ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

山梨県南部町、南部「柳島下田屋のカヤ」(市指定)です!!

2024-04-06 18:35:16 | 巨樹・大木
 南部地区は、南部町役場の西約3kmのところ

 南部町役場を南へ出て「南部橋東詰」信号を右(南西)へ進んで南部橋を渡ります

 約700mで「南部橋西詰」信号を右(北東)へ県道803号身延道を進みます

 約2kmで船山川の橋を渡って直ぐを左(南西)へ、約900mで中部横断自動車道の高架を潜って直進します

 約400mで交差点を左(南西)へ、県道809号釜の口塩沢線です

 約800mで県道左(南側)に目的のカヤノキが見えました

 カヤへの道路は防獣網で封鎖されています

 ズームアップしましたが、天然記念物の標柱などは確認できませんね~

 県道を少し西へ行ってまたズームアップしてみました


 近付くことは無理のようですね

 *樹高10m、目通り幹囲5.0m推定樹齢は300年以上だそうです

 では、次へ行きましょう
 
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山梨県南部町、本郷「本郷の千年ザクラ」(県指定)です!!

2024-04-06 06:30:50 | 
 本郷地区は、南部町役場の北西約4kmのところに県指定天然記念物の本郷の千年桜があります

 南部町役場を南へ出て「南部橋東詰」信号を右(南西)へ進んで南部橋を渡ります

 約700mで「南部橋西詰」信号を右(北東)へ県道803号身延道を進みます

 約2kmで船山川の橋を渡って直ぐを左(南西)へ、約900mで中部横断自動車道の高架を潜って右(北)へ

 道成りに約600mで「原間のイトザクラ」の案内板が有りますので更に坂道を道成りに上ります

 約1kmで「本郷の千年桜」の案内板がありますので鋭角に右へ入って更に坂道を上ります

 間も無く目的の「本郷の千年桜」が土手の上に見えました

 手前の駐車場へ車を止めさせて頂きました


 南側から見上げました

 南東側から

 南東側駐車場の端から


 道路に戻って南西側から

 天然記念物標柱です

 説明版です
   山梨県指定天然記念物
     本郷の千年ザクラ
       指定日  昭和36年12月7日
       所在地  南巨摩郡身延町本郷3230
       所有者  本郷寺
 本樹はエドヒガンザクラの巨樹として県下有数のものであり、地上や右5mから根を地中に下ろしている点は植物形態学上貴重なものである。
 樹齢は5~600年と推定され、規模は根回り幹囲5.3m、目通り幹囲4.4m、樹高12mである。
 なお「千年ザクラ」の名称は元山梨県知事吉江勝保氏の命名によるものである。
     平成31年1月
       山梨県教育委員会
       南部町教育委員会


 北側から見上げました

 東側から




.
 まだまだ先始めでした、この日は甲府で26度にまで気温が上昇したようですので、さらに咲いていることでしょう

 では、次へ行きましょう
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山梨県南部町、本郷「原間のイトザクラ」(町指定)です!!

2024-04-05 18:31:10 | 
 ここからは、2024年3月30日取材分です
 
 本郷地区は、南部町役場の北西約3kmのところ

 南部町役場を南へ出て「南部橋東詰」信号を右(南西)へ進んで南部橋を渡ります

 約700mで「南部橋西詰」信号を右(北東)へ県道803号身延道を進みます

 約2kmで船山川の橋を渡って直ぐを左(南西)へ、約900mで中部横断自動車道の高架を潜って右(北)へ

 道成りに約600mで「原間のイトザクラ」の案内板が有りますので右(東)へ

 間も無く左に「原間つどいの家」(元はお寺さんなのかな)の駐車場に入りました


 駐車場入り口(南西)側から「原間のイトザクラ」です

 西側から


 この日(午前8時半頃)はまだ3分咲きほどでした

 天然記念物標柱ですが、文字が薄くなってしまっています

 北側から、根元には石塔が並びます

 石段を東側道路へ降り、北東側から

 東側(下側)から

 南西側から見上げました

 では、次へ行きましょう
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埼玉県さいたま市、大宮区高鼻町3丁目「大宮公園のアカシデと埼玉護国神社」です!!

