ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

東京都東久留米市、本町4丁目多門寺「東久留米名木百選No.49シダレザクラ」です!!

2024-04-14 06:37:00 | 
 本町4丁目は、東久留米市役所の南側の地区です

 東久留米市役所の北側の「まろにえ富士見通り」を西南西へ進み、約200mの信号を左(南)へ

 約400m坂を下った落合川の毘沙門橋の手前の信号を左(東)へ、「多門寺通り」です

 間も無く左手に

 多門寺境内入口です、入口脇のソメイヨシノは満開です

 東側の駐車場に車を止めさせて頂きました


 西側の駐車場のソメイヨシノも満開の時期を迎えています

 山門です

 説明版です
   東久留米市指定文化財   本町4丁目13番
     多門寺山門
 江戸時代の嘉永5年(1852) ごろの建立と考えられます。また、天保年間(1830~43)に材木を落合川に流して江戸に運び、獅子の彫刻を彫らせたとも伝えられています。
 総欅造りの四脚門で、屋根は銅板葺。禅宗様を主とした折衷様で造られています。
 控え柱(細い柱)上部の獅子鼻(獅子の形をした飾り)や妻(横側)の海老虹梁(中央が上に湾曲した梁)の彫刻はすばらしく、江戸時代末期における地方の建築技術の特色を示しています。また、柱の上部は二手先(二段組)の斗栱(凵の形をした組手)で大きな屋根を支えており、重厚な趣を感じさせます。
       東久留米市教育委員会


 山門を潜ると正面に大きな鉄筋コンクリート造りの本堂です

 本堂前右手に弘法大師様です

 石碑に縁起が彫られています
  *真言宗智山派 宝塔山 吉祥院 多聞寺
 当山は今を去る750年、元仁年間の草創にして、天満宮を安置して梅本坊と号したり。
 凡そ100年の後、祐観上人止住するに及び毘沙門天を本尊とし宝塔山吉祥院多聞寺と寺号を改めたり。
 天満宮は今尚本堂に祀られ学問の神として参詣者も多く、毘沙門天は七福神の一に加へられ、除災招福の功徳広大無辺なり。
 尚当山は、武蔵野観音霊場第5番の札所
      多摩四国八十八所第37番の札所
   昭和51年7月吉祥日
     建立者 南沢中 篠宮信由
      当山第43世大僧正 憲隆代

 左手に目的のシダレザクラです

 本堂前(東側)から見ました

 東久留米の名木百選のプレートです

 南側から

 西側から

 北西側から見ました


 六地蔵様です

 観音堂でしょうか

 お不動様(不動明王)のようです

 では、次へ行きましょう
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埼玉県志木市、柏町3丁目「柏の城跡(史跡)と城山貝塚」です!!

2024-04-13 18:34:00 | 城跡・館跡・陣屋跡
 柏町3丁目は志木市役所の西南西約1.5kmのところ

 志木市役所前から県道36号線の栄橋を西へ渡って直ぐの「市場坂上」信号を斜め右へ県道113号線です

 約600mで「四季小学校前」信号を右(西)へ入ります、柏通りです

 約200mで「第2福祉センター入口」信号を斜め右へ入ると


 まもなく南東向きに第三小学校校門です

 避難所指定されています

 柏の城跡標柱です

 説明版です
   史跡 柏の城跡
 この一帯を遺跡とする柏の城は、木曽義仲の子孫である武蔵屈指の豪族大石氏が室町中期に造った居館である。
 そして京都聖護院の門跡道興准后が文明18年(1486)から翌年にかけて関東各地を巡歴した際の紀行歌文集「回国雑記」に見える「大石信濃守といえる武士の館」とされている。
 ここで言う大石信濃守とは大石顕重のことで、本城は現八王子市の高月城だった。
 顕重以後の城主は定かではないが、大永年中(1521~1525)に修築が行なわれ、本丸(運動場のほぼ中央)、西の丸(長勝院境域)、二の丸(わき道に沿った校地の一角)、三の丸(前の市道を背にする一帯の宅地)を備えるに至ったと伝えられる。
 その後、大石氏は北条氏康に服属したが、天正のころは、大石越後守直久が城主だった。
 直久は顕重の曾孫大石定仲の長男で、天正9年(1581)から北条氏の指令に基づき、駿河国獅子浜城の城代となっていた。
 柏の城が豊臣勢に攻められて落城したのは、武蔵国のほかの諸城と同じ時期の天正18年(1590)。
 徳川家康が江戸へ入府すると、家臣福山月斎が新しい地頭として、この城地に居住した。
      昭和54年10月1日   志木市教育委員会


