2014年8月20日、お参りしました。
阪急嵐山駅の近くです。
説明書より『真言宗五智教団の京都本山で、奈良時代に入って和銅6年(713)、元明天皇の勅願により行基菩薩に命じて堂塔を建てられました。その寺の名は「木上山葛井寺」と呼ばれ、国家安穏、万民の繁栄と五穀豊穣、産業の興隆を祈る勅願所となされました。天長6年(829)に、弘法大師(空海)の弟子・道昌が中興して、虚空蔵菩薩を安置し、貞観16年(874)には伽藍が整えられ、寺号を「葛井寺」から「法輪寺」に改めた。平安時代には清少納言の「枕草子」の寺の段において、代表的な寺院として挙げられるなど、多数の参詣で隆盛した。その後、応仁の乱や蛤御門の変で兵火を受けたが、その都度再興した。本尊虚空蔵菩薩は、「嵯峨の虚空蔵さん」として親しまれ、智慧と福徳を授かるため、数えの13歳の男女が全国から「13まいり」に訪れる。平安時代には清和天皇が廃針を納めた針堂を建立したことから、針供養が行われるほか、惟喬親王の故事により、漆寺としても知られる。また、境内には電気・電波守護の電電宮社が祀られている。』
京都市西京区嵐山虚空蔵山町68
map
参道入り口の石碑


野生の猿でしょうか。他に数匹が木の上にいました。


山門

電電塔

電電宮


参道

獣魂供養塔

本堂


虎(右)

牛(左)

羊さん

多宝塔

針供養塔

鐘楼

うるしの碑

石碑

展望台から見た景色です。


阪急嵐山駅の近くです。
説明書より『真言宗五智教団の京都本山で、奈良時代に入って和銅6年(713)、元明天皇の勅願により行基菩薩に命じて堂塔を建てられました。その寺の名は「木上山葛井寺」と呼ばれ、国家安穏、万民の繁栄と五穀豊穣、産業の興隆を祈る勅願所となされました。天長6年(829)に、弘法大師(空海)の弟子・道昌が中興して、虚空蔵菩薩を安置し、貞観16年(874)には伽藍が整えられ、寺号を「葛井寺」から「法輪寺」に改めた。平安時代には清少納言の「枕草子」の寺の段において、代表的な寺院として挙げられるなど、多数の参詣で隆盛した。その後、応仁の乱や蛤御門の変で兵火を受けたが、その都度再興した。本尊虚空蔵菩薩は、「嵯峨の虚空蔵さん」として親しまれ、智慧と福徳を授かるため、数えの13歳の男女が全国から「13まいり」に訪れる。平安時代には清和天皇が廃針を納めた針堂を建立したことから、針供養が行われるほか、惟喬親王の故事により、漆寺としても知られる。また、境内には電気・電波守護の電電宮社が祀られている。』
京都市西京区嵐山虚空蔵山町68
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参道入り口の石碑


野生の猿でしょうか。他に数匹が木の上にいました。


山門

電電塔

電電宮


参道

獣魂供養塔

本堂


虎(右)

牛(左)

羊さん

多宝塔

針供養塔

鐘楼

うるしの碑

石碑

展望台から見た景色です。

