2014年8月7日、お参りしました。
説明はパンフレットより引用。
大徳寺の塔頭で、南派の法源地本院として、由緒の殊に深く、大徳寺中で最も古い寺です。文亀2年(1502)大徳寺のご開祖、大灯国師より第8代の法孫である東渓宗牧禅師を開祖として、能登の領主であった畠山義元公、九州の都総督であった大友義長公らが創建された。
拝観料400円です。
京都市北区柴野大徳寺町82
map
表門(重要文化財)
室町時代の建立です。四脚門切妻造、檜皮ぶきです。
境内
方丈(重要文化財)
室町時代の禅宗方丈建築として、その遺構を完全にとどめている唯一のもので、我が国の建築史上、最も枢要な存在です。方丈の棟瓦は、附玄関、表門の棟瓦と共に、京都八坂神社楼門の棟瓦と同じ室町時代最古の様式のものです。一重入母屋造、檜皮ぶきです。
滹泥底(こだてい)
庫裏の書院南軒先にある(阿吽の石庭)で、宗祖の臨済禅師が住まわれた。中国河北の鎮州域の南に流れる滹泥河の銘があります。その右と左の基礎石は昔、聚楽第のものと伝えられています。
少し黒いものが阿の基礎石
担雪井
庭園
方丈の前庭を「一枝坦」と言い、余分なものを取り除いた禅宗独特の枯山水庭園で神仙思想に説かれる蓬莱山の理想の世界を表現しています。蓬莱山とは不老不死の薬を持つ仙人が住む吉祥の島の事で、一面の白川砂を大海にみたてています。言葉では表すことができない悟りの世界を視覚的に表現したものが禅の庭園です。
手前より亀島、枝坦、蓬莱山、鶴島
開祖堂
開祖東渓宗牧禅師の塔所で、南北朝、鎌倉、室町初期時代の様式の粋を取入れた、昭和の唐様木造建築の代表作です。
開祖堂前庭
竜吟庭
方丈の北庭、室町時代特有の三尊石組から成る須弥山形式の枯山水庭園で、相阿弥の作と伝えられ、青々とした杉苔は、洋々と果てしない大海原を現わし、石垣が陸地を表しています。
中央に高く突出する奇岩が須弥山で、魏々として聳えたち、人間は勿論、鳥も飛び交うことの出来ない、唯一人として窺い知ることの出来ない、真実の自己本来の姿、誰もが本来具えもっている超絶対的な人格、悟りの極致を形容表現しています。須弥山石の前にある円い板石が遙拝石と言い、この理想、目的に一歩でも前進し、近づこうという信心の現れです。
東滴壺(とうてきこ)
庫裏と書院の間にあります。日本最小の石庭といわれ、極めて小さな石庭でありながら格調高く殊に有名です。庭の右側に平たい一枚の板石が置かれ円い波紋は一滴の水が滴り落ちる姿を表しています。一滴の水が小川となり大河となり、ついには大海となる様に、一滴の大切さ、一滴がそのまま大海につながっている事を表現しています。
説明はパンフレットより引用。
大徳寺の塔頭で、南派の法源地本院として、由緒の殊に深く、大徳寺中で最も古い寺です。文亀2年(1502)大徳寺のご開祖、大灯国師より第8代の法孫である東渓宗牧禅師を開祖として、能登の領主であった畠山義元公、九州の都総督であった大友義長公らが創建された。
拝観料400円です。
京都市北区柴野大徳寺町82
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表門(重要文化財)
室町時代の建立です。四脚門切妻造、檜皮ぶきです。
境内
方丈(重要文化財)
室町時代の禅宗方丈建築として、その遺構を完全にとどめている唯一のもので、我が国の建築史上、最も枢要な存在です。方丈の棟瓦は、附玄関、表門の棟瓦と共に、京都八坂神社楼門の棟瓦と同じ室町時代最古の様式のものです。一重入母屋造、檜皮ぶきです。
滹泥底(こだてい)
庫裏の書院南軒先にある(阿吽の石庭)で、宗祖の臨済禅師が住まわれた。中国河北の鎮州域の南に流れる滹泥河の銘があります。その右と左の基礎石は昔、聚楽第のものと伝えられています。
少し黒いものが阿の基礎石
担雪井
庭園
方丈の前庭を「一枝坦」と言い、余分なものを取り除いた禅宗独特の枯山水庭園で神仙思想に説かれる蓬莱山の理想の世界を表現しています。蓬莱山とは不老不死の薬を持つ仙人が住む吉祥の島の事で、一面の白川砂を大海にみたてています。言葉では表すことができない悟りの世界を視覚的に表現したものが禅の庭園です。
手前より亀島、枝坦、蓬莱山、鶴島
開祖堂
開祖東渓宗牧禅師の塔所で、南北朝、鎌倉、室町初期時代の様式の粋を取入れた、昭和の唐様木造建築の代表作です。
開祖堂前庭
竜吟庭
方丈の北庭、室町時代特有の三尊石組から成る須弥山形式の枯山水庭園で、相阿弥の作と伝えられ、青々とした杉苔は、洋々と果てしない大海原を現わし、石垣が陸地を表しています。
中央に高く突出する奇岩が須弥山で、魏々として聳えたち、人間は勿論、鳥も飛び交うことの出来ない、唯一人として窺い知ることの出来ない、真実の自己本来の姿、誰もが本来具えもっている超絶対的な人格、悟りの極致を形容表現しています。須弥山石の前にある円い板石が遙拝石と言い、この理想、目的に一歩でも前進し、近づこうという信心の現れです。
東滴壺(とうてきこ)
庫裏と書院の間にあります。日本最小の石庭といわれ、極めて小さな石庭でありながら格調高く殊に有名です。庭の右側に平たい一枚の板石が置かれ円い波紋は一滴の水が滴り落ちる姿を表しています。一滴の水が小川となり大河となり、ついには大海となる様に、一滴の大切さ、一滴がそのまま大海につながっている事を表現しています。