旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

晴明神社(安倍晴明をお祀りしています)

2014-08-01 20:19:53 | 京都
2014年7月29日、お参りしました。御祭神は安倍晴明御霊神です。
由緒書より「安倍晴明公は孝元帝の皇子大彦命の御後胤で幼い頃から非常に賢明な方で多くの道に秀でておられました。 特に天文暦学の道を深く極め、神道を思いのままに操る霊術を身につけられておられたのです。 成人になられた後には天文陰陽博士として活躍し、朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、一条、の六代の天皇の側近として仕えられ、数々の功績をたてられます。 そして、村上帝に仕えられておられた時には進んで唐へ渡り、はるか城刑山にて伯道仙人の神伝を受け継がれます。 帰国して後、これを元に日本独特の陰陽道を確立しました。 朝廷の政治、日本人のさまざまな生活の規範を決められました。 今日、私達の日常生活の基準となる年中行事や、暦術、占法は皆この時に創られたのです。」
京都市上京区堀川通一条上ル806
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鳥居、社紋の桔梗印が特徴

一條戻橋



境内が道で分断していました。再度鳥居

本殿



末社

安倍晴明像

厄除桃

御神木の楠

桔梗が咲いていました。



説明図





鳥居前の店舗

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相国寺(しょうこくじ)・臨済宗相国寺派の大本山

2014-08-01 09:07:55 | 京都
2014年7月29日、お参りしました。
説明書より「本山外塔頭寺院の金閣寺、銀閣寺を含めた臨済宗相国寺派の大本山です。正式名称は萬年山相國承天禅寺です。室町幕府三代将軍の足利義満が後小松天皇の勅命をうけ、約10年の歳月を費やして明徳3年(1392)に完成した一大禅苑で、夢窓疎石を勧請開山とし、五山の上位に列せられる。その後応仁の乱など、度重なる災禍にもかかわらず当山は禅宗行政の中心地として多くの高僧を輩出し、室町時代の禅文化の興隆に貢献した。後に豊臣氏の外護を受けて、慶長10年(1605)豊臣秀頼が、現存する法堂を建立し、慶長14年(1609)には徳川家康も三門を寄進した。法堂は桃山時代の遺構で日本最古の法堂、一重裳階付入母屋造りの唐様建築で本尊釈迦如来および脇侍は運慶作、天井の蟠龍図は狩野光信筆、法堂北の方丈は勝れた襖絵を有し、裏庭は京都市指定名勝となっています。創建当時は室町一条あたりに総門があったといわれ、北は上御霊神社の森、東は寺町通、西は大宮通にわたり、約百四十四万坪の壮大な敷地に五十あまりの塔頭寺院があったと伝えられています。」
境内も大きいですね。法堂・方丈の拝観料は800円です。内部撮影は不可です。
京都市上京区今出川通烏丸東入
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案内図

総門

勅使門

参道

総門方向の参道

法堂
天井に9mの龍の絵があり、手をたたくと響く「鳴き龍」として有名です。









法堂と開山堂の通路

庫裡
香積院と称し、大きい破風や壁面が特に印象的です。

方丈







庭園





横庭園



裏庭園





中庭



境内







承天閣美術館

鐘楼
鐘楼は一名洪音楼といい、天保14年(1843)再建のものです。

天響楼
この梵鐘は、相国寺が友好寺院の協定を結び、交流を続けている中国開封大相国寺より寄進されたものです。



宣明(浴室)、1400年頃創建されたとみられる。現在のものは、慶長初年(1596)に再建されたもの、蒸気浴をしながら、ひしゃくで湯を取り、身体に注ぐ掛け湯式の入浴法をあわせて行う方式であった。

大光明寺、拝観できません。

経蔵

養源院、拝観不可



光源院







勅使門と蓮池


鎮守社

宗旦稲荷

弁天社






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