます

 約700mで橋の手前を右後方へ、「岩窟観音自然公園900m入口」と「岩窟観音堂大杉(周囲9m)」の看板が有ります

 登り返して約200mの案内板です

 また約200mで案内板です

 約200m急な坂道を上って、神社の幟の支柱の先を右へ細い舗装路に入ります、「林道上ノ入線」です

 道成りに約300m進んで砂利道となって、約400mで道路右手に

 看板が見えて来ました

 目的の大杉の説明版です
  天然記念物 岩窟観音堂の大杉
   樹種 熊杉
   目通り周囲 8,6m
   高さ   25.0m
 平維茂手植えの杉が起源と言い伝えられている。
   樹齢 約450年(推定)
     昭和47年11月1日指定

 岩窟観音堂の説明版です
  長野市指定有形文化財(建造物)
    戸隠田頭の岩窟観音堂
      平成30年3月9日指定
 戸隠栃原の田頭集落にある岩窟観音堂である。
 観音堂内には、52枚の絵馬が奉納され、古いものは天明6年(1786)の絵馬がある。
 建物の年代を確認できる史料として、拝殿板壁に記された文政8年(1825)の墨書があり、19世紀前半以降の建築と推定される。
 本建物は、山岳地域に立地する懸造の建造物である。
 全面の拝殿とその奥の巖窟を奥殿とした造りは、独特の宗教的雰囲気を醸し出している。
 また、床下の架構が独特で、曲がった水平材を巧みに組み合わせ、その上に垂直材をたてることで床を支える。
 一般的な懸造にみられる床を支える柱はなく、架構の形は他に類を見ない。
 岩窟観音堂の隣には、市指定天然記念物の大杉が立つ。
 懸造・・・寺社建築、住宅などにおいて山または崖に持たせかけて建物を造ること。懸崖(けんがい)造ともいう。
    平成30年12月26日
        長野市教育委員会


 100m程先に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました、東屋のある岩窟観音自然公園です

 駐車場脇の説明版です
   岩窟観音自然園
 平安の昔から伝承された天然記念物の大杉と岩窟観音堂、そして鬼女紅葉伝説、更に多くの石仏は、地域遺産として今日まで語り守られてきました。
 地域住民が住みよい環境を願い里山として手造りで育て守っている公園です。
 樹木・野草・昆虫など大切にしましょう。


 説明版のところへ戻って岩窟観音への山道を行きましょう

 石仏は観音様でしょうか

 さらに進むと

 右手に天然記念物標柱です

 右上を見上げるようにして、目的の大杉を見ました

 ズームアップしてみました

 すぐ先の木々の間からも見てみました

 山道を折り返すと観音堂と大杉です


 斜め下側から見上げます

 岩窟観音堂は大きな岩屋の前に建って居ます

 軒下に説明書きです
   名稱及び所在地
 1、妙見寺(岩窟観音堂守護寺)奥の院岩窟観音堂と稱し長野縣信濃国上水内郡柵村(しがらみむら)大字栃原ノ内の裏山に存在す
   縁起
 2、本尊観世音(弘法大師御作)
   仝馬頭観世音(仝  松せり
 右観世音の起 たるや、康保安和(964~970)の昔、本村釜巖山(后は荒倉山と称せり)に鬼女紅葉云う者穴居し、徘徊出没しして遠近の人民の残害あり。
 安和2年(969)余吾将軍平維茂勅を奉じてこれを征す。
 先是将軍駕を當国に狂ぐるも鬼女の棲所を知るに由なし、仍て小縣郡別所村北向堂観世音に祈願を込め参籠て一夜深更堂宇北に向かうと、霊夢・感應あり、即ち鬼女北方に生息す、生息を知る。遂に釜岩山に じ鬼女及び妖邪徒を掃蕩して全て平 に帰す、是れ観音大士の霊験ありと感悦す、惜 之釜岩山脈の西南の凡り30丁奇巌聳えるの地を探索し、北向山観世音の霊を分ちて此所に安置し岩窟観音と尊し、人馬等参拝する。
 古今遍し境内に老杉あり、、周囲実に3丈3尺、今尚維茂将軍手植の杉と稱賛せり。
 如是由緒の深遠霊験顕著の観音大士を敬拝し信念、神ねん溢れ、終に国宝に編入すべく其節へ目下出願中。
 3、仝地に到る順路
 長野県県庁所在地を距る、4里30丁