2024-04-05 06:32:36 | 巨樹・大木
 さいたま市大宮区の氷川神社の北側に大宮公園が有ります

 開花宣言が出された3月31日に電車で花見ついでに埼玉護国神社の参道にあるアカシデを見て来ました

 平成5年(2023)5月に幹の腐朽が進んだために幹の約2mの所から伐られてしまっています

 東武アーバンラインの北大宮駅から北東約500mですので、住宅街を進みます

 大宮簡易裁判所の南側の横断歩道で裏参道通りを渡って大宮公園に入りました

 すぐに左(北)へ進むと

 公園の中では多くの人々が花見を楽しんでいましたよ


 埼玉護国神社東側の参道沿いの土手に目的のアカシデです

 南西側から

 説明版です
   アカシデ カバノキ科
 アカシデは樹高10~15mになる落葉高木で、北海道南部から九州、朝鮮半島に分布しています
 低地から丘陵地の雑木林に生育し、樹皮は灰白色で滑らかですが、幹は肥大成長が均等に行われないため凹凸ができ、老木になると太い脈状の出入りが多くなります。
 名前の由来は、花穂の垂れ下がる様子が注連縄に垂れ下がる紙(しで)に似て、新芽が赤いことによります。
 床柱、家具などに利用される他、盆栽界ではイヌシデとともにソロの名で親しまれています。
 このアカシデの木の樹齢は定かではありませんが、優に100年は越えていると推測され、大宮公園開園以来の歴史を見守り続けてきた木の一つです。
   平成20年9月  埼玉県大宮公園事務所 

 東側から

 西側から
 
 幹の伐採から1年になろうとしていますが、まだ芽吹きにはいたっていませんね~

 護国神社にお参りしましょう

 社號標です

 由緒説明版です
   由緒略記
 鎮座地  さいたま市大宮区高鼻町3丁目149番地
 祭神   鳥羽伏見の役以後の国事に殉じた埼玉県関係の英霊5万1千余柱を祀る
 沿革   昭和9年4月9日埼玉県招魂社として設立鎮座し、同14年3月神社制度の改正により、埼玉県護国神社と改称され、4月に指定護国神社となり、例大祭には神饌弊帛の供進がなされてことになった。
 同21年2月神社制度の変革により宗教法人埼玉県護国神社と改められ、更に同23年10月埼霊神社と改称、同27年再び埼玉県議国神社と改称し現在に至る。
 昭和30年1月奉賛会が設立せられ、以来年々の例大祭は埼玉県民挙げて厳粛盛大におこなっている。
 皇室の御崇敬  昭和9年鎮座に際し、天皇陛下の畏き祭粢料御下賜があり、朝香宮殿下の御参列があった。
 以来、天皇陛下を始め皇族の祭粢料御奉納は度々に及び、
  昭和38年 9月 皇太子殿下御参拝
  昭和42年10月 天皇 皇后両陛下御同列の御参拝を賜った
  平成 5年 5月 天皇 皇后両陛下御同列の御参拝を賜った

 裏参道通りの西側に埼玉県護国神社を見ました


 手水舎です

 銅鳥居と社殿です


 境内南側には砲弾です、説明書きには・・・
   奉納  艦砲弾 経24cm、全長約90cm
 天皇陛下のもと、国家安寧を願い見事玉と砕けた御英霊等の鎮魂の一助になればと思い謹んで捧げ奉ります。
 この艦砲弾は古い型の砲弾であります。東郷元帥が聯合艦隊を率いZ旗の下、日本海海戦において、かのロシアバルチック艦隊を殲滅し、世界にその名を知らしめました。
 その後、凱旋廻港のみぎり、各地の御一宮にその際出撃致した戦艦を始め各艦の砲弾を御奉納なされたとの説があります。
 譲り受けた老爺(故人)に伝え聞いたところ、この砲弾はその時期に武蔵一宮氷川神社に御奉納され境内のいずれかにあったと思われますが、戦後の混乱期に何処かに流出致しておりました。
 艦砲の砲撃手は俗に自ら鉄砲屋と呼び、一弾一弾を我が子のように慈しみ(見事命中してくれよ)と祈りを籠めて懸命に磨き上げたときいております。この砲弾もそうであったに違いないと思います。
 この砲弾を使用した艦名が判明致しておりません。御存じの御方がおられましたら、是非御教示、御指導頂けますれば幸甚に存じます。
    平成25年6月吉日    大宮住 加藤芳夫


 出征兵士の像です

 境内北側には「特攻花」の案内板です、知覧より移植されたテンニンギクですがまだ芽を出していないようです

 埼玉県特攻勇士之像です


 銅鳥居北側の桜は、ほぼ満開の状態になっていました

 では、次へ行きましょう
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静岡県沼津市、西浦河内「河内の大スギ」(県指定)です!!

