戸田地区は沼津市の南の広い地域です
沼津市役所の南西約25km、沼津市役所戸田庁舎の西約3kmの所に御浜岬公園があります
沼津市役所戸田庁舎の北側の通り県道18号修善寺戸田線を西へ
約1kmの「戸田三叉路」信号を左(南)へ、県道17号沼津土肥線です
戸田の港を右に見て道成りに約1.3kmで斜め右の道路へ入ります、県道はここから坂道となって西へ登って行きます
約600mで御浜岬の付け根の交差点を右(北)へ、一番奥の「戸田造船郷土資料博物館」まで車で行けます
御浜岬公園トイレ3前の駐車場の
車を止めました
車道を北へ進むと・・・
入口に「友愛の広場」石碑です
戸田造船郷土資料館です
説明版です
戸田造船郷土資料博物館の収蔵品が「近代産業遺産」に認定されました
経済産業社省では平成19年11月、地域の活性化を進めるに当たっては、それを担う地域の方々が「過去」を知り、それを受け継ぐ「今」に自信を持ち、その自信を「未来」に向かう活力につなげていくことが大切と考え、わが国近代産業遺産の発展に尽くした先人達の歩みをその遺構等の中に留める各地の近代産業遺産について、産業史・地域史のストーリーを軸とする33の近代化産業遺産群にとりまとめました。
造船・炭鉱・製糸・貿易など、全国450箇所の産業遺産が認定を受け、近代化産業遺産が有する価値の普及や地域活性化に向けた活用が期待されています。
戸田造船郷土資料博物館は、近代造船の礎となった洋式船建造技術を伝える収蔵品が評価され、ストーリーの『「近代技術導入事始め」海防を目的とした近代黎明期の技術導入の経緯を物語る遺産群』の中に選ばれました。同じ遺産群には伊豆の国市の韮山反射炉も含まれています。
認定を受けた収蔵品(4点)
・ディアナ号模型 1970年の大阪万博でソ連館に展示されていた模型で、旧ソ連政府がディアナ号の設計図から忠実に再現したもの。万博終了後寄贈された。
・ヘダ号設計図 この設計図はヘダ号の建造に携わった船大工・石原藤蔵の家に残されていたもの。
設計図も経験もない洋式船の建造、しかも言葉も通じない中で、苦労して描き上げた。
・大工道具 ヘダ号建造時使用された大鋸や墨壺、製図用定規等。
・ヘダ号模型 このヘダ号の模型は、ディアナ号模型と同じ縮尺で作られ、その大きさの違いがひと目でわかるようになっている。
沼津市辺田造船郷土資料博物館
*ディアナ号は約2000トンの帆船軍艦です、ヘダ号は江戸幕府の許可を得て、ディアナ号等の船員約500名と日本人大工等300名によって作られた、木造洋式帆船でだそうです。
ロシア軍鑑ディアナ号の大きな錨です
由来石碑です
ディアナ号の錨由来
嘉永7年(1854)10月下田に入港したディアナ号は突如襲った大津浪で船底や舵を破損し、戸田港へ回航中強風のため宮島村三四軒屋海岸に漂着、沿岸漁船総出の曳航も空しく遂に沈没した。時に安政元年12月(同年11月安政に改元)
爾来、ディアナ号の沈没場所は漁網の被害が続出し「唐人の根」の名で恐れられてきたが、昭和26年頃田子浦漁民が錨1基を同51年8月には富士市田子浦漁協も同型1基を引き上げ、早大講師ロシア文学者高野明氏・船舶検査機構三浦博氏等がディアナ号のものであることを確認した。
一世紀にして御光を浴びた錨は、うち1基がソ連大使館及び県教育委員会のご援助や、冨士市及び田子浦漁協、地元三四軒屋の格別の配慮により当博物館に保存されることとなったのである。
昭和53年3月 吉日 戸田村長 山田三郎 謹書
*安政東海地震(あんせいとうかいじしん)は、江戸時代後期の嘉永7年11月4日(1854年12月23日])午前9時〜10時頃に発生した東海地震である。ここでいう「東海地震」とは南海トラフ沿い東側半分の東海道沖が震源域となる地震のことであり、いわゆる東南海地震の領域も本地震の震源域に含まれていると考えられている。フィリピン海プレートの沈み込みに伴うプレート境界型の巨大地震と推定されている。当時は寅の大変(とらのたいへん)とも呼ばれた。
また、南海トラフ巨大地震の一つでもあるとされ、約32時間後に発生した安政南海地震 (M8.4) とともに安政地震、あるいは安政大地震とも総称される。この地震は嘉永年間に起きたが、この天変地異や前年の黒船来航を期に改元されて安政と改められ、歴史年表上では安政元年であることから安政を冠して呼ばれる。(Wikipedia一部抜粋)
戸田造船郷土資料館と駿河湾深海生物館の建物の間、北側に大きな松の樹冠が見えます
通路を通って西側から見上げました
北西側から
友愛の松の石碑です
説明版も有りました
旧戸田村指定・天然記念物
友愛の松
沼津市教育委員会
指定年月日 昭和48年4月11日
建設年月日 昭和57年10月1日
*旧戸田村の村立博物館開館にともなって、ディアナ号との交流、プチャーチン提督の思い出を次代に継承したいと思った戸田の人々の思いに、ロシア側も当時のトロヤノフスキー在日ソビエト連邦大使が戸田を訪れ寄付の目録を手渡すなど、誠意ある対応で応えたといいます。
トロヤノフスキー在日ソビエト連邦大使は、ディアナ号の遭難、ヘダ号の進水を見ていたであろう浜辺の松を選んで、当時樹齢百年ほどの松を「友愛の松」と命名したそうです。
北側から見上げました
北西側から見ました
こちら側(博物館北西側)にも錨(四爪錨)が展示されています
では、県指定天然記念物の「御浜岬のイヌマキ群」を見て行きましょう