湯村3丁目は、甲府市役所の北西約4kmのところ
甲府市役所東信号から県道31号線を北へ、約800mで左へカーブして100mの信号を右(北)へ
約20mで武田信号を左(西)へ県道6号山の手通りです、約2.2kmの湯村信号を右(北)へ湯村温泉通りです
市内の案内図です、左端に塩沢寺が表示されています
道成りに約500mで、右手に塩沢寺の山門です
甲斐国 厄除地蔵尊 福田山 塩沢寺です
側面には、厄除地蔵菩薩略縁起が彫られています
厄除地蔵菩薩略縁起
当山厄除地蔵大菩薩は、人皇51代平城天皇の御宇、大同3戌子年(808年)高祖弘法大師諸国御教化の砌り錫を当地に停め、偶は感じる所あり、凡そ人生一期の中必ず大小25度の厄難あること諸経論中 明なり、然るに当国未だ霊場あるを聞かず、我衆生の為に発願して大悲菩薩の降臨を請んと、17ヶ月の間日夜肝胆を砕き、御祈誓あらせられました。
奇なるかな 正月14日の暁明星とひとしく御文1寸8分なる御影赫耀として岩上に降臨し給う。大師御胸に彼の降臨仏の霊を秘め、7月16日を期し御親刻給う。爾来、其霊験を仰ぐに利益日に新たに感応日に盛なり。
後、天暦9年(955年)空也上人、彼菩薩の霊験を蔵し、自ら六尺有余の座像を平常衆庶の参拝仏として安置し、大師御親刻の霊像を寺内に秘蔵し、名付けて福田山塩澤寺と称て、 武田、徳川両家累代の帰依浅からず、陣中守護秘仏として御親拝あり。
山門前の舞鶴のマツです
南東側から
樹幹の一番高いところです
山門前を右に登ると
説明版です
山梨県指定天然記念物
塩沢寺の舞鶴のマツ
所在地 甲府市湯村3丁目17ー2
所有者 塩沢寺
指定年月日 昭和40年5月13日
樹種はクロマツ、樹高はあまり高くないが枝を東西に長く張り、東方の枝の長さは14m、西方の枝の長さは15mあり、鶴が両翼を開いて舞い上がる姿に似ていることから、舞鶴のマツと呼ばれている。
枝を東西に長く伸ばした樹形は、県下まれに見る名木である。
昭和60年10月
山梨県教育委員会
甲府市教育委員会
西側から
山門を潜ると参道石段です
四国八十八ヶ所お砂踏霊場ー同行二人の説明版です
手水舎です
地蔵堂です
日本遺産説明版です
塩澤寺地蔵堂
寺伝によれば、大同3年(808年)弘法大師が諸国教化の折にこの地で錫杖を休め、地蔵菩薩の降臨を祈願して感得し、自ら六寸あまりの石の地蔵を彫って、安置したことに始まるとされている。
その後、天歴9年(955年)、空也上人が開基となり、弘法大師の像を模して造った厄除地蔵像を安置して、塩澤寺と称したといわれている。
〇昭和24年2月18日国の重要文化財に指定。
〇「厄除地蔵さん」として民衆の信仰を集め、毎年2月13日正午から14日正午に開かれる「厄除地蔵尊祭り」には、県内外から大勢の人々で賑わう。
本堂西側のその名も「西堂」です
本堂との間に須佐神社と塩釜神社です
扉の中には「愚痴ぼやき聞き地蔵尊」です
地蔵堂東側から墓地入口に無縫塔が三基あります
説明版です
山梨県指定文化財(建造物)
塩沢寺無縫塔
指定年月日 昭和46年4月8日
所在地 甲府市湯村3丁目17番2号
所有者 塩沢寺
無縫塔とは大陸からもたらされた墓塔の一種、卵塔とも呼ばれている。
古くは僧侶の墓に限られていたが、後に広く一般に普及した。
指定されている無縫塔は、応永7(1374)年のものである。総高1.2mのこの塔は、石 に輪郭を描き古調を帯びて風格が備わり、よく 正が保たれている。
中央のものは正保5(1648)年、左端のものは元禄6(1693)年の無縫塔である。
昭和63年3月
甲府市教育委員会
*一部禿落ちているため読めない部分があります
板碑です
説明版です
山梨県指定有形文化財
塩沢寺弥陀種子板碑
甲府市湯村3-17ー2
塩沢寺所有
昭和40年7月12日指定
この板碑は、高さ2.15m、幅約1mで、安山岩でつくられている。
碑の上部には弥陀種子(梵字 キリーク)が鮮やかに薬研刻りされ、その下に貞和6(1350)年の造立年次のほか、願文・願主・大工(左側の面 名を欠く)が刻られているが、このように銘文が完備に近い遺構は極めてまれである。銘にいう「当荘本主」が誰であるかわかっていない。
郡内(南・北都留郡)の緑泥石片岩(俗称青石)製の武蔵系板碑とは異なった、国中(甲府盆地)の在銘最古の代表作である。
昭和55年3月30日
山梨県教育委員会
甲府市教育委員会
では、次へ行きましょう