2024-04-04 18:37:15 | 巨樹・大木
  西浦河内地区は、沼津市役所の南約11km、河内川沿いに金冠山まで南に長く広がる地区です

 沼津市役所 西浦市民窓口事務所(西浦地区センター)の南約4kmの所に「河内の大スギ」は在ります

 沼津市役所 西浦市民窓口事務所前の県道17号沼津土肥線を沼津市内に戻るように北へ進みます

 道成りに約3.1kmの木負観光みかん園前で右(南西)へ入ります

 道成りに約2.8kmの護国塔のところで右(西)へ坂道を上ります

 林道状の道を約1km進むと、道路右手に「稲荷スギ」を見て更に進みま

 約600mで鋭角に左(東)へ、右は戸田峠への道です

 道成りに約900mで道路右手に「河内の大スギ入口」の標柱が建っています

 「河内の大スギ入口」の標柱です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 急な舗装道路を上って行きます

 約150mで石積みが見えて来ました

 駐車場になっています

 金冠山ハイキング道の案内板です

 木段を上がります


 スギ林の奥に大きな幹が見えて来ます

 目的の「河内の大スギ」です、北側から見ました

 説明版です
   県指定天然記念物
    河内の大スギ
      指定 平成14年3月22日
      根廻   13.0m
      目通   10.5m
      樹高   43.0m
      枝張 東 12.5m
         西 14.0m
         南  9.0m
         北 15.0m
 西浦河内の堂山一帯は、かつて樹齢100年を超えるマツやスギが60町歩(約60㌶)にわたり生い茂る美林として名高く、戦前において多量の良材を産出していました。
 中でもひときわ大きなこの老杉は大スギと呼ばれ、伐採を惜しむ製材関係者や地元有志によって「堂山大杉保存会」が結成され、現在まで大切に保存されてきました。
 昭和16年、大スギの傍らに「老杉の記」の石碑を、さらに翌17年にも石碑を建立し、大スギと稲荷スギが守られた経緯を伝えています。
 推定樹齢は約400年とされていますが、当地には大同年間(806~810)、弘法大師が修善寺奥ノ院開基の際、この地に来て木の下に虚空蔵菩薩像を安置したという伝承が残されています。
 樹形としては、スギには珍しく地上約3.5mのところで7本に分岐していますが、樹姿もよく、県東部でも有数のスギの巨木として貴重です。
     平成16年2月      沼津市教育委員会


 北側から見上げました

 西側から

 南西側から

 南側から

 大岩に文が彫られていますが読めません、説明版にあった「老杉の記」の石碑です

 南東側から

 東側から

 北東側から


 北北東側から見ました

 では、次へ行きましょう
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静岡県沼津市、西浦河内「河内の稲荷スギ」(市指定)です!!

2024-04-04 06:30:17 | 巨樹・大木
 西浦河内地区は、沼津市役所の南約11km、河内川沿いに金冠山まで南に長く広がる地区です

 沼津市役所 西浦市民窓口事務所(西浦地区センター)の南約3kmの所に稲荷スギは在ります

 沼津市役所 西浦市民窓口事務所前の県道17号沼津土肥線を沼津市内に戻るように北へ進みます

 道成りに約3.1kmの木負観光みかん園前で右(南西)へ入ります

 道成りに約2.8kmの護国塔のところで右(西)へ坂道を上ります

 林道状の道を約1km進むと、道路右手の河内川斜面に大きな杉が見えて来ます

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 

 目的の「稲荷スギ」です

 説明版です
   沼津市指定有形文化財(天然記念物)
     河内の稲荷スギ
       指定  平成15年1月31日
       根廻   7.5m
       目通   6.8m
       樹高  35.0m
 西浦河内の堂山一帯は、かつて樹齢100年をこす巨木が数多く生い茂っていた美林として知られています。
 このスギのかたわらには小さな稲荷の祠があることから稲荷スギと呼ばれています。
 伐採を惜しむ製材関係者や地元の有志によって「堂山大杉保存会」が結成され大切に保存されてきました。
 このスギは南側地上約3mまでの中心部分に木材腐朽菌の侵入による洞(空洞)がありますが樹勢は旺盛です。
 県指定天然記念物の河内の大スギに次ぐ市内で二番目の大きさのスギです。
 また、スギに密着してアカガシが自生しており、南からの外圧に対して自然的補強の効果が期待されています。
       平成20年     沼津市教育委員会

 スギに寄り添うように立つアカガシが解かりますね


 東側から

 南東側から見ました、根元近くに洞が開いているのも解かりました

 では、更に進んで「河内の大スギ」へ行きましょう
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静岡県沼津市、西浦江利「大瀬神社のビャクシン樹林・3」(国指定)です!!

