旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

大徳寺・龍源院

2014-08-11 09:32:37 | 京都
2014年8月7日、お参りしました。
説明はパンフレットより引用。
大徳寺の塔頭で、南派の法源地本院として、由緒の殊に深く、大徳寺中で最も古い寺です。文亀2年(1502)大徳寺のご開祖、大灯国師より第8代の法孫である東渓宗牧禅師を開祖として、能登の領主であった畠山義元公、九州の都総督であった大友義長公らが創建された。
拝観料400円です。
京都市北区柴野大徳寺町82
map
表門(重要文化財)
室町時代の建立です。四脚門切妻造、檜皮ぶきです。

境内

方丈(重要文化財)
室町時代の禅宗方丈建築として、その遺構を完全にとどめている唯一のもので、我が国の建築史上、最も枢要な存在です。方丈の棟瓦は、附玄関、表門の棟瓦と共に、京都八坂神社楼門の棟瓦と同じ室町時代最古の様式のものです。一重入母屋造、檜皮ぶきです。

滹泥底(こだてい)
庫裏の書院南軒先にある(阿吽の石庭)で、宗祖の臨済禅師が住まわれた。中国河北の鎮州域の南に流れる滹泥河の銘があります。その右と左の基礎石は昔、聚楽第のものと伝えられています。
少し黒いものが阿の基礎石





担雪井

庭園
方丈の前庭を「一枝坦」と言い、余分なものを取り除いた禅宗独特の枯山水庭園で神仙思想に説かれる蓬莱山の理想の世界を表現しています。蓬莱山とは不老不死の薬を持つ仙人が住む吉祥の島の事で、一面の白川砂を大海にみたてています。言葉では表すことができない悟りの世界を視覚的に表現したものが禅の庭園です。
手前より亀島、枝坦、蓬莱山、鶴島







開祖堂
開祖東渓宗牧禅師の塔所で、南北朝、鎌倉、室町初期時代の様式の粋を取入れた、昭和の唐様木造建築の代表作です。

開祖堂前庭

竜吟庭
方丈の北庭、室町時代特有の三尊石組から成る須弥山形式の枯山水庭園で、相阿弥の作と伝えられ、青々とした杉苔は、洋々と果てしない大海原を現わし、石垣が陸地を表しています。

中央に高く突出する奇岩が須弥山で、魏々として聳えたち、人間は勿論、鳥も飛び交うことの出来ない、唯一人として窺い知ることの出来ない、真実の自己本来の姿、誰もが本来具えもっている超絶対的な人格、悟りの極致を形容表現しています。須弥山石の前にある円い板石が遙拝石と言い、この理想、目的に一歩でも前進し、近づこうという信心の現れです。

東滴壺(とうてきこ)
庫裏と書院の間にあります。日本最小の石庭といわれ、極めて小さな石庭でありながら格調高く殊に有名です。庭の右側に平たい一枚の板石が置かれ円い波紋は一滴の水が滴り落ちる姿を表しています。一滴の水が小川となり大河となり、ついには大海となる様に、一滴の大切さ、一滴がそのまま大海につながっている事を表現しています。


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大徳寺・瑞峯院

2014-08-11 09:24:17 | 京都
2014年8月7日、お参りしました。
当院は、室町時代の九州豊前豊後の領主でキリシタン大名として有名な大友宗麟公が、大徳寺開山大燈国師から徹岫宗九禅師に帰依し、禅師を開祖として創建された寺です。
拝観料400円です。
京都市北区柴野大徳寺町81
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表門

境内





室内







奥に井戸

中庭



独座庭
寺号、瑞峯をテーマにした蓬莱山式庭園です。中国の禅僧百丈禅師が、独座大雄峰と呼唱された禅語から銘じられ、独座庭と言います。





方丈(重要文化財)
天文4年(1535)に建造されたもので、室町時代の禅宗方丈建築の遺構をとどめ、建築史上、貴重な存在です。

露地

閑眠庭(方丈裏)
「閑眠高臥して青山に対す」の禅語から銘じられ、閑眠庭と呼んでいます。中庭にあるキリシタン灯籠を中心に、七個の石組からなり、縦に四個、横に三個の石の流れが十字架に組まれ、万人の霊を弔っています。


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大徳寺・高桐院

2014-08-11 09:09:53 | 京都
2014年8月7日、お参りしました。
高桐院(こうとういん)は大徳寺の塔頭の一つです。細川幽斎公の長子忠興三斎公により慶長6年(1601)に建立されました。三斎公は織田・豊臣・徳川の三時代に、一貫した精神で身を処した戦国時代切っての智将であるが、公はまた利休七哲の一人として茶道との深いえにしによって有名です。茶道の奥義を究め、歌道をたしなみ、文武両道に秀でた哲理の人でした。
拝観料400円です。
京都市北区柴野大徳寺町73-1
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参道に趣があります。

表門

竹林

唐門

振り返って

右に曲がって

境内


室内











庭園

















建造物






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大徳寺(臨済宗大徳寺派の大本山)

2014-08-11 09:00:18 | 京都
2014年8月7日、お参りしました。
臨済宗大徳寺派の大本山で、山号は龍寶山です。
鎌倉時代末期の正和4年(131)に大燈国師宗峰妙超禅師が開創しました。室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興しました。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めました。 勅使門から山門、仏殿、法堂、方丈と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備しています。
京都市北区紫野大徳寺町53
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南門

総門

境内から

勅使門(重要文化財)
総門を入った境内のほぼ中央に建っています。桃山時代の建築で、前後唐破風、左右切妻、屋根桧皮葺の四脚門です。慶長造営の皇居の南門を移建したものと伝えられています。

三門(重要文化財)
桃山時代建築の建造物です。応仁の乱後、一休禅師の参徒連歌師宗長等が一階部分を寄進、のち千利休居士により二階部分が設けられ金毛閣と名づけられた。 山門とは龍宝山の門、三門とは三解脱門(空門・無相門・無作門)のことで、一端、山門をくぐり境内に入る者は、金毛の獅子となって下化衆生せんことを意味するとみこと。柵がありいいアングルがないですね。

西側から

北側から

仏殿(重要文化財)
第一世大現国師により創建せらるるも応仁の乱にて消失、一休和尚等によって再建されるも、寛文5年(1665)那波常有によって改めて建造した。





法堂(重要文化財)
仏殿の北にあり、寛永13年(1636)小田原城主稲葉正勝の遺命によって、その子正則が寄進したものです。

平康頼之塔

黄梅院、拝観謝絶

徳禅寺、拝観謝絶

興臨院、拝観謝絶





正受院、拝観謝絶。



三玄院、拝観謝絶


大仙院







庭園の写真も不可のため、拝観しませんでした。

芳春院、拝観謝絶

如意庵、拝観謝絶



龍泉庵、拝観謝絶

一期一会、この言葉が遠方からお参りに来た者の心に響きます。合掌。

聚光院、拝観謝絶



鐘楼



孤篷庵、拝観謝絶



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