甲府市役所東信号から県道31号線を北へ、約800mで左へカーブして100mの信号を右(北)へ
約20mで武田信号を左(西)へ県道6号山の手通りです、約2.2kmの湯村信号を右(北)へ湯村温泉通りです
市内の案内図です、左端に塩沢寺が表示されています
道成りに約500mで、右手に塩沢寺の山門です
甲斐国 厄除地蔵尊 福田山 塩沢寺です
側面には、厄除地蔵菩薩略縁起が彫られています
厄除地蔵菩薩略縁起
当山厄除地蔵大菩薩は、人皇51代平城天皇の御宇、大同3戌子年(808年)高祖弘法大師諸国御教化の砌り錫を当地に停め、偶は感じる所あり、凡そ人生一期の中必ず大小25度の厄難あること諸経論中 明なり、然るに当国未だ霊場あるを聞かず、我衆生の為に発願して大悲菩薩の降臨を請んと、17ヶ月の間日夜肝胆を砕き、御祈誓あらせられました。
奇なるかな 正月14日の暁明星とひとしく御文1寸8分なる御影赫耀として岩上に降臨し給う。大師御胸に彼の降臨仏の霊を秘め、7月16日を期し御親刻給う。爾来、其霊験を仰ぐに利益日に新たに感応日に盛なり。
後、天暦9年(955年)空也上人、彼菩薩の霊験を蔵し、自ら六尺有余の座像を平常衆庶の参拝仏として安置し、大師御親刻の霊像を寺内に秘蔵し、名付けて福田山塩澤寺と称て、 武田、徳川両家累代の帰依浅からず、陣中守護秘仏として御親拝あり。
山門前の舞鶴のマツです
南東側から
樹幹の一番高いところです
山門前を右に登ると
説明版です
山梨県指定天然記念物
塩沢寺の舞鶴のマツ
所在地 甲府市湯村3丁目17ー2
所有者 塩沢寺
指定年月日 昭和40年5月13日
樹種はクロマツ、樹高はあまり高くないが枝を東西に長く張り、東方の枝の長さは14m、西方の枝の長さは15mあり、鶴が両翼を開いて舞い上がる姿に似ていることから、舞鶴のマツと呼ばれている。
枝を東西に長く伸ばした樹形は、県下まれに見る名木である。
昭和60年10月
山梨県教育委員会
甲府市教育委員会
西側から
山門を潜ると参道石段です
四国八十八ヶ所お砂踏霊場ー同行二人の説明版です
手水舎です
地蔵堂です
日本遺産説明版です
塩澤寺地蔵堂
寺伝によれば、大同3年(808年)弘法大師が諸国教化の折にこの地で錫杖を休め、地蔵菩薩の降臨を祈願して感得し、自ら六寸あまりの石の地蔵を彫って、安置したことに始まるとされている。
その後、天歴9年(955年)、空也上人が開基となり、弘法大師の像を模して造った厄除地蔵像を安置して、塩澤寺と称したといわれている。
〇昭和24年2月18日国の重要文化財に指定。
〇「厄除地蔵さん」として民衆の信仰を集め、毎年2月13日正午から14日正午に開かれる「厄除地蔵尊祭り」には、県内外から大勢の人々で賑わう。
本堂西側のその名も「西堂」です
本堂との間に須佐神社と塩釜神社です
扉の中には「愚痴ぼやき聞き地蔵尊」です
地蔵堂東側から墓地入口に無縫塔が三基あります
説明版です
山梨県指定文化財(建造物)
塩沢寺無縫塔
指定年月日 昭和46年4月8日
所在地 甲府市湯村3丁目17番2号
所有者 塩沢寺
無縫塔とは大陸からもたらされた墓塔の一種、卵塔とも呼ばれている。
古くは僧侶の墓に限られていたが、後に広く一般に普及した。
指定されている無縫塔は、応永7(1374)年のものである。総高1.2mのこの塔は、石 に輪郭を描き古調を帯びて風格が備わり、よく 正が保たれている。
中央のものは正保5(1648)年、左端のものは元禄6(1693)年の無縫塔である。
昭和63年3月
甲府市教育委員会
*一部禿落ちているため読めない部分があります
板碑です
説明版です
山梨県指定有形文化財
塩沢寺弥陀種子板碑
甲府市湯村3-17ー2
塩沢寺所有
昭和40年7月12日指定
この板碑は、高さ2.15m、幅約1mで、安山岩でつくられている。
碑の上部には弥陀種子(梵字 キリーク)が鮮やかに薬研刻りされ、その下に貞和6(1350)年の造立年次のほか、願文・願主・大工(左側の面 名を欠く)が刻られているが、このように銘文が完備に近い遺構は極めてまれである。銘にいう「当荘本主」が誰であるかわかっていない。
郡内(南・北都留郡)の緑泥石片岩(俗称青石)製の武蔵系板碑とは異なった、国中(甲府盆地)の在銘最古の代表作である。
昭和55年3月30日
山梨県教育委員会
甲府市教育委員会
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