 大堀跡が南側に在るようですので行ってみました

 フェンス沿いに説明版が在ります

    柏の城大堀跡
 柏の城は、中世の城郭といわれていますが、築城年代や城主などは定かではありません。
 えど時代の記録などによると、志木第三小学校の校地に本曲輪、その東側にニの曲輪、市道をはさんだ南側に三の曲輪、長勝院のあったあたりに西の曲輪が築かれ、南から東への平地に大堀を堀り、その南側を追手(大手)としたといわれています。
 昭和60年、追手門と思われる部分を含む三の曲輪の発掘調査が行われ、大堀も約90mの長さにわたって検出されました。
 昭和55年の市史編さん室が行った発掘調査の結果と総合すると、この大堀は上幅約20m、底幅1.5m~2.5m、地表面からの深さ約4mを測る大規模な空堀であることがわかりました。
 また、昭和60年の発掘調査の際には、陶器・温石(かいろ)・硯などの遺物が出土しました。
     平成25年2月    志木市教育委員会

 西側の長正院跡は西の丸跡ですので行ってみましょう


 市指定天然記念物の「長勝院跡旗桜」です

 小学校側にシダレザクラです

 枝垂桜の根元の説明版です
   柏の城西の曲輪跡
 柏の城は、関東管領山内上杉家の重臣大石氏一族の室町中期からの居館といわれていますが、その築城年代などは不明です。
 江戸時代の享保12年(1727)から同14年にかけて舘村(現在の志木市柏町・幸町・館付近)の名主宮ケ原仲右衛門仲恒により執筆された「舘村旧記」によると、現在の第参三小学校に本曲輪が、その東側にニの曲輪、市道をはさんだ南側に三の曲輪が、そしてこのあたりには西の曲輪があったとされています。
 このあたりは、かつて亭の台とも呼ばれ、在原業平の座所として設けられた館の跡であるという伝説もあり、古来よりこの地域を統括するような有力な人物に関係する、なんらかの施設があったらしいことが推測できます。
 また、舘村八景(江戸時代の舘村の景勝地)の一つに「亭の下の夕照」とあり、この附近は、秩父連山から冨士山めで眺望できり景勝の地としても有名なところでした。
    平成6年2月35日   志木市教育委員会


 小学校の東側を北に降りて行くとです「城山貝塚」です

 「志木市指定 文化財 城山貝塚」標柱です

 説明版です
    城山貝塚
 この貝塚は、柳瀬川低地を臨む台地の突端に位置し、標高約10m、柳瀬川低地との比高差は約4mあります。
 周辺からは縄文時代前期(約5000年前)の諸磯式期の住居跡が発見されており、この貝塚も、同時代のものと推定されます。
 縄文時代前期頃は、気候が大変温暖な時代で現在に比べ平均気温が2度程高く、これにより極地の氷がとけ海水面が平均3m程上昇していました。
 そのため海は内陸深くに侵入しており、今よりずっと近くにせまっていたようです。
 貝塚は古代人たちが貝殻等を捨てたいわばゴミ捨て場のようなものですが、当時の食文化等を知ることができる大変貴重な資料でもあります。 
 城山貝塚から採集された自然遺物は今のところヤマトシジミ・マガキ・ハマグリ等の合わせて11種の貝類が確認されています。
 なお、「城山」とは、この辺一帯の字名です。
     平成2年3月30日    志木市教育委員会

 では、次へ行きましょう
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埼玉県志木市、柏町3丁目「長勝院のハタザクラ」(市指定)です!!