 観音堂の前には石仏です

 少し下に大杉が立っています

 「岩窟観音堂・維持お手植えの杉」の看板です

 *維持は平安時代の平維茂(たいらのこれもち)のことで、鬼女紅葉を維茂が討伐した紅葉伝説の伝承地です(大昌寺の説明版にも「紅葉狩」の説明がありました)

 こちらからでは余り太く見えませんね~

 観音堂と大杉の間を通って境内端から見ましたがこれが限界でした

 では、次へ行きましょう 
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長野県長野市、戸隠栃原「大昌寺鎮守の熊杉」(市指定)です!!

2023-10-30 06:32:32 | 巨樹・大木
 戸隠栃原地区は長野市役所の西北西約12km、長野市戸隠支所の南西約3kmのところ

 長野市戸隠支所前から県道86号線を南へ道成りに進みます

 約1.2kmで案内板に従って「川手区折橋・国道406号線」方面の右(南西)へ、県道86・404号線です

 約2.4kmの折橋で案内板の「地質化石館」方面の右(南西)へ、県道404号線です

 道成りに約2.2kmで、折橋の案内板にあった「地質化石館」(旧柵小学校の校舎)を左に見て坂道を更に進みます

 約700mで道路左(西側)に大昌寺参道入口が東向きに開いています

 すぐ先右手に広い駐車場がありますので利用させて頂きました

 県道沿いに説明版です
  紅葉峰 万樹林 権現山大昌寺
 虫倉・荒倉の両山を背負い、東北になだらかな飯綱山を望む「鎮守の大杉」のある竜門頭から200m余りの平坦な直線路の参道を通って仁王門に達する。
 正面に雄姿本堂が建ち、左手に十王堂、右手は庫裡と鐘桜堂・不動堂がある。
 大昌寺の前身は、永正年間(1504~21)、当地の福平城主溝口信濃守の開基した真言宗蜜厳寺で、そのあとへ慶長年間
(1596~1616)僧麟蔵主が小庵を建て、蜜厳寺本尊地蔵菩薩(現位牌堂本尊)を拝して、禅を唱え、さらに松厳芳祝によって再興開山した。
 芳祝は青原寺(現穂高町)7世で竜門寺(現明科町)、松厳寺(現鬼無里村)を開創し、明松寺(現小川村)3世の5ヶ寺住職を兼ねた。
 慶長9年(1604)には松代藩主松平忠照の補佐大久保長安の内申で寺領十石三斗が寄進され、慶安2年(1649)将軍家光より朱印状を下附され、朱印寺となった恩恵をしめすため、「東照山大昌寺」と称したが、後に「権現山大昌寺」と改め、今日に至っている。
 本尊は釈迦牟尼仏。脇師は文殊菩薩と普賢菩薩。
 9世瑞応留守中の天明3年(1783)11月24日馬屋二階より出火、本堂・庫裡・禅堂など伽藍を全焼し、朱印状も焼失した。
 同7年に朱印状は再下附され、堂宇も寛政元年(1789)までにそのほとんどを再建した。
 当地は謡曲や能で有名な「紅葉狩」の舞台で、当寺にも、鬼女紅葉と平維茂の合祀の位牌、狩野派の絵師三村養益の描いた「紅葉狩」の掛け軸があり、平成3年22世普山の機に「紅葉慈母観音」が建立され、「歳時記」にも”鬼女の寺”として載っている。
 他に、9世瑞応書写になる道元禅師の「正法眼蔵随聞記」、螢山禅師の「伝光録」は学問的に高く評価されている。

 参道に入ると直ぐ左手(南側)に石仏を中心に石塔が並びます


 石仏です

 参道右手に目的の「鎮守の熊杉」です

 熊杉の入り口には鳥居です 

 南側から見上げました、二本の太い幹が並んでいます

 根元には「大昌寺鎮守」の祠です

 案内板です
   天然記念物 鎮守の熊杉
     樹種 熊杉
     目通り周囲   6.7m
     高さ     23.0m
     樹齢 約450年(推定)
     昭和47年11月1日指定

 参道の西側先に大昌寺本堂の屋根が見えました

 西南西側から

 西北西側から

 北側から、二本の幹が良く解かります

 北東側から

 車を止めさせて頂いた駐車場入り口から見ました

 では、次へ行きましょう
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