2024-04-03 18:52:48 | 巨樹・大木
 西浦江梨地区は、沼津市役所の南西約16km、沼津市西浦市民窓口事務所(西浦地区センター)の西約6kmのところ

 沼津市西浦市民窓口事務所前から県道17号沼津土肥線を道成りに西へ進みます

 約8.3kmで「大瀬崎➚」に従って県道からそれて斜め右へ入ります

 道成りに下って約600mで有料駐車場に車を入れて大瀬崎神社にお参りし神池へ行ってきました


 岬の尖端へ行きましょう、来た道を分岐まで戻って「大正天皇行幸日碑」の前を東へ進みます

 神池の分岐前の歌碑の前を過ぎ


 右(北東)へ、大きなビャクシンの脇を通ります

 遊歩道左側にロープで囲われた部分が在ります、大きな根鉢が残っています、真ん中に若いビャクシンが植えられたようです

 また大きなビャクシンです、大枝が遊歩道を覆っています

 北側から見ました

 岬の尖端へ左にカーブするように進みます

 歩道の右てに、またまた大きなビャクシンが見えて来ます

 南東側から

 南側から、V字型に幹が開いています

 南西側から見ました

 西側から


 直ぐ西側の歩道左手に目的の「御神木」です(東側から)根元には石祠があります

 北側から、注連縄が巻かれています

 説明版です
   御神木
 大瀬岬一帯に繁茂している130本余のびゃくしん樹が御神木であり、中でもこの巨大なる周囲7m、推定樹齢1500年以上、岬随一の大木である。
 一名夫婦(めおと)びゃくしんが大瀬神社の御神木として、引手力命の分霊をここに祀る、この岬を航海する船人の海上安全と普く諸人等を守護し、湾内住民の崇敬尊信篤き御神木として保護される。
      大瀬神社

 *東側のビャクシンと一対になって「夫婦ビャクシン」なのかもしれませんね~
 *御神木の中で一番太いのがこの木なのです、境内(岬周辺に繁茂しているビャクシン全てが「御神木」と呼ばれています

 南東側から

 南側から

 西側から

 灯台を見にいきましょう

 海辺に出ました、冨士山が綺麗です

 伊豆大瀬崎灯台を見上ました

 では、次へ行きましょう
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静岡県沼津市、西浦江利「大瀬神社のビャクシン樹林・2」(国指定)です!!

2024-04-03 06:42:25 | 巨樹・大木
 西浦江梨地区は、沼津市役所の南西約16km、沼津市西浦市民窓口事務所(西浦地区センター)の西約6kmのところ

 沼津市西浦市民窓口事務所前から県道17号沼津土肥線を道成りに西へ進みます

 約8.3kmで「大瀬崎➚」に従って県道からそれて斜め右へ入ります

 道成りに下って約600mで有料駐車場に車を入れて大瀬崎神社にお参りしました



 神池へ行ってみます

 拝観料を納めて行きましょう

 左(北)へ進むと

 右手に大きな池が見えて来ます

 鯉が餌をもらえるのかとよって来ました

 説明版です
   大瀬神池
 此の神池は岬角の末端より内に少々50m謂はば薄皮に包まる饅頭の如く、面積6600㎡の霊池にして緑には葦、アブラガヤ多数繁茂し、鯉・鮒・鯰等の淡水魚数多く群棲す。
 海に近い観念を一変して山深き山湖を偲ばしめる。誠に神池というに相応しき光景である。
 海浜僅か50mに隔つる自然の淡水池を見るは実に奇異と云はざるを得ず。
 潮の気配聊かもなく伊豆七不思議の一つに数えられ、池には池明神(水波之売神)を祀り、諸人等の信仰篤く今も尚池及び魚に依って種々の心願を掛け、若し池に入り魚を害するときは神罰覿面と云はれ、昔より今に此の不成文の禁を犯したる者が、或は死し或は精神喪失、その他不慮の危難に遭遇したる実例を伝え、相誡めて居る。
 依って今、池水の深浅底壁の組織の如き実地調査したる人無く伝説によってこの神池は保護されている。
 岬には神木と云はるるびゃくしんあり、相並びて不思議のこの池あり。これ等大瀬岬の荘厳と絶勝とを添え、敬神上・勝保上・学術研究上之を永遠に保存するものなり。
         大瀬神社



 南側

 東側

 北側を見ました、大きな池ですが、水深や何故真水なのかなど不明な所が多い池だそうです

 西側への入り口です、館があったようです

 館跡説明版です 
   鈴木繁伴館跡 
 建武の頃、今より640年前、元弘3年(1333)鈴木繁伴なる武人(水軍)紀州熊野藤白を出船この地に来り、引率の郎党30余人とともにここにたてこもる。
 観応2年足利直義に属し駿州薩埵山にて敗戦し、伊豆江梨の山中に隠れ。
 其の後、貞治6年繁伴関東管領足利氏満に招かれ、伊豆・相模の両国の船大将を命ぜらる。
 神を尊敬する志篤く、御社の破壌したるを見て、財を惜しまずこれの修理を為し、やがて北條早雲に従い、小田原北條氏と運命を共にし、この地より姿を消している。
 昔の面影を偲び、これを永く史跡として保存する。
         大瀬神社

