中土宮ノ場地区は、小谷村役場の北北東約7kmのところ
小谷村役場前の「南雨中」信号から国道148号線を北へ
「下里瀬トンネル」に続いて長い「中土トンネル」を貫けた約4.2kmの「小谷温泉口」信号を右(東)へ
また直ぐに「山住トンネル」を潜り中谷川沿いの坂道をどんどん上って行きます
小谷温泉口信号から3.3kmの「中土局前」バス停(標高550m)の先を左(北北西)へ
中谷川を中谷橋で渡ります
道成りに西へ進み幟の支柱の建つ耳尾沢を渡ります
約600mで右手上に大宮諏訪神社が鎮座します
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
説明版です
小谷村指定天然記念物
大宮諏訪神社社叢
平成21年7月23日指定
社叢とは、神社の森を意味します。人為的に伐採されることいが少ないため、地域の植生を理解する上で貴重な生態を保っています。
大宮諏訪神社は、小谷総社といわれる古社であり、関連文化財も多数有する小谷村の諏訪信仰の中心的な神社です。創立は天平の頃といわれ、旧明治社格制時代の郷社です。
この社叢は中谷川の中流右岸字宮の場の斜面に位置し、標高約580m、面積4546㎡です。
杉が最も多く、ケヤキ、トチ、桧など200余の針葉樹、広葉樹で構成されています。
特に神木の杉は目通り710cm、カツラの株立757cmは壮観で、また目通り3mを超す巨木を多数有した調和のとれた境内区域は、社叢の尊厳さと長い歴史を物語っています。
小谷村の歴史等からみても、貴重な文化財です。
小谷村教育委員会
大宮諏訪神社
もう一枚
長野県宝 大宮諏訪神社 本殿 一棟
附指定 棟札 3枚
昭和41年1月27日指定告示第1号
長野県無形民俗文化財 奴踊り 狂拍子
平成3年2月14日指定
長野県教育委員会
〇御本殿は、元和5年(1619)名匠金原周防守の作にして、流造杮葺。
向拝は浜縁を設け、面幅の十分の一程の大面取角柱を立て、太目の虹梁を架し、上に斗栱をのせている。
虹梁には眉及び剣形錫杖彫の先駆とも思われる錫杖彫が施され、木鼻の長さは虹梁に比して短小で、時代にふさわしい先の太い渦巻を彫っている。
母屋は丸柱で、地長押・内法長押を回し、柱上に舟肘木を載せ丸桁を受けている。脇障子に墢形繋束を立てる。時代明瞭な好作例。
〇奴踊りは12人の踊りである。円陣を作り、身振り手振り面白く「ヨイトマカサーノヨイ」の掛声で3回廻り、一回毎に一首ずつ自分達の作った歌を披露、頭の奴が一節ずつ大声で唄うと残りの奴達が続いて唄い、唄い終えて地団駄を踏む。
奴に扮して踊り歌う中で神徳の称賛、世相の風刺、為政者への揶揄等を歌い、うっぷんを晴らしてきた。年々作った歌は400首以上あり、時代の変遷やその時々の村人の思いを知ることができる。
〇狂拍子は10才位の男の子二人で行われてきた。一人は45cm位の棒を五色の紙で巻き、両端に同色紙房をつけたものを両手に持ち、一人は同様の1m位の棒一本何れも中央を持ち、笛・太鼓・手拍子(鉄製シンバル)の囃子に合わせて踊る。
2本の棒は陰を、1本の棒は陽を現わし、踊りの中で二人がパッと寄って、2本の棒の間に1本の棒を挟み、パッと離れて向きをかえ、また同じ所作をする。踊りは陰陽合体・万物生成・五穀豊穣の祈願を表現している。
なお、この例祭には、ほかに勇壮な獅子舞も奉納される。
平成3年6月建之 小谷村教育委員会
トチノキが境内周辺に見られます
参道にもトチの実が落ちていました
手水舎です
鳥居を潜って参道石段を上りましょう
境内左手には神楽殿です、大工さんが修理をしていました
正面一段上に拝殿です
拝殿前右手の境内に目的のカツラです
東側から
東北東側から
北東側から、説明版にあった7.57mの巨木です
北側から
北北西側から
説明版にあった目通り幹囲7.1mのスギの巨木です
東側から
南東側から
南側から
本殿です
拝殿軒下には大宮大明神の額です
拝殿前からカツラを見ました
