ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

高知県高知市、一宮しなね2丁目「四国八十八ヶ所第30番・善楽寺(ぜんらくじ)」です!!

2024-08-08 18:34:00 | 四国八十八霊場
 一宮しなね2丁目は、高知市役所の北東約6kmのところ

 高知市役所の南側の国道32・56号重複線を東へ進みます

 約1.3kmのペットショップの先の信号を左(北)へ

 約300mの自動車販売店前の信号を右(東)へ

 約100mで広い道路の信号を左(北)へ県道249号線です

 約1.1kmで「一宮・高知道路⇒」の標識に従って信号を右(東)へ

 約1kmで高知信用金庫ATM前の信号を左(北)へ、県道384号線です

 約2.5kmの土佐神社神門前の信号を左(北)へ、参道の西側道路を進むと

 参道両脇に広ろがる土佐神社の駐車場に入りました

 すぐ東側に善楽寺参道が西向きに開いています

 土佐神社には参拝客が大勢いたので先に善楽寺から回ることにしました

 境内案内図です

 観音様です

 地蔵堂です

 子安地蔵堂と梅見地蔵様です

 本堂です

 縁起です
   四国第30番 百々山(どどざん) 善楽寺 縁起
 平安時代初期、弘法大師空海上人がご巡錫の際、高鴨大明神(現土佐神社)の森厳幽遠なる霊域が深く御意に敵われ、北部一帯の渓谷が100谷あれば入定の地に定めんと谷々を検分されましたたが、99谷しかなく、当山を開創されて一谷を補い、山号(さんごう)を百々山と名付けられて四国第30番霊場とお定めになられました。
 以降、長宗我部氏や山内公の帰依深く法灯を維持してきたと伝えられております。
 明治の廃仏毀釈で当山は廃寺となりましたが、公許を経て洞ヶ島の安楽寺が第30番を代行して万灯をつなぎ、その間に一宮村民の尽力を支えにして当山は昭和5年に復興、平成6年には安楽寺は30番奥の院、善楽寺のみが30番となり、昔と変わらずお遍路さんを迎えています。

 お不動様です

 大師堂です

 納経を済まして

 次は、土佐神社へお参りしましょう


 2024・6・13・9・45
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高知県高知市、大津乙「佛性寺の大椎(スダジイ)」(県指定)です!!

2024-08-08 12:37:00 | 巨樹・大木
 大津乙地区は、高知市役所の東約7kmのところ

 高知市役所の南側の国道32・56号重複線を東へ進みます

 約2.2kmからは国道55・195号重複線でさらに東へ

 約1kmの「香美国道195号線」の標識に従って左側車線へ、国分川に葛島橋を渡ります

 とさでん交通電車軌道に沿う様に進みます

 約3.7kmで右手に「真宗大谷派 佛性寺」の案内板が有りますので右(東)の細い道路に入ります

 約100mで左手に仏性寺の大椎です

 住宅街の細い道ですが、前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南側から

 高知県指定天然記念物 佛性寺の大椎の標柱です

 南東側から

 佛性寺の山門です

 親鸞聖人像です

 本堂です

 境内に入って東側から

 北東側から、樹高10.5m、目通り幹囲4.3m、根元周囲8.5m、推定樹齢400年の大木です

 本堂前から

 *椎は、我が国の温暖帯を代表する樹木です。
  高知県の低山帯は大部分椎の植生によって占められ、椎林は従来その殆んどが薪炭として輪伐されたり、経済性が低いため、スギやヒノキの造林地に更新されたため、寺社林以外に古木の保存されることは少ない。
 樹齢は割と長く保つものの、穿孔害虫や木材腐朽菌に弱く、巨樹となって現存するものは、戦後急激に減少した。
 佛性寺の大椎も、十数年前から衰弱が著しくなり、衰弱枯死した大枝を伐切除去したため、往時の美しい樹冠の広がりは見られなくなったものの、株の下方から多数萌芽したヒコバエが、勢いよく伸長しはじめているので、株そのものは枯死の心配はないが、幹の下部は見づらくなった。
 椎には2種あり、樹皮に縦に割れ目ができなくて、実の小粒で丸い「ツブラジイ」と、樹皮に縦の割れ目ができて、実のやや長い「スダジイ」がある。(高知市ホームページから一部転用)

 では、次へ行きましょう


 2024・6・13・9・20
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高知県南国市、国分「四国八十八ヶ所第29番・国分寺(こくぶんじ)」です!!