2024-04-13 06:31:00 | 
 柏町3丁目は志木市役所の西南西約1.5kmのところ

 志木市役所前から県道36号線の栄橋を西へ渡って直ぐの「市場坂上」信号を斜め右へ県道113号線です

 約600mで「四季小学校前」信号を右(西)へ入ります、柏通りです

 約200mで「第2福祉センター入口」信号を斜め右へ入ると第三小学校前を過ぎて

 長勝院旗桜の案内板が有ります

 間も無く駐車場の中に目的の旗ザクラです

 まだ咲き始めです

 標柱と説明版です
   志木市指定文化財
     チョウショウインハタザクラ(長勝院旗桜)
 目通り幹周り(目の高さ位の所の樹の周囲)3.05m、高さ11.20m、推定樹齢400年以上のハタザクラ。
 花は大きく、一重咲きの花に雄しべの一部が花弁状に変わった旗弁(1~2枚)を生ずるヤマザクラ(バラ科)の一型で開花時の花付きは極めてにぎやかです。
 県内各地の桜と比較しても巨木の中にはいるもので、樹齢等の点からみても大変貴重なサクラです。
 またかつてこの地にあったともいわれる柏の城の歴史を語る生き証人としても大変重要な桜で、今後大切に保護保存していくべき桜です。
    平成6年2月25日  志木市教育委員会

 *昭和61年頃に廃寺となり解体された長勝院跡にあるヤマザクラの変種の原木で、ソメイヨシノより少し遅れて咲き出します。












 「旗ザクラ」です

 西側から太い幹を見ました

 北側には「市民の木制定記念樹のチョウショウインハタザクラ」です、平成15年4月6日の記があります






 西側の墓地側には石仏と六地蔵様です

 柏の城跡を見にいきましょう
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埼玉県新座市から志木市「柳瀬川河川敷広場周辺のサクラ」です!!

2024-04-12 18:34:00 | 
 続きです


 ここからは再び埼玉県新座市に入ります

 サクラに菜の花が綺麗ですね

 国道254号線の英橋の下を潜りさらに進みます



 埼玉県立新座柳瀬高等学校脇のサクラです、土手の歩道工事の準備が進められています



 対岸(左岸側)の「デオシティ新座」脇のサクラです

 柳瀬川河川敷広場では、花見やBBQで春を楽しむ大勢の人々のため、写真を浅慮しながらサクラを楽しみました


 対岸に「こいのぼり」が見えました


 志木大橋手前のサクラです




 まだ五分咲きでしょうか

 東武東上線の線路の下を潜って振り向くと、電車が橋梁を通過するところでした


 足元の可愛い青色の花はオオイヌノフグリですね

 もう少し先へ行きます
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東京都清瀬市、下宿「城前橋から清瀬水再生センター前までの桜」です!!