 岬先端へ向いしょう、来た道を分岐まで戻って「大正天皇行幸碑」のい前を東へ進みます



 遊歩道右手に大きなビャクシンです

 また説明版です
  国指定天然記念物
    大瀬崎のビャクシン樹林
      指定 昭和7年7月25日
 大瀬崎のビャクシン樹林は、ビャクシンの樹林としては日本の最北端に位置するものです。
 自然のままこのように群生しているところは他に例がなく、現在130本が自生しています。
 しかも、樹齢1000年を超すと思われる老樹が多く見られことは、我国では珍しく非常に貴重なものです。
 この大瀬崎は、天然記念物ビャクシン樹林の指定地となっています。
 大切なビャクシンを保護するため、次のことを守ってください。
 1、ビャクシンの幹や枝にキズをつけたり枝を折ったりしないこと。
 1、指定地内で、たき火やキャンプをしないこと。
 1、動物や植物を採集しないこと。
 1、空カン、空ビンなどのゴミは持ち帰ること。
 1、その他、ビャクシンの成育に影響を及ぼすような行為をしないこと。
     平成9年2月     沼津市教育委員会

 北側から

  神池の分岐の所に歌碑です
    「船を捨て 異国の磯のここちして 大樹の栢の 陰を踏むかな」

 説明文です
   碑文
 昭和7年、国の天然記念物の指定を受けたビャクシン樹林を、翼、昭和8年1月、与謝野鉄幹が当地に遊んだ折り、この風景に感動され詩った
   平成5年2月  大瀬神社 氏子一同  建之


 案内板です
   大瀬崎ビャクシン樹林は、古来より有名で「伊豆日記」「豆州志稿」「伊豆志」等の古い文献にも、老大木がたくさんあると特筆されています。
 また感じでは、白槇・栢心・白心・白身・栝とも書かれています。    
        沼津市教育委員会

 
 では、御神木へ行きましょう
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静岡県沼津市、西浦江梨 「大瀬神社のビャクシン樹林・1」(国指定)です!!

2024-04-02 18:48:05 | 巨樹・大木
 西浦江梨地区は、沼津市役所の南西約16km、沼津市西浦市民窓口事務所(西浦地区センター)の西約6kmのところ

 沼津市西浦市民窓口事務所前から県道17号沼津土肥線を道成りに西へ進みます

 約8.3kmで「大瀬崎➚」に従って県道からそれて斜め右へ入ります

 道成りに下って約600mで有料駐車場(2時間まで300円でした)に車を入れました 


 津波ハザードマップです、これから大瀬崎の先端まで歩いて行きます

 距離的には1.3km程ですがまずは大瀬崎神社へお参りしてからにしましょう

 大瀬崎はスキューバーダイビングのメッカ、岬の東側に歩道があります、富士山に雲がかかり始めましたね~

 左手のダイビングショップの周りにもビャクシンの大木を多数見る事が出来ます


 説明版です
  国指定天然記念物
    大瀬崎のビャクシン樹林
 ビャクシンはヒノキ科の植物で、生垣に用いられるカイズカイブキと同種です。漢字では柏槇と書きます。
 常緑の高木で本州、四国、九州、朝鮮半島及び中国大陸にかけて分布しています。
 大瀬崎のビャクシン樹林は、現在130本余りが自生し、群落を形成しています。
 直径1mをこえる巨木、樹齢1000年以上といわれる老樹も多いことで知られ、国の天然記念物に指定されています。
 ビャクシンの開花期は4月頃ですが、毬果が成熟するのは翌年の秋から冬にかけてです。また、その種子が発芽するのに1年かかると言われています。しかもビャクシンは耐陰性に弱く、成長するのに強い陽光が必要です。そのため若木のほとんどは1~2年で消滅すると考えられ、後継樹がなかなか育たないものです。
 この貴重な大瀬崎のビャクシン樹林をわたしたちの子孫に伝えるため、耐雪に守りましょう。
     平成15年9月