2024-08-08 06:30:15 | 四国八十八霊場
 国分地区は、南国市役所の北約3kmのところ

 南国市役所の北側の国道195号線を東へ、約200mの「⇐徳島・国道195号線」の標識に従って左(北)へ

 道成に約800mで国道は右へそれるところで直進してJR土讃線の踏切を越えます、県道45号線に変わります
 
 約2.1kmで国分川の国分橋を越えて直ぐに「⇐29番札所国分寺0.4km」の標識を左(西)へ入ります

 山門の仁王門前に第一駐車所や山門先に第三駐車場が有りますが、乗用車は第二駐車場への案内がありましたので

 境内東側の第二駐車場へ入りました

 参拝順路案内図です

 境内東側の塀沿いを南へ進みます 

 境内は史跡国分寺址です・・・
   史跡国分寺址
 土佐国分寺の創建は奈良時代で、境内に寺域を画する土塁やお堂の基壇が遺存し、大正11年に寺域全体が国の史跡に指定された。
 寺の東及び北に残る高さ1.5m~2m、幅3m~4mの土塁の盛土は、近年の発掘調査から段状地形と遺構が検出され、創建時の境内が方500尺(約150m)であった事が判明した。

 「四国のみち」案内図です

 山門(仁王門)です

 四国第29番札所国分寺寺号標です

 日本遺産プレートです
日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第29番札所 国分寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。

 参道を進みます

 また史跡説明版です
   史跡 土佐国分寺
     大正11年10月12日国指定史跡
 土佐国分寺跡は、天平13年(741)聖武天皇の勅願を契機として諸国に造立された国分僧寺のひとつである。
 伽藍配置を示す具体的な遺構は現存しないが寺域を画する土塁が遺存し、古瓦等の散布や塔心礎が残ることなどから、大正11年に寺域一帯が史跡に指定された。
 創建期の内容等については詳細は判明してはいないが、現書院の内庭園に置かれた塔心礎や伝世品の梵鐘(平安時代前期作重文)など盛期に寺院活動を示す物証が残されている。
 最近の発掘調査等により、創建期の遺構とみられる3間×6間の礎石建物跡、僧房と考えられる掘立柱建物群、南限を画する築地、溝跡などが検出され、寺院の様相が次第に明らかにされつつある。
     南国市教育委員会

 鐘楼です

 説明版です
   土佐国分寺
 天平13年聖武天皇の勅願により僧行基が創建した官寺で、当時は方6町の寺域を有した七堂伽藍が完備されていた。
 その後弘法大師の中興により四国第29番札所となる。
 鎌倉時代から戦国時代にかけ幾度もの戦禍や災害を受けて荒廃したが、室町末期に長曽我部氏の庇護を承け復興。
 特に元親が永禄元年金堂を再建し現在に至る。
 山内藩制時代にも寺領を与えられ建物の造営修復は藩の援護を得て行われていた。
 金堂(本堂)と木造薬師如来像2体並びに梵鐘は国の重要文化財。
 また創建当時の土塁が残る寺域は国の史跡に指定されている。

 手水舎です

 参道右手奥に「開山堂」本尊は行基菩薩です

 金堂(本堂)です

 説明版です
   金堂(重要文化財)
 金堂は七堂伽藍の中心となる建物で、本尊を安置するお堂。
 現在の建物は永禄元年(1558年)に、長宗我部国親・元親親子により創建時の金堂跡に再建されたもので、杮葺(こけらぶき)と天平時代の建物に模した寄棟造りに特徴がある。
 又、内部の海老虹梁は土佐最古といわれ吹寄垂木等に室町時代の特色がうかがわれる。
 明治37年に国の特別保護建造物に指定され現在にいたる。

 大師堂です

 案内板です
   大師堂
 創建寛永11年(1634)。文化2年(1805)3月、藩主山内豊策公(土佐藩10代藩主)再建。桁行3間梁間3間、本尊弘法大師。

 酒断地蔵尊です

 納経所(お寺カフェ)へ行きましょう

 納経終了しました

 ㉙国分寺から次の善楽寺や前の大日寺への案内図です

 次は善楽寺ですね、それでは行ってみましょう




 2024・6・13・9・20
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