2024-04-12 06:42:00 | 
 続きです

 清瀬市役所の北東約1.5kmの所に城前橋が在ります、橋の南西側には「清瀬10景」の「柳瀬川とサクラ並木」があります


 城前橋から上流側を見ました

 左岸側(埼玉県所沢市城)の土手にはカンヒザクラ(寒緋桜)のようです

 下流側にも左岸土手には同じ桜が咲いていますので、ここからは左岸側を下りましょう


 足元には紅色の花びらが絨毯のようです

 先へ進みます


 かなり散り始めていますが花は綺麗です

 北東側から見返しました

 先へ進みます、見えている橋はJR武蔵野線ですね

 滝の城址公園野球場脇のサクラはソメイヨシノですね

 滝の城址公園テニスコート脇のソメイヨシノです、左記に見える橋は「関越自動車道」の橋梁です

 対岸(清瀬市側・右岸)には、「清瀬の名木・巨木百選No.2サイカチ(群生)」が見えて来ます

 北東側の1本です




 シラサギが魚を探しています

 ここからは高速道路を迂回するため北側の「滝の城址公園」に入って高速道路沿いの坂道を上って県道179号線に出ます

 県道を下るように進んで次の信号を右(南東)に進んで「清柳橋」を渡って清瀬市に戻ります


 清瀬水再生センター北側のサクラが見えて来ました、左手土手の木はサイカチの大木です

 すぐ右手には清瀬水再生センターです



 ほぼ満開といえそうです



 シラサギです

 シラサギの脇にガモが飛んできました

 ちょっと遠すぎますね


 カルガモのようです


 
 カワウがしきりに潜りながら魚を探しているようです

 シラサギのそばにカワウが顔を出しました

 シラサギにカモとカワウです



 北東側からサクラを見ました

 放出口案内図です、東京都東大和市の多摩湖と埼玉県所沢市の狭山湖、そして空堀川の水が合わさって柳瀬川となっています

 放出口の所で魚釣りを楽しんでいる方々が見えました

 柳瀬川の生態系創出の為の注意看板ですね

 ここからは柳瀬川の管轄が変わります

 先へ行きましょう
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東京都清瀬市、中里「清瀬市の名木・巨木百選No1ソメイヨシノ」です!!

2024-04-11 19:14:00 | 文化財・樹木
 中里地区は清瀬市役所ののある所です、市役所の北北西側約500mの金山橋が在ります

 柳瀬川は、埼玉県入間市の狭山湖に源を発し、都県境に沿って北東へ流れ、志木市で新河岸川に合流する一級河川です

 今回は金山橋から城前橋の間にある「清瀬10景・清瀬川とサクラ並木」に選定されています

 
 金山橋から下流側を見ました

 柳瀬川の表示版です

 八分咲き、ほぼ満開の木々が多いようです

 右岸の河川敷を下流に進みます

 川面にカモが泳いでいます

 河川敷には露店商の出店が並んで賑やかです

対岸に赤い花が咲いています

 何の花でしょうか~

 並木の中の木も花を付けています
 
 クヌギの花ですね




 鷺が魚を探しているようです


 河原の大きな石に、ぴょんと乗りました


 この辺りは五分咲きかな


 桜のトンネルを進みます


 土手に草花の群落です

 
 ハナニラです


 ムスカリです

 次の桜のトンネルです

 多くの花見客で賑わって居ます

 清瀬市の名木・巨木百選のプレートです

 北側から見ました

 更に北東へ進みます

 長く成りましたので続きとさせて頂きます
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山梨県山梨市、牧丘町柳平「柳平のトチノキ」です!!

2024-04-11 06:38:00 | 巨樹・大木
 牧丘町柳平地区は、山梨市役所の北約15kmから広がる広い地域です

 山梨市役所牧丘支所の北西約10kmのところに、目的のトチノキがあります、2022年の取材で見つからなかった木です

 山梨市役所牧丘支所前の「窪平」信号を北西へ、すぐの交差点を右(北東)へまた直ぐに斜め左(北)へ

 県道219号柳平塩山線です、ここからひたすら坂道を上って行きます

 約9kmで学術参考林(杣口のサワラ林)を過ぎて(2020年8月9日このブログで紹介しています)

 更に約3.2kmで姥の栃の前を過ぎます(2020年8月10日このブログで紹介しています)

 約900mで右手に目的のトチノキが見えて来ます(案内板などは在りません)

 すぐ先の道路脇に車を止めさせていただきました

 南東側から

 南側から根元に近付きました


 南東側から斜面に上がりました

 東側から


 道路に戻りました

 南西側から

 では、次へ行きましょう
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山梨県甲州市、塩山竹森「玉諸神社の御神木スギ」です!!