 ビャクシン樹林図です

 西伊豆歩道(大瀬崎コース)案内図です

 ダイビングショップ前のビャクシンです

 歩道の先に鳥居が見えて来ました

 社務所の手前に一ノ鳥居です

 ニノ鳥居です

 「天然記念物 大瀬崎 柏槇樹林 田方郡西浦村」の標柱です

 「天然記念物 大瀬崎びゃくしん樹林」の石碑です

 石灯籠の上にジョウビタキがいました、忙しなく飛廻っていました

 手水舎です

 説明版です
   大瀬神社之記
     祭神 引手力命(ひきてちからのみこと)
 1、例祭 4月4日
 1、当神社は白鳳13年(684年、1310余年前)大地震が起き、土佐国で多くの土地が海中に没した。反面突然300余丈も盛り上がり島が誕生したとある。
   又、土佐国から土地を引いてきて島を造った云う伝説もあり、その神霊を感じて引手力命として祭ったとされる。
 1、当社は古来から力技射術の霊験があるといわれ、源為朝、頼朝が源氏再興を祈願し弓矢、かぶと、宗近の銘刀、政子午前が御神鏡を奉納されたとある他、各時代の武将御太刀を奉納されており、源氏の再興もかなえられ再三参拝された記されている。
 1、建武年間(室町時代)熊野より水軍の武将・鈴木繁伴一族が近辺を領し祭祀にいそしむとあるが、その後の地震津波により社・弓矢など皆失われてしまった。
   しかし金銅尊躯を砂中で発見・再建・海の守護神として駿河湾一円の漁民の崇敬尊信篤く今日に至る。
 1、現在の社殿は火災により、昭和14年に建造されました。
 1、先端には灯台・樹齢千数百年以上の幹囲り6m以上のびゃくしん御神木をはじめ、天然記念物・びゃくしん130本余り、樹齢1000年以上の木も多数あり、古木館・大正天皇参拝記念碑あり。
 1、周囲300m、海の干満との関係する底なしの池とされながら真水で数万匹の鯉・鮒・なまず等の淡水魚が元気に泳いでおり、神秘的で人々のみそぎの池であり伊豆の七不思議のひとつである。

 *祭神の引手力命を祀る神社は、大瀬崎神社が唯一だそうです。

 三ノ鳥居は、北東向きになります

 参道石段を上りましょう

 4番目の鳥居です

 午後2時半、北東向きの拝殿ですがちょうど正面に太陽が入ってしまいましたので

 旧参道側から見ました

 軒下には見事な彫刻です、鳳凰に天狗にが見えます


 神獣の獅子や獏、菊などん花の彫刻も見られます

 本殿覆い屋です

 神池へ行ってみます

 拝観料を納めて行きましょう

 左へ進むと

 右手に大きな池が見えて来ます

 鯉が餌をもらえるのかとよって来ました

 説明版です
   神池

 南側

 東側

 北側を見ました、大きな池ですが、水深や何故真水なのかなど不明な所が多い池だそうです

 長く成りましたので続きにさせて頂きます
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静岡県沼津市、戸田「県道17号沼津土肥線脇の魚見の松」(旧村指定)です!!

2024-04-02 06:58:41 | 巨樹・大木
 戸田地区は沼津市の南の広い地域です

 沼津市役所の南西約25km、沼津市役所戸田庁舎の西約3kmの所に御浜岬公園があります

 沼津市役所戸田庁舎の北側の通り県道18号修善寺戸田線を西へ

 約1kmの「戸田三叉路」信号を左(南)へ、県道17号沼津土肥線です

 戸田の港を右に見て道成りに約1.3kmで県道はここから坂道となって西へ登って行きます

 間も無く右手にクロマツの木が在ります、御浜岬公園を見下ろす位置です

 前の道路を少し先へ進んだ道路脇に車を止めさせて頂きました

 南側から見ました

 案内板です
   旧戸田村指定・天然記念物
     魚見の松
    沼津市教育委員会
  指定年月日 昭和48年4月11日
  建設年月日 昭和57年10月1日
 昔、2つに分かれた幹のところに小屋を造り港内に入る魚群を見張った。

 *環境省巨樹データベースでは、樹高25m、目通り幹囲4.9m、推定樹齢300年以上となっていますが、目通りははるかに細いようです

 草むらにうずもれるように「記念」の文字がみえますが「記念物」の標柱でしょうか

 南南西側から

 南西側から見ました

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静岡県沼津市、戸田「御浜岬・イヌマキ群生地」(県指定)です!!