では、次へ行きましょう
小谷村役場前の「南雨中」信号から国道148号線を北へ
「下里瀬トンネル」に続いて長い「中土トンネル」を貫けた約4.2kmの「小谷温泉口」信号を右(東)へ
また直ぐに「山住トンネル」を潜り中谷川沿いの坂道をどんどん上って行きます
小谷温泉口信号から3.3kmの「中土局前」バス停(標高550m)の先を左(北北西)へ
中谷川を中谷橋で渡ります
道成りに西へ進み幟の支柱の建つ耳尾沢を渡ります
約600mで右手上に大宮諏訪神社が鎮座します
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
説明版です
小谷村指定天然記念物
大宮諏訪神社社叢
平成21年7月23日指定
社叢とは、神社の森を意味します。人為的に伐採されることいが少ないため、地域の植生を理解する上で貴重な生態を保っています。
大宮諏訪神社は、小谷総社といわれる古社であり、関連文化財も多数有する小谷村の諏訪信仰の中心的な神社です。創立は天平の頃といわれ、旧明治社格制時代の郷社です。
この社叢は中谷川の中流右岸字宮の場の斜面に位置し、標高約580m、面積4546㎡です。
杉が最も多く、ケヤキ、トチ、桧など200余の針葉樹、広葉樹で構成されています。
特に神木の杉は目通り710cm、カツラの株立757cmは壮観で、また目通り3mを超す巨木を多数有した調和のとれた境内区域は、社叢の尊厳さと長い歴史を物語っています。
小谷村の歴史等からみても、貴重な文化財です。
小谷村教育委員会
大宮諏訪神社
もう一枚
長野県宝 大宮諏訪神社 本殿 一棟
附指定 棟札 3枚
昭和41年1月27日指定告示第1号
長野県無形民俗文化財 奴踊り 狂拍子
平成3年2月14日指定
長野県教育委員会
〇御本殿は、元和5年(1619)名匠金原周防守の作にして、流造杮葺。
向拝は浜縁を設け、面幅の十分の一程の大面取角柱を立て、太目の虹梁を架し、上に斗栱をのせている。
虹梁には眉及び剣形錫杖彫の先駆とも思われる錫杖彫が施され、木鼻の長さは虹梁に比して短小で、時代にふさわしい先の太い渦巻を彫っている。
母屋は丸柱で、地長押・内法長押を回し、柱上に舟肘木を載せ丸桁を受けている。脇障子に墢形繋束を立てる。時代明瞭な好作例。
〇奴踊りは12人の踊りである。円陣を作り、身振り手振り面白く「ヨイトマカサーノヨイ」の掛声で3回廻り、一回毎に一首ずつ自分達の作った歌を披露、頭の奴が一節ずつ大声で唄うと残りの奴達が続いて唄い、唄い終えて地団駄を踏む。
奴に扮して踊り歌う中で神徳の称賛、世相の風刺、為政者への揶揄等を歌い、うっぷんを晴らしてきた。年々作った歌は400首以上あり、時代の変遷やその時々の村人の思いを知ることができる。
〇狂拍子は10才位の男の子二人で行われてきた。一人は45cm位の棒を五色の紙で巻き、両端に同色紙房をつけたものを両手に持ち、一人は同様の1m位の棒一本何れも中央を持ち、笛・太鼓・手拍子(鉄製シンバル)の囃子に合わせて踊る。
2本の棒は陰を、1本の棒は陽を現わし、踊りの中で二人がパッと寄って、2本の棒の間に1本の棒を挟み、パッと離れて向きをかえ、また同じ所作をする。踊りは陰陽合体・万物生成・五穀豊穣の祈願を表現している。
なお、この例祭には、ほかに勇壮な獅子舞も奉納される。
平成3年6月建之 小谷村教育委員会
トチノキが境内周辺に見られます
参道にもトチの実が落ちていました
手水舎です
鳥居を潜って参道石段を上りましょう
境内左手には神楽殿です、大工さんが修理をしていました
正面一段上に拝殿です
拝殿前右手の境内に目的のカツラです
東側から
東北東側から
北東側から、説明版にあった7.57mの巨木です
北側から
北北西側から
説明版にあった目通り幹囲7.1mのスギの巨木です
東側から
南東側から
南側から
本殿です
拝殿軒下には大宮大明神の額です
拝殿前からカツラを見ました
では、次へ行きましょう