2024-04-10 18:34:00 | 巨樹・大木
 塩山竹森地区は、甲州市役所の北北東約4kmのところ

  甲州市役所前信号から北北東へ進みます

 約1.7kmの「千野駐在所前」信号で国道411号線に合流して北へ

 約100mで左斜めの道路県道207号線(座禅草のみち)に入ります

 道成りに約2km坂道を上って行きます

 道路右手に玉諸神社が見えて来ました

 境内南西端に目的の御神木スギです

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 郷社 玉諸神社の社號標です



 東側から、実測してみました、目通り幹囲403cmの大木です

 北側から、根元は大きく洞状になっています

 

 手水舎です

 ニノ鳥居です(境内入口の一ノ鳥居は台座だけになっています)

 随神門です

 石段を上がると拝殿です


 本殿です

 説明版です
   玉諸神社
 当社は延喜式内社 玉諸神社と称し、その創建勧請の年代は詳らかではないが、祭神は天羽明玉命(天の岩戸の変の時、真榊の枝にかけた、八坂瓊五百個御統玉を造った神)である。
 社記(天平18年宮司綱蔵式部正記)によれば
 「当社は、往古より、当地の鎮守として、代々御朱印、御墨付を頂戴し、醍醐天皇延長5年延喜式神名簿に登録され、御神体は水晶の玉石で、高さ七尺余 上六角 太さ六尺八寸余りあり 甲斐源氏の祖 新羅三郎義光公造営以来 幾代かに亘り造営 言々」
 以下地名の由来、神事等につき記録されている。
 代表的な神事として11月14日(現在は10月14日)鳥乞の神事が現在も伝承されている、又社記には武田信重の次の二首が記されている。
 「神垣に かがやく玉の 光をぞ 身の行末かけてたのまん」
 「あとたれし 神の恵みも 世にしるく 玉の光の 数もそえゆく」
 なお、竹森山(通称水晶山)中腹に奥の宮・玉宮大明神が祀られている。
    平成元年10月14日   玉諸神社総代会

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山梨県甲州市、塩山下竹森「下竹森のネズ」(県指定)です!!

2024-04-10 06:34:00 | 巨樹・大木
 塩山下竹森地区は、甲州市役所の北東約4kmのところ

 甲州市役所前信号から北北東へ進みます

 約1.7kmの「千野駐在所前」信号で国道411号線に合流して北へ

 約100mで左斜めの道路県道207号線に入ります

 道成りに約1.5kmで右(東)へ竹森川を渡ります

 約300mで左に鋭角に曲がって坂道を登り直ぐ右への道路を進みます

 約300mで左(北)へ上る道路へ入って行くと


  左下に目的のネズが見えて来ます

  道路脇に車を止めさせて頂きました

 東側から、根元には五輪塔が並んでいます

 山梨県指定文化財 天然記念物 下山森のネズ 昭和36年12月7日指定 山梨県教育委員会の案内板です

 *ネズ(杜松、学名: Juniperus rigida)は、裸子植物マツ綱のヒノキ科ビャクシン属(ネズミサシ属)に属する常緑針葉樹の1種で、ネズミサシ(鼠刺)ともよばれ、これを標準名としていることも多い。
 別名として、他にムロ(榁)、トショウ(杜松)などがあり、低木から高木で小枝は垂下し、触ると痛い尖った針葉が3輪生する。
 雌雄異株であり、"花期"は春、球果は翌年以降に熟し、多肉質で液果状(漿質球果)。
 本州、四国、九州、朝鮮半島、中国北部に分布し、尾根筋など痩せた土地に生育する。
 木材、薬用(球果は杜松子とよばれる)、観賞用(盆栽など)として利用され、ハイネズと同種とされることがあります。
 (以上ウィキペディから一部抜粋です)

 南側から見上げました

 山梨の巨木・名木100選の立札です

 南西側から見上げました

 富士山を見る事が出来ました

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山梨県笛吹市、境川町藤垈「宗源寺のヒダリマキカヤ」(県指定)です!!