2024-04-01 18:38:05 | 巨樹・大木
 戸田地区は沼津市の南の広い地域です

 沼津市役所の南西約25km、沼津市役所戸田庁舎の西約3kmの所に御浜岬公園があります

 沼津市役所戸田庁舎の北側の通り県道18号修善寺戸田線を西へ

 約1kmの「戸田三叉路」信号を左(南)へ、県道17号沼津土肥線です

 戸田の港を右に見て道成りに約1.3kmで斜め右の道路へ入ります、県道はここから坂道となって西へ登って行きます

 約600mで御浜岬の付け根の交差点を右(北)へ、一番奥の「戸田造船郷土資料博物館」まで車で行けます

 御浜岬公園トイレ3前の駐車場の車を止めました

 戸田造船郷土資料博物館の「友愛の松」を見てすぐ北側にイヌマキの群生が在ります

 御浜岬の先端部諸口神社境内はイヌマキの群生地になっています

 「イヌマキの森」案内図です
   伊豆半島ジオパーク
 戸田の港は、御浜岬によって波から守られた天然の良港です。
 目の前に広がるイヌマキの森も港を守る重要な役割を果たしてきたと考えられています。
 フィリピン海プレートの沈み込みによってできた駿河湾は大きな地震が繰り返されてきた場所でもあります。
 樹齢100年を超える大きなイヌマキもあるこの森は、こうした地震によって発生した何度もの津波に耐えた優秀な防災林でもあるのです。
 この森は「御浜岬のイヌマキ群生地」として静岡県の天然記念物に指定されています。

 イヌマキの群生です

 案内板です
   静岡県指定・天然記念物
  御浜岬、イヌマキ群生地
    静岡県教育委員会
 指定年月日 昭和55年11月28日
 建設年月日 昭和56年10月31日
 *御浜岬の先端部、約15,000㎡の地域にイヌマキが群生しています。
 岬の林の高木層(樹木)は殆どイヌマキで、その中にクスノキやケヤキ、クロマツ等が成育しています。
 高木層についでクスノキが優先しており、低木層はタイミンタチバナ、ヒメユズリハ、イヌビワ、ヤブニッケイ、タブノキ、トベラ、センリョウなどです。
 草木層(草花)は陽光の射入が不充分であるので、フウトウカズラ、テイカカズラ、サルマメ、ミズヒキ、スゲの一種、ホンダ等です。
 イヌマキの古木は数百年以上経つといわれ、根廻り3m以上のものが2本、2mぐらいのものが7本、1mぐらいのものが40本、1m以下のものが162本、合計211本が繁茂しているそうです。

 *イヌマキは、裸子植物のマキ科マキ属に分類される常緑針葉樹の1種です。
 葉は細長いが扁平で中央脈が明瞭。種子は鱗片が発達した套皮で包まれ、また柄の部分が赤く多肉質になります。
 日本の関東地方から台湾、中国南部など暖地に分布します。
 植栽されて庭木や生垣、防風林とされることがあり、また材は樹脂が多く耐水・耐朽性に優れ、屋根材・桶・下駄や沖縄ではシロアリに強く建築材に重用されています。
 真木、槇に対して劣るものという意味でイヌマキの名がついたとされることが多いが、イヌマキをマキやホンマキとよぶこともあります。(Wikipedia一部抜粋)
 

  左手に一際大きなイヌマキです


 南西側から

 南側から見上げました

 諸口神社周辺は「ふるさとの自然100選」選定の森です
 当神社の森は私達の身近にある自然を見直し、ふるさとの自然に愛着と感心を持ってもらうため、静岡県が昭和59年度に行った「ふるさとの自然(お宮の森・お寺の森)100選」で選定された森です。
 みんなで大切に守り育てましょう。
    昭和60年3月   沼津市

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静岡県沼津市、戸田「戸田造船郷土資料館の友愛の松」(旧村指定)です!!