2024-04-09 18:32:00 | 巨樹・大木
 境川町藤垈地区は笛吹市役所の南約7kmのところ、笛吹市役所 境川支所の西約500mに宗源寺があります

 笛吹市役所西部出張所前を南へ、一時停止の交差点を右(西)へ

 約300mの「原入口」信号を右(北西)へ

 間も無く右手にカヤの樹冠が見えました
 

 目的の宗源寺のヒダリマキカヤです

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 道路脇には大きな切り株です、スギのものの様です

 金刀比羅神社と道祖神様です

 南西向きに曹洞宗 延命山 宗源寺入口から本堂です、右手にカヤの木があります

 西側から

 南西側から幹を見上ました

 説明版です
   県指定天然記念物
     宗源寺のヒダリマキカヤ
       昭和45年10月26日指定
       東八代郡境川村藤垈4771
       宗源寺所有
 このカヤは普通のカヤにくらべてその核果が大きく、長さ3.7cm、幅1.3cmでその両端がややとがった紡鐘形をしめている。
 その表面には筋があり、左巻きの螺旋をしめすものが9%で、右巻きのもの20%、直線筋のものが71%である。
 本樹の規模はつぎのようである。
    根廻り   13.20m
    目通り周囲  4.40m
    樹高    21.50m
    枝張り東西 17.65m
       南北 16.30m
 樹勢は盛んである。
     昭和48年3月1日
         山梨県教育委員会

 山梨の巨樹・名木100選の立札です


 南側から見ました

 南側道路から

 西側道路からも見て見ました

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山梨県市川三郷町、上野「表門神社のコツブガヤ」(県指定)です!!

2024-04-09 06:44:12 | 巨樹・大木
 上野地区は、市川三郷町役場の東約1kmのところ

 市川三郷町役場南側の県道3号北線通りを東へ進みます

 約600mの芦川橋を渡って北東へ進みます

 約400mで右手(北西向き)に赤い鳥居が見えてきます

 表門神社の社號標です
 
 少し先の境内北東側の駐車場に車を止めさせて頂きました

 赤い鳥居から参道を進むと左に神門が見えます、ここで参道が90度曲がっています

 随身門です

 真っ赤な神楽殿です

 拝殿です


 本殿です

 説明版です
   三珠町指定文化財
    表門神社本殿 同神楽殿
      所在地 三珠町上野2767番地
      昭和44年4月17日 指定
 表門神社は、御崎神社あるいは三郷文殊とも称され、延喜式内社で由緒ある神社である。
 祭神は天照大神・倉稲魂命・瓊々杵命の三神である。
 〈本殿〉
 「甲斐国志」には、永保年間(1081~4)を初めとして数回の造営記録があるが、現在の建物は棟札によって元禄8年(1695)の建立であることがはっきりしている。
 本殿は三間社流造で、今は銅板で覆われているが当初は檜皮葺である。
 蟇股・脇障子・手挟等に獅子・鶴・鳳凰等の動物の彫刻が精巧に施されたうえ彩色がなされ、正面扉には金箔が貼られている。
 棟札には大工の名、石川久左衛門家久及び重良と記されており、下山大工の作であることが知られる。
 文化15年(1818)に屋根替が行われているが、他に大きな改変部分はなく、当初の形態をよく残した江戸中期を代表する建造物である。
 〈神楽殿〉
 本殿と同じく元禄8年の造立である。この時に今も残る拝殿・随神門・鳥居も一緒に建てられており、境内の景観を一新したものと思われる。
 正面1間、側面1間、切妻造檜皮葺(現在銅板葺)のこの建物は木鼻の渦紋や形態をみると本殿と同一であり、同時期の建物であることがはっきりわかる。
 毎年2月第1日曜日(以前は2月第1の酉の日)の例祭には、この神楽殿で約900年前から受け継がれている、町指定文化財「太太神楽」が奉納される。
      昭和58年    三珠町教育委員会

 *三珠町は平成17年(2005)年10月1日、隣接する市川大門町および六郷町と対等合併して市川三郷町となりました。


 拝殿東側の桜は5分咲きになっています

 北東側から

 神楽殿東側の石神様ですね

 本殿東側の境内社です

 本殿西側境内玉垣の外側に目的の「コツブガヤ」です

 南西側から

 南側から

 説明版です
   県指定天然記念物
     表門神社のコツブガヤ
    所在地  三珠町上野2767
    所有者  表門神社
    指定年月日 平成3年5月30日
 この木は枝条が密生、葉は短小、先端は鈍で母種(基本種)ほど鋭くない。
 最大の特徴は「コツブガヤ」と同定される重要な決めてとなる種子が極めて小さい点にある。
 甲府盆地に所在するコツブガヤは、東北地方と近畿地方の中間にあたり、水平分布のうえから重視され、特にこの木は、よく自然のままに成長をとげた希産のこの樹種として誇りうる巨樹である。
       山梨県教育委員会  三珠町教育委員会

 北西側から見ました


 玉垣脇のムクロジの大木です、多くの実が落ちていたり、まだ枝先にも残っています

 あか鳥居の並び北東側の石鳥居です

 説明版です
   表門神社石鳥居
     所在地 西八代郡市川三郷町上野2767 
     所有者 表門神社
     県指定 昭和46年4月8日
 この鳥居は春日型と呼ばれ、全体の構成は直線的で反りが少なく、笠木、島木の両端もほぼ垂直に切られている。
 また太い柱は転びが少なく双方とも中ほどで継ぎ足されている。
 鳥居の総高2.74mに対し、柱幅は真々で2.57mほどもあり後世のものにみられない背の低い安定感に冨んだ貴重な遺構である。
 造られた時代は鎌倉時代と推定されている。
     昭和54年1月   市川三郷町教育委員会 山梨県教育委員会
   


 飯指紋の内側にも境内社が有りました

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山梨県市川三郷町、上野「薬王寺のオハツキイチョウ」(県指定)です!!

2024-04-08 19:29:39 | 巨樹・大木
 上野地区は、市川三郷町役場の東約1kmのところ

 市川三郷町役場南側の県道3号北線通りを東へ進みます

 約600mの芦川橋を渡って直ぐの交差点を右(南東)へ入ります

 道成りに進んでJR身延線の高架を潜ると約200mで

 左手(南向き)に薬王寺参道入口です

 すぐ先の坂道を上ると広い駐車場が有りますので利用させて頂きました

 高野山真言宗 河浦山 薬王寺の寺号標です

 石段を上がると大きな鐘楼門です

 本堂です

 左手(西側)の六地蔵様の先に目的のイチョウが見えました
 
 六地蔵様です



 南東側から

 東側から

 説明版です
  県指定天然記念物
    薬王寺のオハツキイチョウ
   所在地 市川三郷町上野199
   所有者 薬王寺
   指定年月日 平成4年3月5日
 この木はオハツキイチョウの雄株で、通常の雄花に交じって葉の上に葯(花粉の袋)をつけるものである。
 葯は一枚の葉の上に1個から数個つき、葯をつけた葉は変形しているが、葯の数が多いほど変形が著しく、葉も小さくなる。
 なお、雌株は葉の上に種子をつける。
 オハツキイチョウは珍奇な種類である上に本樹のような雄株は全国的にも貴重である。
       山梨県教育委員会 市川三郷町教育委員会

 北東側から見上げました

 本堂西側の境内入口脇の桜は5分咲きでしたが、南側境内端の桜はまだでしたよ

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山梨県市川三郷町、高田「流通寺のビャクシン」(県指定)です!!

2024-04-08 06:30:27 | 巨樹・大木
 高田地区は、市川三郷町役場の南西約2kmのところ

 市川三郷町役場前の「郡農協前」信号を西へ、県道3号北線通りです

 約1.8kmで道路の上を新印川が流れてている(天井川)の高架の手前の左手に

 日蓮宗 流通寺の寺号標が在ります

 すぐ後ろが流通寺の駐車場になっていたので、車を止めさせていただきました

 東へ参道を進みます、左手のピンク色の建物は「高田保育園」です

 保育園先に目的の「流通寺のビャクシン」です(南側から)