2024-04-01 06:30:15 | 巨樹・大木
 戸田地区は沼津市の南の広い地域です

 沼津市役所の南西約25km、沼津市役所戸田庁舎の西約3kmの所に御浜岬公園があります

 沼津市役所戸田庁舎の北側の通り県道18号修善寺戸田線を西へ

 約1kmの「戸田三叉路」信号を左(南)へ、県道17号沼津土肥線です

 戸田の港を右に見て道成りに約1.3kmで斜め右の道路へ入ります、県道はここから坂道となって西へ登って行きます

 約600mで御浜岬の付け根の交差点を右(北)へ、一番奥の「戸田造船郷土資料博物館」まで車で行けます

 御浜岬公園トイレ3前の駐車場の車を止めました

 車道を北へ進むと・・・

 入口に「友愛の広場」石碑です

 戸田造船郷土資料館です

 説明版です
   戸田造船郷土資料博物館の収蔵品が「近代産業遺産」に認定されました
 経済産業社省では平成19年11月、地域の活性化を進めるに当たっては、それを担う地域の方々が「過去」を知り、それを受け継ぐ「今」に自信を持ち、その自信を「未来」に向かう活力につなげていくことが大切と考え、わが国近代産業遺産の発展に尽くした先人達の歩みをその遺構等の中に留める各地の近代産業遺産について、産業史・地域史のストーリーを軸とする33の近代化産業遺産群にとりまとめました。
 造船・炭鉱・製糸・貿易など、全国450箇所の産業遺産が認定を受け、近代化産業遺産が有する価値の普及や地域活性化に向けた活用が期待されています。
 戸田造船郷土資料博物館は、近代造船の礎となった洋式船建造技術を伝える収蔵品が評価され、ストーリーの『「近代技術導入事始め」海防を目的とした近代黎明期の技術導入の経緯を物語る遺産群』の中に選ばれました。同じ遺産群には伊豆の国市の韮山反射炉も含まれています。
   認定を受けた収蔵品(4点)
 ・ディアナ号模型 1970年の大阪万博でソ連館に展示されていた模型で、旧ソ連政府がディアナ号の設計図から忠実に再現したもの。万博終了後寄贈された。
 ・ヘダ号設計図  この設計図はヘダ号の建造に携わった船大工・石原藤蔵の家に残されていたもの。
  設計図も経験もない洋式船の建造、しかも言葉も通じない中で、苦労して描き上げた。
 ・大工道具    ヘダ号建造時使用された大鋸や墨壺、製図用定規等。
 ・ヘダ号模型   このヘダ号の模型は、ディアナ号模型と同じ縮尺で作られ、その大きさの違いがひと目でわかるようになっている。
    沼津市辺田造船郷土資料博物館

 *ディアナ号は約2000トンの帆船軍艦です、ヘダ号は江戸幕府の許可を得て、ディアナ号等の船員約500名と日本人大工等300名によって作られた、木造洋式帆船でだそうです。



 ロシア軍鑑ディアナ号の大きな錨です

 由来石碑です
  ディアナ号の錨由来
 嘉永7年(1854)10月下田に入港したディアナ号は突如襲った大津浪で船底や舵を破損し、戸田港へ回航中強風のため宮島村三四軒屋海岸に漂着、沿岸漁船総出の曳航も空しく遂に沈没した。時に安政元年12月(同年11月安政に改元)
 爾来、ディアナ号の沈没場所は漁網の被害が続出し「唐人の根」の名で恐れられてきたが、昭和26年頃田子浦漁民が錨1基を同51年8月には富士市田子浦漁協も同型1基を引き上げ、早大講師ロシア文学者高野明氏・船舶検査機構三浦博氏等がディアナ号のものであることを確認した。
 一世紀にして御光を浴びた錨は、うち1基がソ連大使館及び県教育委員会のご援助や、冨士市及び田子浦漁協、地元三四軒屋の格別の配慮により当博物館に保存されることとなったのである。
   昭和53年3月 吉日   戸田村長 山田三郎 謹書

 *安政東海地震(あんせいとうかいじしん)は、江戸時代後期の嘉永7年11月4日(1854年12月23日])午前9時〜10時頃に発生した東海地震である。ここでいう「東海地震」とは南海トラフ沿い東側半分の東海道沖が震源域となる地震のことであり、いわゆる東南海地震の領域も本地震の震源域に含まれていると考えられている。フィリピン海プレートの沈み込みに伴うプレート境界型の巨大地震と推定されている。当時は寅の大変(とらのたいへん)とも呼ばれた。
 また、南海トラフ巨大地震の一つでもあるとされ、約32時間後に発生した安政南海地震 (M8.4) とともに安政地震、あるいは安政大地震とも総称される。この地震は嘉永年間に起きたが、この天変地異や前年の黒船来航を期に改元されて安政と改められ、歴史年表上では安政元年であることから安政を冠して呼ばれる。(Wikipedia一部抜粋)
 

 戸田造船郷土資料館と駿河湾深海生物館の建物の間、北側に大きな松の樹冠が見えます

 通路を通って西側から見上げました


 北西側から

 友愛の松の石碑です

 説明版も有りました
  旧戸田村指定・天然記念物
     友愛の松
    沼津市教育委員会
  指定年月日 昭和48年4月11日
  建設年月日 昭和57年10月1日

 *旧戸田村の村立博物館開館にともなって、ディアナ号との交流、プチャーチン提督の思い出を次代に継承したいと思った戸田の人々の思いに、ロシア側も当時のトロヤノフスキー在日ソビエト連邦大使が戸田を訪れ寄付の目録を手渡すなど、誠意ある対応で応えたといいます。
 トロヤノフスキー在日ソビエト連邦大使は、ディアナ号の遭難、ヘダ号の進水を見ていたであろう浜辺の松を選んで、当時樹齢百年ほどの松を「友愛の松」と命名したそうです。


 北側から見上げました

 北西側から見ました

 こちら側(博物館北西側)にも錨(四爪錨)が展示されています

 では、県指定天然記念物の「御浜岬のイヌマキ群」を見て行きましょう
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