 南東側から

 東側から


 幹にはコンクリ―ロで補強されているようです

 説明版です
   流通寺のビャクシン
 1、指定年月日 昭和43年2月8日
 1、樹齢    樹齢数百年(400年以上)と推定され境内植栽の古木で寺院の歴史の一面を表徴する。
 1、地域    高田2786番地の中境内地
 1、現状    幹囲2.90m、樹高7.24m、根囲4.24m、枝張東西4.39m、南北5.15m
     山梨県教育委員会
   


 南向きに流通寺本堂です


 天然記念物標柱は、本堂側(北側)に向かっています

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山梨県身延町 、上八木沢「八木沢のオハツキイチョウ」(国指定)です!!

2024-04-07 18:43:19 | 巨樹・大木
 上八木沢地区は身延町役場の南約7kmのところ

 身延町役場を南へ道成りに国道52号線を進みます、約5.9kmの「上沢」信号を左(東南東)へ、国道300号線です

 約1.1km富士川を富山橋で渡って東詰めの信号を右(南)へ、道成りに約1.1kmで左(東)へ入ります

 JR身延線の高架を潜ると間も無く左手に目的のイチョウの樹冠が見えて来ました

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 住宅の間の細い通路を進んで北側から「上八木沢山神社」の鳥居を見ました

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 拝殿脇(東側)から目的のオハツキイチョウです
 
 東側から見上げました

 説明版です
   国指定天然記念物
     八木沢のオハツキイチョウ
        昭和15年7月12日指定
        南巨摩郡身延町八木沢
        宮ノ前神社 所有
 イチョウには雌花のつく雌株と雄花のつく雄株とがあり、オハツキイチョウは、その葉上に花がつく変種である。
 この八木沢のオハツキイチョウは、明治29年(1896)4月17日に藤井健次郎博士によって発見され、欧米の植物学会にも紹介されたもので、雄株で国指定になっているのは、この木一株だけで、究めて珍しいものとされている。
 その規模は現在次のとおりである。
     目通り幹囲  2.92m
     樹高       25m
        昭和49年12月1日
           山梨県教育委員会
           身延町教育委員会


 「山梨の巨樹・名木100選」のプレートです

 北側から

 西側から見上げました

 南側から

 枝先の葉芽は大きく膨らんできています


 北東側から見ました

 スイセンが綺麗でしたよ

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山梨県南部町、内船「島尻の大カヤ」(県指定)です!!

2024-04-07 06:40:24 | 巨樹・大木
 内船地区は、南部町役場の南東約1kmのところ

 南部町役場を南東へ出ます、県道10号線です、約400mでJR身延線内船駅の先を左(東)へ

 踏切を渡って直ぐ右(南東)へ線路を右下に見て進みます

 約500mで斜め右の道路へ入ります

 間も無く右手住宅の西側にカヤノキの樹冠が見えて来ます

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 東側から、脇の水路を水が滝のように流れています

 ズームアップしてみました

 根元に天然記念物標柱と説明版が見えます
   山梨県指定 天然記念物 島尻の大カヤ
      昭和61年3月19日指定

 説明版には・・・
   山梨県指定天然記念物
     島尻の大カヤ
       指定年月日 昭和61年3月19日
       所在地   南巨摩郡南部町内船10293番地
       所有者   個人所有
 本樹はカヤの巨木として県下有数のものであり、樹齢は6~700年と推定される。
 規模は根まわり9m、目通り幹囲7.2m、樹高はおよそ17,5mである。
 雌木で多くの実をつけるが、その大きさが3.0cmをこえるこのもあり、普通のカヤより種子が大きめであることも重要な点である。
    令和2年2月   山梨県教育委員会



 南側に移動して見ました

 線路の西側へ移動しましょう

 ホームセンターコメリの脇を東へ入って、水路脇に車を止めさせて頂きました


 水路脇を進みます

 JR身延線の線路の先にカヤノキが立っています

 *樹高17m、目通り幹囲6.2mの巨木です

 南西側から見ましたが、線路はJRの私有地ですので先へは入れませんでした

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